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浦和レッドダイヤモンズ - Wikipedia

浦和レッドダイヤモンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

提案 提案このページのノートに、このページに関する提案があります。
提案の要約:レッズサポーター、レッズランド説明の移動、主要記事の分割
浦和レッドダイヤモンズ
原語表記 浦和レッドダイヤモンズ
愛称 レッズ
クラブカラー 赤(白・黒)
創設年 1950年
所属リーグ Jリーグ
所属ディビジョン ディビジョン1
ホームタウン 埼玉県さいたま市
ホームスタジアム 埼玉スタジアム2002
浦和駒場スタジアム
収容人数 63,700(埼玉スタジアム
21,500(駒場スタジアム
代表者 藤口光紀
監督 ホルガー・オジェック
公式サイト 公式サイト

Template(ノート 解説)サッカークラブpj

浦和レッドダイヤモンズ(うらわれっどだいやもんず Urawa Red Diamonds)は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。ホームタウン埼玉県さいたま市(合併前は浦和市)。呼称は「浦和レッズ」である。

選手についてはCategory:浦和レッドダイヤモンズの選手浦和レッドダイヤモンズの選手一覧を、また女子については浦和レッドダイヤモンズ・レディース日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)加盟)を参照。

目次

[編集] クラブ概要

中日本重工業サッカー部(後の三菱重工業サッカー部)として1950年に創立。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の発足にともない1992年以来、埼玉県さいたま市(当時浦和市)を本拠地とし、株式会社三菱自動車フットボールクラブが運営を行なっている(2005年3月、埼玉スタジアム2002内に本社移転。埼玉スタジアムは家賃と管理料を受け取っている)。

三菱自動車フットボールクラブは設立当初、三菱自動車工業の完全出資(100%)子会社であったが、近年は地元自治体や地元企業の資本参加が目立って増えてきている。1996年12月に埼玉県と浦和市(当時)が増資を引き受け(第3セクター化)、さらに2000年12月に増資が行なわれ、地元企業の埼玉縣信用金庫、藤島建設・藤島住宅、エコ計画などが新たに出資者として加わった。地元企業以外では三菱グループ7社とトーシンなどが出資した。いずれも小株主であるが、三菱自工の現在の出資割合は50.625%、三菱グループ7社分を合わせても60%未満に低下している[1]。三菱自動車フットボールクラブは更に埼玉県やさいたま市、地元企業を対象にした第3者割当増資の実施を希望し、さいたま市などがいち早く引き受けを表明したが、三菱自工がこれに慎重な態度を示し2005年末に両社でこの問題のワーキンググループを設立した後、現在まで大きな進展が報告されていない。

営業収入(2005年度58億400万円)はJリーグ全31クラブの中で最も多い(2位横浜M:約48億円、J1平均:約31億円)。入場料収入が最も大きな割合を占め、その額(同年度19億4900万円)は他クラブの追随を許さない(入場料収入2位新潟:約12億円、J1平均:約6億円)。次点は広告料収入(同年度16億6600万円)で横浜M(約26億円)、名古屋(約22億円)、(約18億円)、磐田(約17億円)、G大阪(約17億円)の5クラブに次いで多い。グッズ販売収入(同年度8億4100万円)がこれに続き、やはり他クラブを大きく引き離している(参考 2004年度2位磐田:約5億円。2005年度Jクラブ個別経営情報開示資料ではその他収入に編入されている)[2] [3]。ただし、これら浦和レッズの2005年度の数字は10ヶ月決算(2005年3月~2006年1月。決算月変更による)のため、実質的な数字はもっと大きくなる。

背景にはJリーグで常に1、2を争う観客の多さ(2006年度は774,749人、史上最高動員記録)が挙げられる。過去8シーズン(1996年~1999年、2001年~2003年、2006年)でJリーグの年間最多観客数を記録している。1人当たりの入場料単価は約2,900円(新潟:約1,700円)という高水準で算出される。理由としては招待券が極めて少ないこと(同年度0.5%[4])、更に、年間の全入場券を前払いで購入するシーズンチケットの割引率が僅か10%未満にすぎないことが大きい。また、それにもかかわらず約2万枚のシーズンチケットが完売していること(埼玉スタジアムシーズンチケット含む)、それらが入場料収入の確保に高い安定性をもたらしていることが挙げられる。

また、熱狂的なサポーターはホームゲームのみならず、アウェイゲーム(首都圏は勿論、広島・福岡・大分など遠隔地も)にも大挙して押しかけることで知られる。大半のクラブにとっては浦和戦は文字通りのドル箱カードであり、そのため浦和戦の時のみ、席割変更してアウェイ席の割合を増やしたり、普段は一部閉鎖しているスタンドを全面開放したり、キャパシティの大きなスタジアムで開催したりするクラブが多い。

概して浦和レッズのファンの間では1人1人が自分のお金を払いクラブの運営を支えているという意識が高い。浦和サポーターの多くが浦和レッズに多大なお金を費やしており、グッズ直売店であるレッドボルテージは毎ホームゲーム開催日にレジに長蛇の列ができるほどの盛況で、埼玉スタジアム浦和駒場スタジアムの店舗にも人だかりが絶えない。ファンの購買意欲が高いのである。であるから、クラブ側もグッズ開発に自ずと力が入り、3つのブランドを揃える等してファンのニーズに応えようとしている。

入場料収入やグッズ販売収入は主としてチーム強化の財源となり、優れた環境における選手育成、積極的な戦力補強、そして魅力的なチーム作りを可能にしている。近年トップチームは優勝争いを繰り返し、また日本代表を多く輩出している。このためマス媒体露出機会もかつて以上に多くなり、大口契約を希望するスポンサーが途切れないでいる。ユニフォームナイキ2004年から独占供給契約を結んでおり、2007年からは4年間で16億円の契約に更新することが報じられている。ユニフォーム胸部の広告枠はボーダフォン2005年から2年間で10億円の契約を結んでいる。いずれもJリーグ全31クラブの中で最高契約額である。

もっとも、広告料収入全体を見ればJリーグ全31クラブの中でトップレベルではなく、これには別の事情が関係している。三菱自動車フットボールクラブは、2005年に三菱自工とそれまで結んでいた損失補填契約を解除し、また、それに代わる定額支援も受けていない。収入面で親会社に頼らない独立採算運営を行っている。Jリーグやプロ野球を含む一部の日本のプロスポーツでは国税庁が特別にその親会社に対して広告費を全額損失扱い(非課税)とすることを認めているため、親会社から子会社のチームに対して多額の資金提供が行なわれていることが少なくない。三菱自動車フットボールクラブにはこれがないのである。このため収入構造は実質的には市民クラブと変わらなくなっている。

営業収入はチーム強化の他に事業運営の財源に振り分けられ、高度な地域貢献を可能にしている(参考 同年度事業運営費20億6400万円)。2004年に4億5,000万円をかけてクラブハウスを新築し2階にサポーターズカフェを設け、1階前面には197席の練習見学スタンドを設けた。地元のファンを中心にした交流の場で、このクラブハウスをさいたま市に寄贈している。また、少年サッカーの普及事業であるが、少年サッカー教室を開講するばかりでなく、トップチームが優勝するたびに優勝賞金の一部を数千個のサッカーボールに変え、今日までにさいたま市内の全ての幼稚園・小中学校・養護学校・ろう学校に寄贈するなど独特の地域還元方法が好評を博している。さらに、女子サッカーの普及事業である。2005年2月、日本女子サッカーリーグさいたまレイナスFCを統合、浦和レッズ・レディースとし、公式戦の運営を行ない、アマチュアチームには困難な練習場の保証を与え、優れた選手にはプロ契約の道を開いて女子がサッカーに専念できる環境を用意した。それにともない女子サッカー教室も開講している。

そして、レッズランドである。さいたま市桜区の14万平方メートルの敷地にサッカー場(天然芝2面・人口芝1面)、フットサル場(人口芝8面)、テニス場(全天候型など9面)、野球場(天然芝1面)、ラグビー場(天然芝1面)、サイクリングコース、バーベキューなどが楽しめる日帰りキャンプ場を整備し、利用者の交流の場となるクラブハウスを建設している。すでに完成した施設は一般に開放されており、現役を引退した浦和レッズの選手が指導するフットサル教室や少年サッカー教室、伊達公子がプロデュースするテニス教室なども開講し、生涯スポーツの普及に取り組んでいる。整備・建設にあたって、批判の多い公的資金の投入を極力回避していることで、このような利用者ニーズに応えた自由な設計が実現している(公的資金に拠れば、各種競技団体の要請に応え滅多に使われない施設までもが占める不自由な施設になるものである)。室内スポーツに関しては2006年4月、隣接する浦和西体育館の指定管理者となり徐々に併設していくとしている。地域に根ざしたヨーロッパ型の総合スポーツクラブが目標である。

Jリーグの理念である国際交流に関しても真剣である。2006年1月にドイツの名門バイエルン・ミュンヘンとパートナーシップを締結し、同年7月2日にドイツでバイエルン・ミュンヘン2と練習試合を行ない(バイエルン・ミュンヘン2 2-1 浦和レッズ)、同年7月31日には埼玉スタジアムで両クラブの親善試合を開催した(さいたまシティカップ:浦和レッズ 1-0 バイエルン・ミュンヘン)。このパートナーシップは継続的に協力関係を築いていくことを目的に締結されたため契約期間を特に設定していない。契約内容には親善試合開催の他にもマーチャンダイジングの相互協力や戦力補強に利用する選手情報の相互提供等が盛り込まれている。Jリーグでヨーロッパの名門クラブと対等提携しているクラブは過去現在他にない。契約調印時にバイエルン社長であるカールハインツ・ルンメニゲはこう語った。「バイエルンは数年来、実力があり、クラブ経営も安定し、心から信頼の置ける、そんなクラブを探していた。今回浦和レッズという素晴らしいクラブとパートナーシップを結ぶことができて目標をようやく果たすことができた」

アジアサッカー連盟が主催する2007年のAFCチャンピオンズリーグに日本代表クラブとして出場が決定して以来、「アジアを征して世界と互角に戦う強いクラブを目指す」(藤口社長)という大きな目標が加わったことも付け加えたい。

浦和レッズは、2006年に世界のビッグクラブ「トップ10」入りを果たした。これは世界を代表する10クラブを題材にした番組「キングス・オブ・クラブス」の対象としてノミネートされたもので、同番組を制作するIMGロンドンのテレビクルーが2006年11月、浦和の練習を取材した。浦和レッズの他にレアル・マドリード スペイン)、チェルシーイングランドの旗 イングランド)、ACミラン イタリア)、ボカ・ジュニアーズ アルゼンチン)といった世界的な12クラブがノミネートされており、そのうち10クラブが「トップ10」として紹介される。仕掛け人となったIMGロンドンのプロデューサー、ゲイル・ファーマー氏は「浦和の知名度は欧州でも高い。最高のサポーターを持つことでも知られている」と話す。番組は2007年3月、日本を含めた世界130カ国で放送される。 何故ここまで熱狂的なファンに支えられたかについてはいろんな理由があるが、一番の理由は浦和がサッカーの街だと言う事が有名である。高校で言えば埼玉師範高校が1回、浦和高校が3回、市立浦和高校が4回、浦和西高校が1回、浦和南高校が3回と浦和勢だけで12回もの全国制覇をしていて、「浦和を征すれば日本を征す」と言われていたほどだった。

  1. ^ 浦和レッズ会社概況
  2. ^ 浦和レッズ経営情報
  3. ^ 日本プロサッカーリーグ 2005年度(平成17年度)Jクラブ個別経営情報開示資料(PDF)
  4. ^ 2005Jリーグ スタジアム観戦者調査報告書
さいたま市浦和区に位置するオフィシャルショップ「RED VOLTAGE」。2005年5月29日撮影
さいたま市浦和区に位置するオフィシャルショップ「RED VOLTAGE」。2005年5月29日撮影

[編集] 概説

1991年のJリーグ創設時より加盟しているチームのひとつ。

当初、浦和市(当時)側は、すでにJリーグ不参加を表明していた日本サッカーリーグの強豪本田技研サッカー部を母体にし、本田技研狭山サッカー部と統合した新チーム作りを構想していた。しかし本田技研本社を翻意させることができず諦念し、同リーグ2部の中堅NTT関東サッカー部(現大宮アルディージャ)の誘致を試みたがJリーグ不参加を理由に断られた。埼玉県には日本サッカーリーグに所属し大きな資金協力の見込める大企業のサッカー部が他になかったため川淵三郎に相談したところ三菱自工を紹介された。

三菱自工はサッカー部の活動の中心であり本社と三菱養和SCが所在する東京都を本拠とする予定であったが、Jリーグが国立霞ヶ丘陸上競技場をホームスタジアムとして認定しない方針を打ち出していたことや、江戸川区陸上競技場の客席増設や同競技場近辺の練習場確保が困難であったことからJリーグ加盟の要件を満たせず、代替候補地の選定を急いでいた。フジタ(後のベルマーレ平塚、現湘南ベルマーレ)が大神練習場を使用し活動していた神奈川県平塚市や、三菱重工サッカー部の初期の活動中心地だった兵庫県神戸市とも交渉したが、いずれも自治体から満足な協力を引き出すまでに至らなかった。

こうした浦和と三菱自工両者の経緯から生じた縁談は、堅実なチームを作っていこうという両者ビジョンの一致を軸に折り合い良く話が進み、時間を待たずに浦和レッズ誕生へと結実した。チーム名に三菱グループのトレードマークであるダイヤモンドを入れ、チームの運営会社名にも三菱を冠するなど、Jリーグのクラブの中でも比較的地域色を前面に出さず、企業色を強く打ち出す体制であったが、浦和市側は譲歩に大きな抵抗がなかった(チーム名称などについても、前身チームの歴史を否定せずに由来を示せるものとして肯定的な意見が多かった。ちなみに余談だが、同じ三菱自工関連のサッカーチームである三菱自動車水島FCのチーム愛称は「レッドアダマント」で、「アダマント」はギリシャ語で「ダイヤモンド」の意味を表す[1])。そして1991年、浦和レッズはJリーグ参加10団体(オリジナル10)の1つに選出され、翌年秋のJリーグナビスコカップに出場し、記念すべきJリーグ公式戦の初陣を大宮公園サッカー場で飾った。

[編集] Jリーグ発足後の歩み

[編集] 1992年~1994年

レッズの本拠地のひとつ(創設期のメイン)・浦和駒場スタジアム(バックスタンド)
レッズの本拠地のひとつ(創設期のメイン)・浦和駒場スタジアム(バックスタンド)
浦和駒場スタジアム(メインスタンド)
浦和駒場スタジアム(メインスタンド)
  • 1992年 - Jリーグ開幕前に開催された最初のナビスコ杯では5勝4敗と勝ち越したが、予選5位となり惜しくも上位4チームによる決勝トーナメントに進めなかった。また、同年の天皇杯も準決勝まで進出し、翌年から開催されるJリーグでは優勝候補と挙げる解説者が現れるほどの期待感を持つようになる。
  • しかし、この時期チームが世代交代期に掛かったが新戦力の補充に手間取り、戦力がどんどん低下してゆく。また、Jリーグ開幕で急激に進化しつつあった日本サッカー界の技術研究や革新にも出遅れる。特に守備面は事実上の壊滅状態であった。1993年の両ステージ、1994年の第1ステージ(サントリーシリーズ)と3期連続最下位、年間順位でも2年連続最下位となり、ガンバ大阪名古屋グランパスとともに、「Jリーグのお荷物」などと呼ばれてしまう。サポーターの熱狂的な応援はこの時期から有名で、試合前にサポーターが肩を組んでチームの歌を歌う姿、敗戦を目の当たりにした彼らが激怒する様などもワイドショーなどでよく報道された。また1993年シーズンは、両ステージともに対戦チームの優勝を目の前で決められる屈辱を味わった。

[編集] 1995年~1998年

  • 1995年に就任したドイツ人監督ホルガー・オジェックの下で、チームは躍進を遂げる。前年に入団した元ドイツ代表のDFギド・ブッフバルト(04-06年監督)の活躍によってチームの守備がようやく安定し、1995年の第1ステージ(サントリーシリーズ)では3位になった。この年には創設時からの中心メンバーで、「ミスターレッズ」の愛称を持つ福田正博が日本人初のJリーグ得点王となった。
  • その後は中位にとどまることが多くなる。通年シーズンであった1996年は、第22節で首位に立ったが、優勝の期待が高まる中終盤戦に勝ち星を伸ばせず、雨の中国立競技場を超満員にした第28節の鹿島戦にPK負けを喫したことで望みがなくなり、最終的には6位に終わった。1997年、ブッフバルトが退団・帰国。1998年は三菱OBの原博実監督の下、新加入の小野伸二を擁して第2ステージで3位となる。

[編集] 1999年~2000年

  • しかし、1999年には小野や外国人選手の故障、選手補強の失敗等のために成績は再び低迷。原監督を更迭し(後にFC東京の監督となる)、後任にア・デモスを迎えるが、ついに年間順位で15位となり、J2へ降格した。この時は最終戦で福田がVゴールを決めて勝利したにもかかわらず得失点差1で降格となり「世界で一番悲しいVゴール」と呼ばれた。JリーグNo.1の人気チームがJ2降格という出来事は、世間にも大きな衝撃を与え、テレビや新聞、雑誌等でも特集された。また、浦和のJ2降格は翌2000年のJリーグ全体、とりわけJ1リーグ関係の経営収支にも潜在的に悪影響を与えたとも言われている。一方でJ2の試合では多くのレッズサポーターが遠征を行ったことで観客動員数が増加し、各J2クラブに大きな刺激を与えた。
  • 2000年シーズンでJ2の2位となり、J1へ復帰。3位大分との勝ち点差はわずか1点だった。最終節のサガン鳥栖戦の延長前半5分に土橋正樹のVゴールでようやく勝利するという際どさであった(「2000年J2最終節」を参照)。

[編集] 2001年~2002年

レッズのメインホームスタジアム・埼玉スタジアム2002
レッズのメインホームスタジアム・埼玉スタジアム2002
埼スタは2002年まではW杯開催に備えた芝生管理のため試合数は制限されていたが、2003年から駒場との併用の形で正式な本拠地として登録され、現在は観客数の増大に伴いリーグ戦で主に使用(駒場はリーグ戦では年間1~2試合程度の開催。しかし、カップ戦などで現在も使用。)。
  • 2002年 - 日本代表や磐田京都で指揮を執ったハンス・オフトが監督、元広島監督のビム・ヤンセンがコーチに就任し、再度ヨーロッパ・サッカー路線へ戻る。第2ステージは第9節まで無敗(8勝1分)で首位に立っていたが、その後6連敗で中位に沈んだ。また、ナビスコ杯では決勝で鹿島アントラーズに敗れ準優勝に終わったものの、クラブ創設後初の決勝進出を果たし、タイトル獲得への手応えを掴んだ(この試合のチケットが発売開始わずか数十分で完売し、チケットを手に入れられなかったサポーターも多数いた。レッズサポーターの絶対数の多さと優勝に賭ける熱意を世間に知らしめることとなった。この傾向は、レッズが決勝進出した2003年2004年にも続いた)。苦難の時代のチームを長年支えてきた福田正博と、元日本代表主将の井原正巳が引退。

[編集] 2003年~2004年

  • 2003年 - 福田正博の引退試合が埼玉スタジアム2002に5万人以上もの観客を集めて行なわれる。11月、再びナビスコ杯の決勝で鹿島アントラーズと対戦。前年は鹿島の前に0-1で涙をのんだが、今回は主力の多くが不在の鹿島を終始圧倒して4-0で圧勝、前年の雪辱を果たして初タイトルを獲得した。この試合では、スタンドの8割を埋めたレッズサポーターによる大掛かりなパフォーマンスが繰り広げられた(選手入場時と後半開始時に、鹿島側ゴール裏を除くスタンドのほとんどを浦和のチームカラーである赤・白・黒のシートで彩った)。なおその直後、J1リーグでは第2ステージの第12節で首位に立ち、2つ目のタイトルを獲得するチャンスがあったが、FWエメルソンの出場停止が響いて2連敗し、またもステージ優勝を逃した。
  • 2004年 - オフトに代わってブッフバルトが監督としてチームに復帰し、ヘッドコーチに横浜F市原、京都の監督を務めたゲルト・エンゲルスを迎える。選手の大幅補強を実施し、ナビスコ杯の連覇は浦和OBの原監督率いるFC東京に阻まれてしまったが、J1リーグ第2ステージでは首位を快走。11月20日の試合では名古屋に1-2で敗れたものの、ガンバ大阪が0-2で横浜F・マリノスに敗れたため、2試合を残して地元・駒場で悲願のステージ優勝を決め、翌年より1シーズン制となるためこの年が最後となるサントリーチャンピオンシップ出場権を獲得した。ステージ勝ち点37は、15試合制ステージにおけるJリーグ最多勝ち点記録であった。
  • この試合では、新聞紙290年相当分(約20トン)の紙吹雪を試合開始前に散らすという「史上最大の紙吹雪作戦」が展開された。また優勝決定直後には浦和駅周辺などで一部の熱狂的サポーターが発煙筒を炊いたり、バイクでパレードをするなど、過熱化した大騒ぎとなったが、幸いにも怪我人や逮捕者は出なかった。
  • 12月5、12日に開かれたサントリーチャンピオンシップでは、第2戦にアレックスのFKにより1-0で勝利したが、2試合通算スコアで同点だったためVゴール延長→PK戦の末惜敗。初の年間優勝を逃したが、1st・2ndステージを合わせたリーグ戦、年間総合成績では初めて1位になった。

[編集] 2005年

  • 2005年 - J1リーグ最初の8試合でわずか1勝(4分3敗)しか出来ず、最下位も経験してスタートダッシュに失敗した。また、開幕直前で山瀬功治が横浜F・マリノスへ移籍、そしてシーズンの前半でエメルソンがカタールリーグのアル・サードへ完全移籍したことや、アルパイの退場劇、主力選手の故障が相次いだことなどから苦戦を強いられていたが、途中からMFポンテや元クロアチア代表FWマリッチを補強し、最終節までもつれた優勝争いを演じた。優勝したガンバ大阪、ジェフ千葉などの上位チームに勝てなかったこともあり、勝ち点59でシーズンを終えたが、ガンバ大阪とはわずか勝ち点差1であった。レッズ以外に3チームが勝ち点59で並んだが、得失点差で結局2年連続の年間2位になった。得点力は、ガンバ大阪に次ぐ65得点、さらに、リハビリから復帰した坪井慶介、2年連続Jリーグベストイレブンに選ばれた闘莉王、さらに、05シーズン絶好調だった内舘秀樹、急成長した堀之内聖らの活躍で、リーグ最小失点の37失点と、トラブルが多かったチーム事情を考えれば健闘と言える結果を残した。そして天皇杯では、マリッチが全試合で得点(5試合6得点)をあげる活躍などにより、Jリーグ発足後初(前身の三菱重工時代を含めると25年ぶり5回目)の優勝を飾った。これにより、2007年AFCチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。なおこの年には香港で行われたフィリップス・ライティング国際7人制サッカー大会で優勝を果たしている。
  • 2006年シーズンにさきがけ、東京ヴェルディ1969を契約満了となったFWワシントンおよびMF相馬崇人を完全移籍で、セレッソ大阪からFW黒部光昭2007年1月1日までの期限付き移籍(レンタル元は京都)で獲得、さらに小野伸二の復帰と大規模な戦力補強を行った。

[編集] 2006年

浦和レッズのホームゲーム2006年8月12日FC東京戦(GFDL資料)
浦和レッズのホームゲーム
2006年8月12日FC東京戦(GFDL資料)
  • 2006年 - 2月25日、国立競技場で行われたシーズン最初の公式戦・ゼロックス・スーパーカップでガンバ大阪に3-1で勝ち、浦和レッズとなってはじめて同タイトルを獲得し(旧日本サッカーリーグ時代には、前身の三菱重工時代にスーパーカップ3度優勝している)、幸先のよいスタートを切った。また、2006年J1第2節のジュビロ磐田戦に勝利したことによりクラブ史上初めてリーグ戦の通算成績が勝ち越しとなった。5月には、香港におけるフィリップス・ライティング国際7人制サッカー大会に全勝で優勝、前年に続く2連覇を達成した。
  • 2006年J1第2節で、レッズはJ1(初期のJリーグを含む)主催試合観客動員数500万人を突破した。これはJリーグ加盟31クラブを通しても初めての快挙であり、またJ1在籍年数が1年少ないにもかかわらず、2位の横浜F・マリノス以下を大きく引き離す数字である。またこの年度の観客動員数は774,749人でこの数字もJリーグ歴代最高年間観客動員数である。
  • この年は開幕ダッシュに成功。その後も着実に勝ち点を延ばし、第3節以降は常に3位以内を保ち、さらに第22節から6連勝して第25節に首位を奪い、以降は一度も首位の座を明け渡さなかった。そして12月2日、シーズン最終節を首位で迎えたレッズは、2位のガンバ大阪との直接対決に臨んだ。この試合結果が「勝ち又は引き分け、若しくは得失点差が2点差以内の負け」で優勝という条件の下、先制されながらもポンテの同点ゴールとワシントンの2ゴールの活躍でこの直接対決を3-2で制し、初のJリーグ年間王者に輝いた(ワシントンはこの2得点で自身初となるJリーグ得点王のタイトルを獲得)。
  • J2降格経験チームのJリーグ年間王者は浦和が初めてである。最終節ではリーグ戦史上最多観客動員となる62,241人を記録した。その最強のサポーターは、選手入場時にバックスタンドに赤・白・黒のシートおよび黄色の風船でクラブのエンブレムを描くという過去に例のない大パフォーマンスを行った。
  • 優勝の原動力となったのは、リーグ最小の28失点(1試合平均約0.82失点=J1リーグ史上最小)に抑えた強固な守備力、浦和レッズ史上3人目の得点王に輝いたワシントン、DFながらFW顔負けの豪快なゴールを何度も記録した闘莉王の得点力、ベンチ入りすら出来ない日本代表経験者がいるほどの圧倒的な選手層、連敗が一度もなく特にホームでは無敗(年間ホーム無敗は史上初)という記録を作った安定感のある戦いぶりであった。勿論、どのスタジアムでも圧倒的な応援で選手を鼓舞し、ともに戦ったサポーターも強力な後押しとなった。
  • なお、この年のリーグ戦戦績は前半17試合と後半17試合の両方で最多勝点(36)を上げ、04年以前のステージ制と照らし合わせて考えても両ステージを完全優勝となる成績で、安定した戦績を残した。
  • 天皇杯では、ワシントンや闘莉王、アレックス、坪井など主力の多くを途中から欠く陣容となったが、リーグ戦では控えであった選手達が奮起して勝負強さを随所に発揮し、ジュビロ磐田・鹿島アントラーズというかつての強豪を立て続けに破り、決勝ではほぼベストメンバーで臨んだガンバ大阪を1-0で三たび破り2年連続優勝(Jリーグ開幕後の天皇杯連覇チームは初めて)、リーグ優勝と天皇杯優勝の2冠を達成。同時に2008年度のAFCチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
  • 選手、監督としてレッズの発展に貢献したブッフバルト監督は2006年の天皇杯を最後に退任し、2007年シーズンは国際サッカー連盟の技術部長となっていたオジェックが11シーズンぶりに監督に復帰した。

[編集] 2007年

  • 2007年 - 2月13日オーストリアザルツブルクで行われたBulls Cupに出場した。これは現地のレッドブル・ザルツブルク主催によるイベント色が濃いイベントであり、ドイツバイエルン・ミュンヘンも出場した。45分の試合を総当りで3試合行う形式で実施され、浦和レッズはザルツブルクには1-3、バイエルンには0-3と大敗した。この結果により日本国内ではJリーグのレベルが欧州標準からはかなり劣っているとの指摘を受けた。また、日本代表のオシム監督からレッズ所属の代表選手に対して、プレー内容の苦言を呈された。
  • 国立競技場で行われたゼロックス・スーパーカップガンバ大阪に0-4で大敗。
  • 3月3日の開幕戦、前年J2優勝の横浜FCと対戦、苦しみながらも2-1で勝利し、2001年のJ1復帰以降1度も勝っていなかった開幕戦で勝利した。

[編集] レッズランド

  • 浦和レッズはより地域文化に根ざした総合型スポーツクラブ作りに着手するための一貫として以前から浦和市(現・さいたま市)内に建設する構想を暖めていた。
  • そんななか東京農業大学が、練習場として借用していた桜区荒川河川敷のグラウンドから撤退することが決まり、それに代わる借主を探していることを聞いて情報収集に努めた結果、構想の実現が可能と判断。2004年3月の開幕前に開かれた「レッズ2004年シーズンを語る会」で「レッズランド計画」が初めて公表された。
  • 目標はスポーツを通しての健全な育成と健康増進で、これまで学校や企業が中心だったそれらの育成に地域コミュニティーが加わって三位一体の運営に取り組む。市民は会員登録(有料。2005年7月現在入会金一律3000円と年会費(一般)8400円。その他は外部リンクのレッズランドのページ参照)を行えば、優先的に施設を利用できる(会員でない一般市民も利用可だが、割り増しになる)。
  • 施設は2005年7月のオープン時は暫定でサッカーグラウンドと野球場、並びにサッカーとラグビーを併設したグラウンド等が設けられているが、今後はサッカーグラウンド4面、フットサルコート8面、ラグビーグラウンド1面、野球場1面、テニス場11面、レンタルサイクルコース、野外活動拠点としてのキャンプ場などを向こう3年間かけて整備していく予定となっている。また浦和レッズの下部組織の練習拠点としても使用される予定である(トップチームはさいたま市大原サッカー場も併用している)。
  • 2006年1月1日、犬飼代表が「2006年の早い時期に独立させる計画である」と声明を発表している。Jリーグが理想とする総合型スポーツクラブの先駆けとして、今後の動向が大いに注目される。3月9日より、二次会員の募集を開始、また会員種類に「法人会員」が新たに加わった。
  • 2006年4月1日から、公的施設の管理・運営を民間に委ねる指定管理者制度に基づき、近隣にあるさいたま市浦和西体育館の管理・運営を開始した。こちらもインドアスポーツの拠点として、今後の展開が期待される。
  • 現在は浦和レッズ・レディースの練習場ともなっており、これまで練習場を転々としていたレディースにとっても嬉しいオープンであった。また、2006年は下部組織の公式戦会場としても多く使用されている。
  • 2006年7月1日より、人工芝サッカー場1面およびフットサルコート4面がオープンした。同時に、金~日曜日、祝日と祝前日に限り夜間営業も開始している。

[編集] 獲得タイトル

[編集] 個人別タイトル

Jリーグ
ベストイレブン
ナビスコ杯

[編集] その他受賞

  • 1996年 フェアプレイ個人賞(岡野雅行)
  • 1999年 Join賞(浦和レッズ、浦和市、レッズファン・サポーター)
  • 2002年 フェアプレイ個人賞(坪井慶介)、Join賞(浦和レッズ)
  • 2003年 功労選手賞(福田正博、井原正巳
  • 2004年 Join賞(浦和レッズ)
  • 2005年 Jリーグベストピッチ賞(埼玉スタジアム2002)

[編集] 歴代監督と成績

年度 所属 試合 勝点 勝利 敗戦 引分 ステージ
順位
年間順位
(チーム数)
ナビスコ杯 天皇杯 監督
1992年 - - - - - - - - 予選リーグ敗退 ベスト4 日本の旗 森孝慈
1993年 J・1st 18 - 3 15 - 10位 10位(10) 予選リーグ敗退 2回戦敗退
J・2nd 18 - 5 13 - 10位
1994年 J・1st 22 - 6 16 - 12位 12位(12) ベスト8
(2回戦敗退)
3回戦敗退 日本の旗 横山謙三
J・2nd 22 - 8 14 - 11位
1995年 J・1st 26 48 15 11 - 3位 4位(14) - ベスト8 ドイツの旗 ホルガー・オジェック
J・2nd 26 42 14 12 - 8位
1996年 J 30 59 19 11 - - 6位(16) 予選リーグ敗退 ベスト4
1997年 J・1st 16 21 8 8 - 9位 10位(17) ベスト8 4回戦敗退 ドイツの旗 ホルスト・ケッペル
J・2nd 16 26 9 7 - 7位
1998年 J・1st 17 28 11 6 - 8位 6位(18) 予選リーグ敗退 ベスト8 日本の旗 原博実
J・2nd 17 33 11 6 - 3位
1999年 J1・1st 15 13 3 8 4 13位 15位(16)
J2降格
ベスト8 4回戦敗退
J1・2nd 15 15 5 9 1 14位 オランダの旗 ア・デモス
日本の旗 吉田靖※1(総監督)
2000年 J2 40 82 28 9 3 - 2位(11)
J1昇格
1回戦敗退 4回戦敗退 日本の旗 斉藤和夫
日本の旗 横山謙三※2(総監督)
2001年 J1・1st 15 21 7 7 1 7位 10位(16) ベスト8 ベスト4 ブラジルの旗 チッタ
J1・2nd 15 15 4 8 3 12位
ブラジルの旗 ピッタ※3
2002年 J1・1st 15 14 5 9 1 11位 11位(16) 準優勝 3回戦敗退 オランダの旗 ハンス・オフト
J1・2nd 15 21 8 6 1 8位
2003年 J1・1st 15 24 7 5 3 6位 6位(16) 優勝 3回戦敗退
J1・2nd 15 23 6 4 5 6位
2004年 J1・1st 15 25 7 4 4 3位 2位(16)
※4
準優勝 ベスト4 ドイツの旗 ギド・ブッフバルト
J1・2nd 15 37 12 2 1 優勝
2005年 J1 34 59 17 9 8 - 2位(18) ベスト4 優勝
2006年 J1 34 72 22 6 6 - 優勝(18) ベスト8 優勝
2007年 J1 34         -       ドイツの旗 ホルガー・オジェック
  • 1993年から1995年まで、第1ステージは「サントリーシリーズ」、第2ステージは「ニコスシリーズ」という呼称であった。
  • ※1 天皇杯のみ
  • ※2 J2第37節以降(指揮権交代のみで斉藤監督自身は残留)
  • ※3 J1・2ndステージ第4節以降
  • ※4 チャンピオンシップを除いたJ1・1st/2ndステージを合わせた年間総合成績では1位

[編集] 公式戦対戦通算成績

[編集] 対戦通算成績と得失点

2007年4月7日現在

対戦チーム
(対戦経験のある前身のチーム名)
J1 J2 ナビスコ杯 天皇杯 その他公式戦
鹿島アントラーズ 7 3 22 37 59 - - - - - 7 2 3 19 14 2 0 4 2 - - - - -
大宮アルディージャ(←NTT関東) 3 0 1 8 3 3 0 1 8 1 2 0 0 5 2 3 0 9 3 - - - - -
ジェフ千葉(←ジェフ市原) 15 4 13 48 40 - - - - - 2 1 2 9 10 1 0 2 1 - - - - -
柏レイソル 11 4 7 50 31 - - - - - 1 0 2 2 5 2 1 4 3 - - - - -
FC東京 4 2 6 14 13 - - - - - 2 2 1 6 2 2 0 4 1 - - - - -
川崎フロンターレ(←富士通 2 2 0 10 7 - - - - - 2 0 2 7 9 3 0 7 0 - - - - -
横浜F・マリノス(←横浜マリノス) 13 3 16 34 49 - - - - - 5 0 2 14 11 - - - - 1 0 1 1 1
横浜FC 1 0 0 2 1 - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
アルビレックス新潟 5 1 1 19 7 2 0 2 11 12 1 0 1 2 4 2 0 7 2 - - - - -
ヴァンフォーレ甲府 2 1 0 6 1 4 0 0 10 1 - - - - - 1 0 2 0 - - - - -
清水エスパルス 12 2 18 42 53 - - - - - 4 0 4 14 11 1 1 2 2 - - - - -
ジュビロ磐田 11 1 17 36 45 - - - - - 1 3 4 7 14 1 1 4 5 - - - - -
名古屋グランパスエイト 9 2 21 36 68 - - - - - 3 0 2 10 9 - - - - - - - - -
ガンバ大阪 15 5 12 51 47 - - - - - 5 1 1 15 10 1 2 3 4 1 0 1 3 5
ヴィッセル神戸 11 2 3 31 16 - - - - - 4 0 0 6 2 1 0 4 1 - - - - -
サンフレッチェ広島 18 1 11 48 36 - - - - - 3 2 1 10 8 - - - - - - - - -
大分トリニータ 5 1 3 18 11 3 1 0 9 3 2 0 2 8 5 - - - - - - - - -
コンサドーレ札幌 4 1 1 9 6 0 1 3 3 6 - - - - - - - - - - - - - -
ベガルタ仙台(←ブランメル仙台) 4 0 0 12 4 3 1 0 9 5 1 0 0 6 0 - - - - - - - - -
モンテディオ山形 - - - - - 2 0 2 5 4 1 0 1 3 2 1 0 2 1 - - - - -
水戸ホーリーホック - - - - - 4 0 0 8 3 - - - - - - - - - - - - - -
ザスパ草津 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
東京ヴェルディ1969(←ヴェルディ川崎) 15 2 13 55 47 - - - - - 0 2 2 2 4 0 2 2 5 - - - - -
湘南ベルマーレ(←ベルマーレ平塚) 10 0 6 36 28 4 0 0 7 1 1 1 0 2 1 2 1 7 2 - - - - -
京都サンガF.C.(←京都パープルサンガ) 9 1 4 27 13 - - - - - 0 1 1 1 2 - - - - - - - - -
セレッソ大阪 10 1 11 39 36 - - - - - 1 1 0 4 2 1 3 5 6 - - - - -
徳島ヴォルティス(←大塚製薬 - - - - - - - - - - - - - - - 1 0 3 0 - - - - -
愛媛FC - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
アビスパ福岡 8 1 3 20 13 - - - - - 2 0 0 6 2 2 1 7 3 - - - - -
サガン鳥栖 - - - - - 3 0 1 12 4 1 1 0 4 0 - - - - - - - - -
横浜フリューゲルス 11 0 7 36 20 - - - - - 1 0 1 3 2 1 1 5 4 - - - - -
(Jリーグクラブ)計 215 40 196 724 654 28 3 9 82 40 52 17 32 165 131 28 13 83 45 2 0 2 4 6
サンクFCくりやま(←アンフィニ札幌)   1 0 2 1  
専修大学   1 0 3 1  
札幌大学   1 0 2 0  
埼玉SC   1 0 2 0  
ホンダロック   1 0 9 0  
静岡FC   1 0 5 0  
34 13 106 47

[編集] J1

  • 鹿島アントラーズ・横浜F・マリノス・清水エスパルス・ジュビロ磐田・名古屋グランパスエイトの5チームには大きく負け越している。しかし、最近は互角の成績である。特に横浜、磐田に対しては、苦手意識を払拭している。ただしその磐田を含む東海3チーム(清水・磐田・名古屋)とのアウェイゲームでの戦績は悪く、東海地区のアウェイゲームは鬼門とされている。2006年もこの東海アウェイ3戦は全て敗戦。また、2006年はリーグ戦で対戦したチームのうち唯一名古屋からはホーム・アウェイを通じ無得点に終わり、勝ち星を挙げることが出来なかった。
  • カシマスタジアムでの鹿島アントラーズ戦が特に鬼門で、2004年第2ステージでようやく2勝目を挙げた。この試合が同ステージ最大の難関とみられていたが、3-2というスコア以上の完勝をおさめたことにより、ステージ優勝に大きな弾みがついた。年間優勝した2006年は0-2の劣勢から追いつく粘りを見せ、貴重な勝ち点1をあげた。
  • FC東京には2004年の第1ステージで勝つまで3年間、リーグ戦では1度も勝ったことが無かった。ただし、2004年天皇杯以降は逆に負けておらず、特に2006年のJリーグ第17節では4-0で圧勝するなど、借金を返済しつつある。
  • 東京ヴェルディ1969も当初は苦手チームであり、クラブの同一カード最多連敗の記録も作っていたほどだったが、近年の戦績は完全に逆転しており、J1リーグ戦においては3年連続(6試合連続)でホーム・アウェーともに大勝、逆に同一カード最多連勝記録を作っている。
  • サンフレッチェ広島には1999年のリーグ最終戦にVゴール勝ちしてから、ナビスコカップでの対戦を含めて2引き分けを挟んで11連勝と圧倒している。しかし、皮肉にもこのVゴール勝ちというのはすでにJ2への降格が決まっていてからのVゴール(決めたのは当時のエース福田正博)である「世界で一番悲しいVゴール」であった。
  • 大分トリニータには、2004年までJ1・J2の公式戦での対戦を含めて1度も負けず、J1では全て勝っていたが、2005年以降は1勝3敗で、特に大分のシャムスカ監督就任後は苦戦を強いられている。2005年のアウェーゲームでは前半で2人退場したのもあるが、ホームゲームでは、当時17位だった大分に敗れたことで大ブーイングを浴びている。大分から見ればこの試合が「シャムスカ・マジック」と呼ばれる発端の試合といえる。しかし、駒場での試合では現在も負けておらず、ナビスコカップでは五分五分の成績である。
  • 常に上位に入っている最近は苦手チームがないように思われるが、ガンバ大阪にはリーグ戦では2001年以降2勝しか挙げていない(勝利を収めた2004年第2ステージではステージ優勝、2006年ではリーグ優勝を飾っている)。
  • ベガルタ仙台やヴァンフォーレ甲府、水戸ホーリーホックとは、J1・J2、ナビスコカップ等全ての公式戦での対戦を通じてまだ1度も負けていない。

[編集] J2

  • J2の成績は2000年のみ。
  • この年はJ1昇格のライバルで優勝したコンサドーレ札幌に1試合も勝てなかったことが苦戦の要因となった。逆に3位大分トリニータには1つも負けなかったのが2位ながら昇格できた大きな要因となった。
  • アルビレックス新潟戦はホームでは2試合とも大量得点(5-1、3-1)で勝利している一方、アウェーでは逆に2試合とも大量失点(1-6、2-4)で敗れている。
  • レッズがJ1復帰した2001年以降J2に昇格し、J1昇格経験のない徳島ヴォルティス、ザスパ草津、愛媛FCとはリーグ戦、カップ戦、天皇杯を含め公式戦での対戦はない。但し、徳島ヴォルティスの前身の大塚製薬とは1993年の天皇杯で対戦し、レッズが勝利している。

[編集] ナビスコ杯

  • リーグ戦では非常に分が悪い鹿島戦であるが、ナビスコ杯では逆に対戦成績を圧倒している。2003年のナビスコ杯優勝も決勝で鹿島を破ってのものだった。また、同様にリーグ戦では分が悪い名古屋戦に関してもナビスコ杯の通算対戦成績は勝ち越している。

[編集] 天皇杯(クラブ発足後の1992年以降)

  • 東京ヴェルディにはヴェルディ川崎時代に2度(1992年、1996年)準決勝で敗れており、これまで天皇杯で対戦したチームの中で唯一勝ち星を挙げられていない。また、ガンバ大阪・セレッソ大阪の大阪勢には相性が悪い。ただし、東京ヴェルディおよびガンバ大阪戦の2敗は共に1997年までの記録であり、現時点での相性の参考にならない。9季ぶりにガンバ大阪と対戦した2006年度の大会では決勝で勝利し、優勝を果たしている。
  • 初戦で敗退したのは2002年(対アビスパ福岡)、2003年(対湘南ベルマーレ)の2度。

[編集] その他公式戦

[編集] リーグ戦の主な記録(2007年J1第5節まで)

[編集] チーム記録

[編集] 最多得点試合

J1

  • ホーム
    • 7-2(2004年2nd第2節(8月21日)・対東京ヴェルディ1969)
    • 7-0(2005年J1第27節(10月15日)・対柏レイソル
  • アウェー
    • 7-0(1996年J第20節(9月21日)・対柏レイソル)
    • 7-0(2005年J1第13節(7月6日)・対東京ヴェルディ1969)

J2

  • 7-0(2000年J2第4節(3月30日)・対サガン鳥栖) ※J2記録

(参考:リーグ戦以外の記録)

[編集] 最多失点試合

J1

  • ホーム
  • アウェー
    • 1-8(1999年1st第15節(5月29日)・対名古屋グランパスエイト)

J2

  • 1-6(2000年J2第18節(6月10日)・対アルビレックス新潟)

[編集] 最多失点勝利試合

[編集] 最多得点敗戦試合

  • 4-5(1994年2nd第12節(9月21日)・対清水エスパルス)
  • 4-6(2003年1st第5節(4月26日)・対セレッソ大阪)

[編集] 最多得点(失点)引分試合

  • 4-4(2003年1st第9節(5月17日)・対ガンバ大阪)

[編集] 最多連続無敗試合

複数シーズン

  • 10試合(2005年J1第33節(11月26日)から2006年J1第8節(4月15日) - 8勝2分)

同一シーズン

  • 9試合(2002年2nd第1節(8月31日)から第9節(10月19日) - 8勝1分)

(参考:他の公式戦込み)

  • 17試合(リーグ戦2005年J1第33節(11月26日)から2006年J1第8節(4月15日)10試合、天皇杯2005年5回戦(12月10日)から決勝(1月1日)4試合、スーパー杯2006年(2月25日)1試合、ナビスコ杯2006年予選第1日(3月29日)から予選第2日(4月12日)2試合 - 15勝2分)

ホーム無敗記録

  • 25試合(継続中:2005年J1第25節(9月24日)から2007年J1第5節(4月7日) - 22勝3分)
    ※J1史上最多記録

(参考:他の公式戦込み)※埼玉スタジアム、駒場スタジアムでの試合

  • 37試合(継続中:リーグ戦2005年J1第25節(9月24日)から2007年J1第5節(3月17日)25試合、大宮アルディージャのホームゲーム1試合、2006年ナビスコ杯予選3試合、準々決勝1試合(3月29日、4月12日、5月21日、6月3日)、2005年天皇杯2試合(11月3日、12月24日)、2006年天皇杯3試合(11月4日、12月16日、12月23日)、2007年ACL2試合(3月7日、4月11日)- 34勝3分)

[編集] 最多連勝

複数ステージまたがり

  • 8連勝(1998年1st第16節(8月5日)から2nd第6節(9月18日)) - PK勝ち1試合含む
    • 7連勝(1998年1st第17節(8月8日)から2nd第6節(9月18日)) - 90分勝ちのみ

同一ステージ

  • 6連勝(1995年1st第19節(6月24日)から第24節(7月15日)) - Vゴール勝ち3試合含む
  • 6連勝(1998年2nd第1節(8月22日)から第6節(9月18日)) - 90分勝ちのみ
  • 6連勝(2006年J1第22節(9月10日)から第27節(10月15日)) - 90分勝ちのみ

[編集] 最多連敗

  • 9連敗(1993年2nd第4節(8月7日)から第12節(11月13日)) - Vゴール負け1試合含む
    • 6連敗(1993年2nd第4節(8月7日)から第9節(9月3日)) - 90分負けのみ

[編集] 同一カード最多連勝

  • 6連勝(継続中:2003年1st第6節(4月29日)から2005年第31節(11月20日)-対東京ヴェルディ1969)
    • 9連勝(継続中:1997年2nd第17節(10月4日)から2000年J2第42節(11月20日)-対ベルマーレ平塚/湘南ベルマーレ)-J2リーグ戦4試合含む。Vゴール勝ち2試合含む。

[編集] 同一カード最多連敗

  • 7連敗(1993年1st第2節(5月19日)から1994年2nd第5節(8月27日)-対名古屋グランパスエイト) - 90分負けのみ
    • 7連敗(1993年1st第13節(6月26日)から1994年2nd第21節(11月16日)-対ヴェルディ川崎) - Vゴール負け1試合含む
    • 7連敗(1993年2nd第1節(7月24日)から1995年1st第10節(4月22日)-対サンフレッチェ広島) - PK負け1試合含む

[編集] 個人記録

[編集] 通算最多試合出場

  • 350試合 - 山田暢久 日本)(継続中:初出場1994年1st第12節(4月27日)・対清水エスパルス)

[編集] 最多連続試合出場

  • 72試合 - 坪井慶介 日本)(2002年1st第1節(3月3日)から2004年1st第12節(6月12日))

[編集] 最年少試合出場

[編集] 最年長試合出場

[編集] シーズンフルタイム出場

[編集] 通算最多得点

  • 91得点 - 福田正博( 日本

[編集] 最多連続得点試合

  • 7試合 - エメルソン( ブラジル)(2002年1st第3節(3月16日)から第9節(7月20日))

[編集] シーズン最多得点

  • 32得点 - 福田正博( 日本)(1995年)

[編集] 1試合最多得点

  • 4得点 - 福田正博( 日本)(1994年1st第9節(4月13日)・対ベルマーレ平塚)

(参考:リーグ戦以外の記録)

  • 4得点 - ワシントン( ブラジル)(2006年ヤマザキナビスコカップ準々決勝(6月3日)・対川崎フロンターレ)
  • 4得点 - 盛田剛平 日本)(2000年天皇杯2回戦(12月3日)・対ホンダロック

[編集] GK通算最多得点

  • 1得点 - 田北雄気( 日本)(1996年J第30節(11月9日)・対横浜フリューゲルスで得点) ※J1記録

[編集] 最年少得点

  • 18歳4ヶ月25日 - 永井雄一郎 日本)(1997年1st第14節(7月9日)・対ヴェルディ川崎)

(参考:リーグ戦以外の記録)

  • 17歳6ヶ月28日 - セルヒオ・エスクデロ( スペイン アルゼンチン)(2006年ナビスコ杯予選第1日(3月29日)・対FC東京)

[編集] 最年長得点

  • 36歳4ヶ月4日 - ギド・ブッフバルト( ドイツ)(1997年1st第11節(5月28日)・対柏レイソル)

[編集] ハットトリック

J1
  • 4得点
    • 福田正博( 日本)(1994年1st第9節(4月13日)・対ベルマーレ平塚)
J2
  • 3得点

(参考:リーグ戦以外の記録)

ヤマザキナビスコカップ
  • 4得点
  • 3得点
    • トゥット ブラジル)(2002年予選リーグ第5節(5月9日)・対鹿島アントラーズ)
    • エメルソン ブラジル)(2002年準決勝(10月2日)・対ガンバ大阪、2003年準決勝第2戦(10月8日)・対清水エスパルス)
    • 田中達也 日本)(2004年準決勝(10月11日)・対名古屋グランパスエイト)
    • ワシントン ブラジル)(2006年予選リーグ第6日(5月21日)・対横浜F・マリノス)
天皇杯

[編集] 観客動員記録

[編集] 最多観客動員試合

J1

J2

  • ホーム
    • 20,207人(2000年J2第44節(11月19日)・対サガン鳥栖、駒場スタジアム)
  • アウェー

[編集] 最少観客動員試合

J1

  • ホーム
    • 5,611人(1996年J第21節(9月28日)・対アビスパ福岡、札幌厚別公園競技場)
      • 7,854人(1994年1st第4節(3月23日)・対サンフレッチェ広島、駒場競技場 - 改修前)
      • 13,329人(1999年2nd第2節(8月14日)・対柏レイソル、駒場スタジアム - 改修後)
      • 9,168人(1995年1st第22節(7月8日)・対サンフレッチェ広島、大宮公園サッカー場)
      • 28,054人(2002年1st第9節(7月20日)・対コンサドーレ札幌、国立霞ヶ丘競技場)
      • 31,965人(2003年1st第14節(7月26日)・対ベガルタ仙台、埼玉スタジアム2002)
  • アウェー
    • 3,610人(1997年2nd第1節(7月30日)・対ジェフユナイテッド市原、市原臨海競技場

J2

[編集] 年度別観客動員記録と開催スタジアム

J1
年度 合計
動員数
最多
動員数
最少
動員数
平均
動員数
ホーム
試合数
ホームゲーム会場
(数字は試合数)
備考
1993年 206,265 50,348 8,258 11,459 18 駒場17、国立1
1994年 406,457 55,125 7,854 18,475 22 駒場8、大宮7、国立4、
博多陸1、神戸ユ1、富山1
1995年 508,554 56,652 9,168 19,560 26 駒場12、大宮10、国立3、
新潟陸1
駒場スタジアム改修
1996年 364,936 50,974 5,611 24,329 15 駒場11、国立3、
札幌厚別1
1997年 328,060 38,707 14,937 20,504 16 駒場14、国立2
1998年 385,994 46,547 16,971 22,706 17 駒場14、国立3
1999年 319,146 46,401 13,329 21,276 15 駒場12、国立3 J2降格
2001年 400,799 60,553 16,808 26,720 15 駒場11、埼玉2、国立2 埼玉スタジアム開場
2002年 394,445 57,902 14,499 26,296 15 駒場9、埼玉5、国立1
2003年 432,825 51,195 18,335 28,855 15 駒場8、埼玉7 埼スタが本拠地登録
される(駒場と併用)
2004年 549,903 58,334 18,029 36,660 15 駒場6、埼玉9 初のステージ優勝
2005年 669,066 55,476 15,760 39,357 17 駒場4、埼玉13
2006年 774,749 62,241 16,040 45,573 17 駒場2、埼玉15 初の年間優勝
2007年 141,707 57,188 39,494 47,236 3(14) 駒場0(1)、埼玉2(6) 第18節までの予定
5,882,906 26,030 226
  • (*1)太字はJリーグ歴代最高年間観客動員数
  • (*2)かっこ内は残り試合数を表す
J2
年度 合計
動員数
最多
動員数
最少
動員数
平均
動員数
ホーム
試合数
ホームゲーム会場
(数字は試合数)
備考
2000年 338,457 20,207 13,408 16,923 20 駒場20 J1昇格
338,457 16,923 20

[編集] その他

  • 4試合連続Vゴール負け
    • 1999年2ndステージ第6節(9月4日)のジュビロ磐田戦から第9節(9月18日)の名古屋グランパスエイト戦まで、4試合連続で全て1-2のVゴール負けを喫した。なお、このステージでは第2節の柏レイソル戦でもVゴール負け(2-3)しており、勝負どころで勝ち点を奪えなかったことで同年のJ2降格を招いてしまった。2003年以降はVゴール方式を採用しておらず、Vゴール方式(ゴールデンゴール方式)は全世界で廃止されため、この記録は今後破られることはないと思われる。

[編集] ダービーマッチ

[編集] さいたまダービー

  • 大宮アルディージャとの対戦は、サッカーの街さいたまを二分する熱いダービーである。(と、マスコミなどでは論じてはいるが、当のレッズサポーター、ファンの認識においてはホームゲームで戦えるアウェイゲーム程度の認識しか無く、まだまだダービーマッチとまでは言い切れない現状がある。)

2005年に大宮のJ1昇格により行われるようになった(2000年にもJ2でこのカードは行われているが、さいたま市の成立前であった。それ故、真の意味での「ダービーマッチ」ではないため「埼玉ダービー」と称する事がある)。特に浦和サポーターが大宮のキャラクターであるリスをゴミ箱に捨てるゲーフラや大宮を揶揄する替え歌等を歌って煽っている。成績的には浦和レッズが優勢であり、ホームとアウェーの2試合とも浦和レッズサポーターが約9割を占めている。

[編集] ナショナルダービー

  • 浦和レッズ vs 横浜F・マリノス (2004年-)
  • 浦和レッズ vs ガンバ大阪 (2005年-)
    • ナショナルダービーと呼べるような突出した実力を持つチームがいないほど戦力が拮抗している、というのも実情で、「日本版ナショナルダービーは今現在存在しない」という見方をする人もある。特に、近年は上記にように年毎にチームが変わっている。また、Jリーグはまだまだ歴史が浅いため、ナショナルダービーとして確立しているとは言い難いとの声もある。また、鹿島アントラーズとジュビロ磐田がかつてほどの勢いがなくなった今、現在のナショナルダービーはクラブ規模・集客力ではトップクラスの浦和レッズ vs 横浜F・マリノス、実力面でトップクラスであり日本代表選手も多い浦和レッズ vs ガンバ大阪だという意見もある。また、熱狂的なサポーター同士の対抗意識から浦和レッズ vs FC東京をナショナルダービーとする見方も少数意見としてある。このカードは海外の雑誌においても、世界で最も盛上がるカードの上位にランクされたこともあり、特にFC東京のホームゲームにおいては、スタジアムがくっきり青と赤に二分され、スタンドは異常な熱気に包まれる。いずれのチームも、男性サポーターの比率が高く、野太い声がよく響き渡るため、「男声ダービー」とも称される。同様に、熱狂的なサポーター同士の構図としては浦和レッズ vs 鹿島アントラーズをあげる人もいる。

[編集] その他のダービー

レッドダービー(赤の聖戦
浦和レッズ vs 鹿島アントラーズ(2000年は開催なし)
両チームともユニフォームカラーが赤色によるもの。両サポーターが非常に熱狂的であることでも知られ、試合中にしばしば選手同士の小競り合いが起こる。地域性などで生まれたわけではないものの、盛り上がりという観点からすれば日本で最も盛り上がるカードのひとつであろう。偶然であろうが、超満員の雨の薄暮ゲームとなることが多い。
自動車ダービー
浦和レッズ三菱自動車)、横浜F・マリノス(日産自動車)、名古屋グランパスエイト(トヨタ自動車)、サンフレッチェ広島(マツダ)の4チームが絡む試合。
特に名古屋のサポーターが「ようこそ世界のトヨタへ」と横断幕を上げることでも有名。
南北線ダービー
浦和レッズ VS 川崎フロンターレ(2005年-)
浦和レッズの本拠地である埼玉スタジアム2002の最寄り駅である浦和美園駅から川崎フロンターレの本拠地である等々力陸上競技場の最寄り駅である武蔵小杉駅(最寄というほどでもないが近隣にある)までは埼玉高速鉄道線東京地下鉄南北線東急目黒線が直通運転をしていることから。

[編集] 過去のダービーマッチ

携帯ダービー
浦和レッズ、大宮アルディージャ、京都サンガF.C.の3チームが絡む試合。
浦和が2005年よりボーダフォン(現ソフトバンクモバイル)をユニフォームスポンサーとし、大宮もNTT DoCoMoFOMA)が背中スポンサー、京都もKDDIを練習着スポンサーとしていたため。しかし2007年度より浦和のスポンサーが明治製菓に変わり、京都がJ2に降格したため携帯ダービーは消滅したとことになる。

[編集] 国際試合・親善試合

[編集] 親善試合

開催年月日 大会名 対戦相手 開催スタジアム スコア 勝敗
92年4月4日 浦和国際親善サッカー タイの旗 ポートオーソリティ 駒場スタジアム 3-0 勝利
93年4月24日 浦和国際親善サッカー イングランドの旗 マンチェスター・C 駒場スタジアム 0-2 敗戦
94年6月29日 浦和国際親善サッカー アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 駒場スタジアム 3-5 敗戦
94年7月19日 コカコーラカップ パラグアイの旗 オリンピア 福岡ドーム 0-1 敗戦
94年10月8日 国際親善サッカー 大韓民国の旗 全北現代モータース 新潟市陸上競技場 2-1 勝利
95年8月1日 国際招待サッカー ブラジルの旗 フラメンゴ 大宮公園サッカー場 1-3 敗戦
96年3月10日 さいしん国際親善サッカー ウルグアイの旗 ペニャロール 駒場スタジアム 1-1 引分
96年12月14日 さいしん国際親善サッカー ドイツの旗 VfBシュトゥットガルト 国立競技場 5-0 勝利
97年7月22日 シャープカップ イングランドの旗 マンチェスター・U 駒場スタジアム 1-2 敗戦
00年1月23日 日蘭交流四百周年記念 オランダの旗 アヤックス アムステルダム・アレナ 1-1 引分
01年2月25日 国際親善試合 アメリカ合衆国の旗 LA・ギャラクシー 駒場スタジアム 2-1 勝利
02年5月26日 国際親善試合 パラグアイの旗 パラグアイ代表 松本平球技場 0-2 敗戦
03年6月4日 さいたまシティカップ オランダの旗 フェイエノールト 埼玉スタジアム 2-2 引分
04年7月27日 さいたまシティカップ イタリアの旗 インテル・ミラノ 埼玉スタジアム 1-0 勝利
04年8月3日 ボーダフォンカップ アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ オールド・トラフォード 2-5 敗戦
05年5月31日 国際親善試合 ドイツの旗 ハンブルガーSV 埼玉スタジアム 0-2 敗戦
05年6月15日 さいたまシティカップ スペインの旗 FCバルセロナ 埼玉スタジアム 0-3 敗戦
05年7月30日 ボーダフォンカップ イングランドの旗 マンチェスター・U 埼玉スタジアム 0-2 敗戦
06年7月31日 さいたまシティカップ ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 埼玉スタジアム 1-0 勝利
07年2月13日 ブルズカップ(45分試合) オーストリアの旗 レッドブル・ザルツブルク ザルツブルク 1-3 敗戦
ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 0-3 敗戦

その他、海外キャンプ時に現地のクラブと親善試合を数多く行っている。

[編集] 国際試合

開催年月日 大会名 対戦相手 開催スタジアム スコア 勝敗
07年3月7日 ACL2007予選リーグ インドネシアの旗 ペルシク・ケディリ 埼玉スタジアム 3-0 勝利
07年3月21日 ACL2007予選リーグ オーストラリアの旗 シドニーFC オージー・スタジアム 2-2 引分 
07年4月11日 ACL2007予選リーグ 中華人民共和国の旗 上海申花 埼玉スタジアム 1-0 勝利 
07年4月25日 ACL2007予選リーグ 中華人民共和国の旗 上海申花 源深体育中心    
07年5月9日 ACL2007予選リーグ インドネシアの旗 ペルシク・ケディリ マナハン・スタジアム    
07年5月23日 ACL2007予選リーグ オーストラリアの旗 シドニーFC 埼玉スタジアム    
07年6月7日 A3チャンピオンズカップ2007 中華人民共和国の旗 山東魯能 山東省体育中心    
07年6月10日 A3チャンピオンズカップ2007 大韓民国の旗 城南一和天馬 山東省体育中心    
07年6月13日 A3チャンピオンズカップ2007 中華人民共和国の旗 上海申花 山東省体育中心    

[編集] ユース・ジュニアユース

近年、トップに続きユース・ジュニアユースも輝かしい活躍を見せている。 ユースは03年の日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会で準優勝、04年の日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会3位、Jユースカップベスト4と徐々に頭角を表してきている。セルヒオ・エスクデロ加藤順大など、ユース出身の選手も台頭してきている。 ジュニアユースは01年の日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会で優勝、05年には日本クラブユースサッカー(U-15)選手権大会優勝、高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-15)大会優勝、06年は日本クラブユースサッカー(U-15)選手権大会3位とジュニアユース世代でも指折りの強豪チームである。

[編集] アマチュアチーム

1997年に当時の横山謙三GMにより登録されたチームで、主にトップチームに昇格しなかった元レッズ・ユース選手らが進学や社会人となった際にサッカーを続けるための受け皿となっている。浦和レッズ・アマは浦和市リーグからスタートし、後には埼玉県リーグ1部にまで昇格した。

2006年度は天皇杯埼玉県予選の県1・2部リーグ予選を突破し、はじめて本予選である彩の国カップに出場したが、1回戦で城西大学サッカー部に敗退した。

初年度には横山自身や当時の岡野良定レッズ会長(当時80歳)らも選手として登録された。後にはトップチームを引退した土橋正樹、渡辺隆正、岩本隼児など一部の選手も登録されている他、レッズランドなどで主宰されているハートフルクラブのコーチ・スタッフも選手として参加をしている。


[編集] ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 黒(場合によって白)
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd)
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 2nd

[編集] チームカラー

  • チームカラーは赤色、白色、黒色など

[編集] ユニフォームスポンサー

[編集] 過去のユニフォームスポンサー

コンパックは2002年にヒューレットパッカードと合併。
  • SEGA(パンツ 2005年)
ただし、2006年シーズンはトレーニングウェアのスポンサーとして参加。
  • Vodafone(胸 2005年-2006年)
2006年10月1日にブランド名がソフトバンクに変更されたが、ユニフォームの変更はなかった。

[編集] ユニフォームサプライの遍歴

  • 1992-1996年 リーグ戦はミズノ(93年、94年のリーグ戦モデル(2nd・FP用)の組み合わせは、シャツ=水色、パンツ=黒、ストッキング=水色)、カップ戦はプーマ
  • 1997年 リーグ戦はアンブロ、カップ戦はプーマ
  • 1998-2003年 プーマ
  • 2004年- ナイキ

[編集] スタジアムの広告看板

  • 2004年末のJリーグチャンピオンシップ以後、ホームゲーム開催時のゴール裏の広告看板は回転ロール盤を使用している。2006年からは更にゴール裏外側部分もこれまでのスポンサーの固定看板からLED表示の広告盤を使用するようになった。LED広告盤はヨーロッパの主要サッカークラブでは採用事例が多数(レアル・マドリードなど)あるが、日本では初めて採用されている。(2007年からはゴール裏内側の広告看板も回転盤からLED盤になった。全部LED盤になるのはJクラブで初めて)

[編集] チームマスコット

  • レディア(Redia) (1992年~)
  • フレンディア(Friendia) (1997年1月26日結婚)
  • シャーレくん(Schalekun) (2006年12月2日誕生)
  • ディアラちゃん(Diarachan) (2006年12月2日誕生)

詳細はマスコットキャラクター一覧#J1の「浦和レッズ」を参照のこと。

[編集] 背番号について

Jリーグに所属するクラブの多くは、背番号12をサポーターのための背番号(レギュラー11人に続く12人目の意味)として永久欠番としているが、浦和レッズは背番号12を欠番にせず使用している数少ないクラブの1つである(他には横浜FCサガン鳥栖が背番号12を使用している)。また、チームマスコット「レディア」の背番号17もサポーターのための欠番になっていない(ベンチ入り16人に続く17人目の意味だが、規約改正で2006年からは18人がベンチ入りとなっている)。

[編集] 入場曲・ 公式ソング

  • ファースト・インプレッション - 世界で初めてのクラブによる選手入場曲と言われている。J開幕当初、佐藤仁司広報グループ・チーフマネジャーを中心とした数名のスタッフが、市販されていない版権なしのフリーユースのサウンド・ライブラリーを視聴し7曲目辺りで流れたファースト・インプレッションに皆の目が止まった事から選ばれた。一時期、クラブを一新する際入場曲を変えようとしたがファンや各方面から反対があり現在に至る。
  • We are Diamonds - 浦和レッズのオフィシャルソング。原曲はロッド・スチュワートのSailing
  • GO! REDS GO! - We are Diamondsのカップリング曲。スタジアムで選手紹介時にかかる曲。

[編集] メディア事情

浦和レッズの情報を知るには下記のメディアが有効である。

  • テレビ
    • REDS TV GGRテレ玉) 毎週金曜 23:00~23:30 (再放送)翌日土曜 7:30~8:00
    • REDS NAVI(テレ玉) 不定期(月一程度) 20:00~21:00
    • REDS! GET GOAL!(ケーブルテレビ)インタビュアー 河合貴子  隔週(初回木曜)毎日 12:45、19:30、23:30 
  • ラジオ
    • WARMING UP MUSICNACK5
      • 「ALL THE REDS」 毎週月~金曜 6:53~
      • 「SPORTS SHOT」 毎週月~金曜 7:26~
      • 「HEART BEAT REDS」 毎週月~金曜 8:26~
    • FUN FUN SOCCER(NACK5) 毎週土曜 6:00~7:00
    • レッズウェーブ(78.3MHz) 「24時間いつ聴いてもレッズ」をコンセプトにしたコミュニティFM。浦和レッズと浦和の街の情報が中心で2005年12月に開局した。
  • 新聞雑誌
    • 埼玉新聞地方紙) 試合前後を含め浦和レッズの情報が盛りだくさん
    • 浦和レッズマガジン(アスペクト) 浦和レッズ専門雑誌 毎月12日発売
    • マッチデープログラム 今やどのチームも何らかの形で発行しているといっていいマッチデープログラムだが、内容の充実度は群を抜いており、前節の結果や対戦チームの情報、サッカー教室のレポートやコラム・写真の数々など盛り沢山の内容で、試合の日にはスタジアムや「レッド・ボルテージ」で購入するサポーターが多い。クラブから発する貴重なメッセージ提供の場のひとつであり、他クラブでここまでマッチデーが定着しているチームはない。1992年の第1回ナビスコ杯以降、全てのホームゲームにおいて発行されている(その他、カップ戦の決勝戦の際にも発行され、シーズン開幕前には増刊号が発行される)。定価は税込み300円(2005年、2006年は200円であった)。2004年までは地元の埼玉新聞が編集を行っていたが、2005年から浦和レッズが直接携わり、編集は埼玉新聞に勤務していた清尾淳が一貫して担当し続けている。略して「MDP」という呼び方は、特に浦和レッズのマッチデープログラムを呼ぶのに使われる。

[編集] 他クラブとの特異点

上記の「背番号12使用」以外にも、浦和レッズおよびサポーターは試合運営・サポート体制等において、他のクラブとは明らかに異なる点がいくつかみられるのも特徴である。クラブ・サポーターともども、強いこだわりが感じられる。

  • ゴール裏サポーターが襷を使わない(以前は使っていたことがあった)
  • ゴール裏サポーターが多くの小グループに分かれており、正確な数がわからないほどのサポーターグループがある。また、応援に関してはその多くのグループが一つになる為、かなりの迫力となる。
  • 試合開始前に、選手紹介時以外に組織的な応援(応援の練習)を以前は基本的にしなかった。
  • 試合開始前に、有名人などをピッチ上に招いてのイベントを一切と言ってよいほど行わない
  • サポーターも試合前の有名人等を招いてのイベントやダンスイベントは神聖な場所を荒らす行為として嫌っているが、ピッチに立ち入らず試合・練習の妨げにならないイベント、スタジアム外でのイベントに関しては静観している面もある。
アウェイの試合でも2006年エコパ・清水エスパルス戦で試合前の女性バンド・GTPの新曲・冷凍みかん発表時のブーイング、小瀬・ヴァンフォーレ甲府戦でGK練習が始まっているのにダンスを続けた高校生に対するブーイング、前座試合の小学生にまでブーイングが飛ぶこともある
  • レディア、フレンディアの着ぐるみがスタジアムに登場しない(こどもの日の前後の試合など、例外あり)
  • 得点時に、スタジアムDJが「ゴーーーール」などと叫ばない(これは鹿島アントラーズも同じ)
  • 手拍子でベートーヴェンの交響曲第9番『合唱』を演奏(?)することがある
  • 優勝が決まった瞬間には、その第九を流すことがある

[編集] 浦和の街(浦和地区

現在、浦和地区(旧浦和市だった地域の事)には51万人が居住している。 浦和地区は、浦和区南区緑区桜区で構成されていて各区ごとにレッズ色がある。

  • 浦和区・・・・・文字通り浦和地区の中心部。かつてクラブ事務所があった地域。あらゆる所にレッズ色が伺える。聖地駒場スタジアムやクラブのオフィシャルショップレッドボルテージや練習場の大原サッカー場、選手の寮「吾亦紅(われもこう)」がある。他に、サポーターの集まる酒蔵 力やURAWA POINT、スマグラー、ティナ・ラウンジ、クウォーターを始めとする数々のお店が集中。レッズスクエア、レッズウェーブもこの区。浦和レッズに関する書物はここに来ればすべて揃うと言われる。特に書店の須原屋本店は浦和レッズ関連コーナーを常設しているほどである。(逆にこのエリアで販売してない書籍はどこに行っても手に入らない)
  • 南区・・・・・漫画・アニメ『赤き血のイレブン』の舞台のモデルである浦和南高校がある区。
  • 緑区・・・・・クラブの事務所とホーム埼玉スタジアム2002がある区。かつて、浦和美園を中心とする浦和の新総合練習場レッズタウン構想があったが、現在では構想の有無は不明。
  • 桜区・・・・・レッズランドのある区。
  • 番外編・・・・・隣接する川口市にはクラブ公認のショップを併設したRED GROOVEというショップ&カフェがある。また川口市も浦和に負けず劣らずJリーグ発足の以前よりサッカーの盛んな土地柄であり、過去には全国大会での優勝経験のある中学校も存在し、Jリーガーから転じて中学校教師となったサッカー指導者もいる。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

浦和レッドダイヤモンズ - 2007
1 山岸範宏 | 2 坪井慶介 | 3 細貝萌 | 4 闘莉王 | 5 ネネ | 6 山田暢久 | 7 酒井友之 | 8 小野伸二 | 9 永井雄一郎 | 10 ポンテ | 11 田中達也 | 12 堤俊輔 | 13 鈴木啓太 | 14 平川忠亮 | 15 エスクデロ | 16 相馬崇人 | 17 長谷部誠 | 18 小池純輝 | 19 内舘秀樹 | 20 堀之内聖 | 21 ワシントン | 22 阿部勇樹 | 23 都築龍太 | 24 坂本和哉 | 25 赤星貴文 | 26 中村祐也 | 27 西沢代志也 | 28 加藤順大 | 29 大谷幸輝 | 30 岡野雅行 | 未定 原口元気 |
監督 オジェック | コーチ エンゲルス | コーチ 池田太 | コーチ 大槻毅 | コーチ 広瀬治‎ | GKコーチ 土田尚史 |
クラブ |    編集
Jリーグ 2007
J1

鹿島アントラーズ | 浦和レッドダイヤモンズ | 大宮アルディージャ | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 柏レイソル | FC東京 | 川崎フロンターレ | 横浜F・マリノス | 横浜FC | ヴァンフォーレ甲府 | アルビレックス新潟 | 清水エスパルス | ジュビロ磐田 | 名古屋グランパスエイト | ガンバ大阪 | ヴィッセル神戸 | サンフレッチェ広島 | 大分トリニータ

J2

コンサドーレ札幌 | ベガルタ仙台 | モンテディオ山形 | 水戸ホーリーホック | ザスパ草津 | 東京ヴェルディ1969 | 湘南ベルマーレ | 京都サンガF.C. | セレッソ大阪 | 徳島ヴォルティス | 愛媛FC | アビスパ福岡 | サガン鳥栖

過去に存在したクラブ
横浜フリューゲルス

ナビスコ杯 | オールスターサッカー | チャンピオンシップ | 入れ替え戦 | アウォーズ

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