新居辰基
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
新居辰基(あらい たつのり、1983年12月22日-)は、北海道出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
コンサドーレ札幌下部組織から、2002年トップチーム昇格によりプロ選手となる。のち静岡FC、サガン鳥栖を経て、2007年、ジェフユナイテッド市原・千葉へ移籍。
目次 |
[編集] プレイスタイル
ディフェンスラインの裏へ抜けるスピードを最大の武器とし、ゴール前の嗅覚に優れた『点取り屋』[1][2]。
[編集] 来歴
サッカーを始めたのは小学校1年生のとき。野球をやっていたがサッカーもやってみたいと思ったのがきっかけで、地元の当別サッカー少年団に入った。中学生のときはユニオンジュニアユースチームFC(江別市)でプレー。高校生になるとき、ユニオンのユース(U-18)ができるならユニオンでプレーを続けようと考えていたが、結局ユニオンでは高校生年代のチームができなかったため、クラブチームの方が性に合うというコーチの勧めにより設立3年目のコンサドーレ札幌ユースに入団した。
コンサドーレ札幌ユース時代は、年代別日本代表には無縁だったが、1年生の秋ころから試合に出るようになり、2年生でレギュラーポジションをつかむ。ピッチ上でのらりくらりと歩いていたかと思うと一瞬でディフェンスラインの裏に抜け出す駆け引きや、ボールのこぼれてくるところに走り込む得点への嗅覚に非凡なところを見せた。調子のよいときはニヤニヤした表情を見せ、オフサイドの旗をあげる副審にはにらみを効かすふてぶてしい態度は、「得点にどん欲でプロ向きな性格」とサポーターに期待を抱かせた。高校3年の2001年には日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会でチームを準優勝に導く原動力となり、MIP (Most Impressive Player) の表彰を受ける。
2002年からトップチームに昇格。この年チームはJ2に降格したが、新居は5試合に出場し、Jデビュー戦であるホーム鹿島戦でのゴールを含む2得点を挙げる。札幌ユース出身選手として初めて将来のチームの主軸となりうる可能性を持った選手として周囲の期待も大きく、当時の監督張外龍はASローマ生え抜きのトッティになぞらえてか、「コンサドーレの王子」と称した。
その後もコンスタントに試合出場を続けていたが、プロ3年目の2004年8月に酒気帯び運転から人身事故を起こして逮捕され、クラブから解雇処分を受ける[3]。それから約2カ月は解体工事現場で働きながら、夜はジムに通ってトレーニングを行っていた[4]が、同年10月にJFL入りを目指す東海社会人リーグの静岡FCに入団した。
2005年にサガン鳥栖に移籍し、Jの舞台に復帰する。開幕当初はスーパーサブ的な起用をされたが、すぐに先発メンバーに定着。17得点を挙げて長谷川太郎とともにJ2の日本人得点王となった。また、同僚で15点を挙げた鈴木孝明と2人で、2004年のチーム総得点分の得点(32点)を稼いだ。この活躍により移籍話が浮上したが、「拾ってもらって、1年で出ていくわけにいかない」と自ら封印しチームに残留した。
2006年はチームの得点源であるため相手チームのチェックが厳しくなって怪我を負うことも多くなり、特に第4クールは半分近くの試合を欠場した。それでも出場試合数は前年より減ったのにも関わらず前年より多い23得点を挙げ、2年連続でJ2の日本人得点王となった。なお鳥栖はこの年Jリーグ参戦から過去最高の4位という躍進を遂げる。上位進出の最大の立役者となった。ここ数年の活躍により、日本代表に推す声も聞こえるようになっている。
2007年、ジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍。
[編集] アラカルト/エピソード
- J2でハットトリックを3回達成。これは日本人選手としてはJ2史上での単独最多記録である(外国人も含めての最多はジュニーニョの6回)。
- 名前の辰基(たつのり)は、少年野球の指導者であり巨人ファンである父親が巨人の人気選手だった原辰徳にあやかって命名したもの。新居自身も小学生のころはサッカーと並行して野球もしており、今でも大の巨人ファンである。子供のころは家族からも友人からもタッチと呼ばれ、プロになってからはチームメイトからタツと呼ばれている。
- 小さい頃からの憧れの選手はカズ(三浦知良)。
[編集] 所属チーム
- 1990年 - 1995年 当別サッカー少年団 (小学校1年 - )
- 1996年 - 1998年 ユニオンジュニアユースFC (北海道江別市、中学生時)
- 1999年 - 2001年 コンサドーレ札幌ユースU-18 (北星新札幌高校)
- 2002年 - 2004年 コンサドーレ札幌
- 2004年 静岡FC
- 2005年 - 2006年 サガン鳥栖
- 2007年 - 現 在 ジェフユナイテッド市原・千葉
[編集] 経歴
[編集] 現役
[編集] 個人成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
2002年 | 札幌 | J1 | 25 | 5 | 2 | - | 3 | 0 | 1 | 0 | |
2003年 | 札幌 | J2 | 17 | - | 35 | 3 | - | 0 | 0 | ||
2004年 | 札幌 | J2 | 13 | - | 27 | 3 | - | - | |||
静岡FC | 東海 | 9 | - | - | - | - | |||||
2005年 | 鳥栖 | J2 | 27 | - | 39 | 17 | - | 1 | 1 | ||
2006年 | 鳥栖 | J2 | 11 | - | 36 | 23 | - | 1 | 0 | ||
2007年 | 千葉 | J1 | 11 | - | |||||||
通算 | 5 | 2 | 137 | 46 | 3 | 0 | 3 | 1 |
[編集] 個人タイトル
- 2001年 日本クラブユース選手権 MIP
[編集] 出場大会
- 2001年 日本クラブユース選手権 (準優勝)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- サガントス絆プロジェクトシリアルNo. 00260 (サガンドリームス)
- 日刊スポーツ 九州 「蹴人」 2006年9月4日 (日刊スポーツ新聞社)
- 日刊スポーツ 北海道 「ピープル」 2006年12月4日 (日刊スポーツ新聞社)
[編集] 動画
- J's GOAL 【2005 J2第10節 vs水戸】
- J's GOAL 【2005 J2第15節 vs甲府】
- J's GOAL 【2005 J2第18節 vs徳島】
- J's GOAL 【2005 J2第22節 vs福岡】
- J's GOAL 【2005 J2第27節 vs徳島】
- J's GOAL 【2005 J2第34節 vs仙台】
- J's GOAL 【2005 J2第35節 vs京都】
- J's GOAL 【2005 J2第39節 vs徳島】
- J's GOAL 【2006 J2第5節 vs草津】
- J's GOAL 【2006 J2第6節 vs湘南】
- J's GOAL 【2006 J2第8節 vs東京V】
[編集] 脚注
- ^ 出典:『2007 J1&J2 リーグ選手名鑑』、2007年3月9日発行、ベースボールマガジン社
- ^ 出典:「ゴール前、優れた嗅覚 新居辰基(鳥栖→千葉)」、2007年02月07日付、アサヒ・コム
- ^ 出典:「ニュースリリース - 新居辰基・中尾康二選手 契約解除について」、2004年8月17日付、コンサドーレ札幌 公式サイト
- ^ 出典:「暴走をサッカーで償う得点王!鳥栖新居」、2006年9月4日付、ニッカンスポーツ・コム
- ^ a b 出典:「登録選手一覧表 - 2007 J1ジェフ千葉」、2007年3月9日付、Jリーグ公式サイト
ジェフユナイテッド市原・千葉 - 2007 |
---|
1 立石智紀 | 3 斎藤大輔 | 4 水本裕貴 | 5 ストヤノフ | 6 下村東美 | 7 佐藤勇人 | 8 水野晃樹 | 9 黒部光昭 | 11 新居辰基 | 13 市原充喜 | 14 池田昇平 | 15 中島浩司 | 16 山岸智 | 18 巻誠一郎 | 19 伊藤淳嗣 | 20 工藤浩平 | 21 中牧大輔 | 22 羽生直剛 | 23 楽山孝志 | 24 結城耕造 | 25 加藤韻 | 26 金沢亮 | 27 熊谷智哉 | 28 堀川恭平 | 29 青木孝太 | 30 岡本昌弘 | 31 米倉恒貴 | 32 金東秀 | 33 山中誠晃 | 34 中原浩介 | 35 安里光司 | 36 竹田忠嗣 | 37 朴宗真 | 38 川上典洋 | 39 松本憲 | 40 ジョルジェビッチ | 監督 アマル・オシム | クラブ | |
この項目は、ウィキプロジェクト サッカー選手の「テンプレート」を使用しています。
カテゴリ: サッカー選手に関するスタブ項目 | 日本のサッカー選手 | コンサドーレ札幌の選手 | 静岡FCの選手 | サガン鳥栖の選手 | ジェフユナイテッド市原・千葉の選手 | 北海道出身の人物 | 1983年生