川崎市電
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川崎市電(かわさきしでん)は、川崎市交通局が運営していた路面電車である。
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[編集] 概要
市電川崎-塩浜間6.7km。軌間1435mm。電化方式は直流600V。全線現在の川崎区内を走り、かつ日本鋼管前(現在のJFE前交差点)以遠は臨港地区の工場地帯を走るため、朝夕のラッシュ時以外は閑散としたローカル線であった。太平洋戦争末期、工場労働者の足として急遽突貫工事で建設されたが、戦後は既に川崎区内に路線網を張り巡らせていた川崎鶴見臨港バスと戦後発足した川崎市バスによる路線競争に対して取り残された存在となり、経営合理化のため廃止された。
[編集] 沿革
- 1944年10月14日 川崎駅前-渡田五丁目間開業。川崎市運輸事務所が運営を担当
- 1945年4月11日 渡田五丁目-浜町三丁目間延長。
- 1945年12月6日 浜町三丁目-桜本間延長。東急大師線(現在の京急大師線)と連絡する。
- 1946年8月16日 川崎駅前-市電川崎間延長。
- 1947年7月8日 川崎市運輸事務所、川崎市交通部に改称。
- 1949年7月16日 日本鋼管前以遠を三線軌条として、夜間に国鉄の貨物列車を乗り入れて運行。
- 1952年1月1日 京浜急行電鉄より大師線桜本-塩浜間を買収。
- 1959年8月11日 川崎市交通部は川崎市交通局に昇格。
- 1962年 市電川崎(DICE前)-川崎駅前(さいか屋前)間、川崎駅前交通緩和のため廃止。
- 1967年6月1日 池上新田-塩浜間廃止。浜町三丁目-池上新田間を単線化し、三線軌条を取り止め。
- 1969年4月1日 川崎駅前-池上新田間廃止。
[編集] 車両
- 700形702号車 桜川公園(市バス桜橋バス停から徒歩2分)に保存
- 大正11年に東京市電(当時)1573型として製造
- 昭和22年に川崎市に払い下げられ、木製車体を鋼製車体に更新された。
[編集] 特徴のあった区間
- 国鉄貨物線共用区間
- 日本鋼管前-塩浜間。もともと専用軌道で、それまで日本鋼管専用線を代用していた国鉄貨物列車を運行するために、京浜急行電鉄と共に三線軌条を設置して対応した。川崎市には国鉄から施設利用収入が入った。1967年国鉄塩浜操車場の建設に伴い、池上新田-塩浜間を撤去し、残存区間を単線化。片側軌道敷を国鉄に譲渡し、もう片側の軌道のみで運行。桜橋電停にてタブレットによる交換を行った。
[編集] 車庫
- 渡田車庫 (成就院前)
[編集] 駅一覧
市電川崎駅 - 川崎駅前駅 - 商工中金前駅 - 第一国道駅 - 渡田新町駅 - 渡田三丁目駅 - 成就院前駅 - 小田栄町駅 - 昭和電線前駅 - 東渡田三丁目駅 - 日本鋼管前駅 - 浜町三丁目駅 - 浜町四丁目駅 - 桜橋駅 - 桜本駅 - 池上新田駅 - 日本鋼管池上正門前駅 - 入江崎駅 - 汐留橋駅 - 塩浜駅
※通常、路面電車は「駅」(「停車場」)では無く「停留所」「電停」と呼ぶが、ここでは便宜上「駅」を使用する。
[編集] 関連項目
- 京浜急行電鉄大師線
- 市電通り
- 幸区幸警察署前-川崎区JFE前間の道路の通称。その名の通り、1969年まで小川町からJFE前まで道路中央に市電が走っていた。廃止後かなりの年月が経った2007年現在もこの呼称が通用する。なお同市では、1951年~1967年の間トロリーバス(無軌条電車)も運行されていた。川崎市営トロリーバスを参照のこと。
- テレビドラマ『ダンドリ。』
- 川崎市電が静態保存されている川崎区桜川公園がしばしば登場する。
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