市橋有里
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
市橋 有里(いちはし あり、1977年(昭和52年)11月22日 - )は、徳島県鳴門市出身の元女子マラソン選手。元テレビ朝日(東京ランナーズ倶楽部のスポンサー)所属。身長157cm。
[編集] 略歴
- 東京都私立戸板女子高等学校卒業。高校時代の1995年に樹立した10000mの32分48秒03は2006年現在も高校記録である。
- 1997年3月 - 19歳で初マラソン。名古屋国際女子マラソンで、レース終盤まで優勝を争い、2時間29分50秒で4位。
- 1997年11月 - 二度目のフルマラソン。東京国際女子マラソンでは、34km過ぎで先頭から遅れ始め、2時間31分25秒で6位。
- 1998年11月 - 東京国際女子マラソンでゴール直前で浅利純子に抜かれて2時間28分29秒で浅利と同タイムながら第2位、世界陸上選手権セビリア大会代表に。
- 1999年8月 - セビリア世界陸上女子マラソンで、先頭集団に加わるも終盤に北朝鮮のチョン・ソンオクとの競り合いに敗れたが、2時間27分02秒で銀メダルを獲得し、シドニー五輪女子マラソンの内定代表に選ばれた。
- しかしその後の国内選考レースで山口衛里、弘山晴美、高橋尚子の三人が2時間22分台の好記録をマーク。その内弘山が落選した為、「何故4分以上もタイムが劣る市橋が内定されたのか」という疑問の声が殺到、市橋にとってはなんとも辛い代表選出となってしまった。
- 2000年9月 - シドニー五輪女子マラソン本番では、18Km付近で優勝した高橋尚子のスパートに自らもついていったが、25Km過ぎのアンザックブリッジ付近で腹痛を起こして遅れ始め、その後ズルズル後退。結局は弱点のスピード不足を露呈し、2時間30分34秒で15位に終わった。五輪の女子マラソンでメダルを狙うには明らかにスピードが不足しており、しかも浅利やソンオクに負けたことが示すように、競い合いに弱かった。
- シドニー五輪以後は故障に悩まされ、2001年12月のNAHAマラソン(2位、2時間35分59秒)等に出走した以外は、大きな大会の出場へは遠ざかっていた。またスピードに勝る年下の野口みずきや坂本直子らの後塵を排し、最大の目標としていたアテネ五輪女子マラソンの出場もかなわなかった。
- 2005年8月には、2002年11月の東京国際女子マラソン(30Km付近で途中棄権)以来のマラソン出場となる北海道マラソンに出場したが優勝した千葉真子に大きく差をつけられ15位(2時間44分32秒)に終わった。
- 2006年、度重なる故障が回復しない事を理由に東京ランナーズ倶楽部を退部。翌2007年、結婚を機に同年2月開催の東京マラソン(3時間2分48秒、20位)を最後に、第一線を退いた。なお、現役引退後も各地の市民レースで、ゲストランナーとして出走等の活動を行う予定である。
[編集] 自己ベスト
- 2時間27分02秒