幾原邦彦
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幾原 邦彦(いくはら くにひこ、男性、1964年12月21日 - )は、徳島県小松島市出身のアニメ監督、プロデューサー、小説家、マンガ原作者。
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[編集] 略歴
1986年に東映動画(現東映アニメーション)へ入社して以来、『美少女戦士セーラームーンシリーズ』のシリーズディレクターを務めるなど、数々のアニメ制作に携わって来た。
1993年に公開された監督作品、『劇場版美少女戦士セーラームーンR』は、多くの観客が涙した、子供映画の枠を超えた傑作。
1996年には東映動画を退社し、『少女革命ウテナ』の企画や制作を行うクリエイター集団「ビーパパス」を結成、主宰。 1997年に放映されたテレビアニメーション『少女革命ウテナ』は、宝塚的なビジュアルと、故寺山修司の舞台音楽家であったJ・A・シーザーのアンダーグラウンド的楽曲をミックスした、アバンギャルドな作品。
2001年には平成13年度文化庁派遣芸術家在外研修員(メディア芸術)として1年間、アメリカ(ロサンゼルス)に派遣された。
2006年にファッション誌『KERA』に『ノケモノと花嫁』を連載開始。キャラクターのファッションを映画『下妻物語』のBABY, THE STARS SHINE BRIGHTとコラボレートしている。
[編集] その他
本人の派手なルックスから、メディアでは“アニメ界のビジュアル系”という冠で紹介されることがある。
学生時代に故寺山修司の演劇実験室◎天井桟敷に傾倒していたことから、演劇への造詣は深い。幾原は、天井桟敷で音楽を担当していたJ.A.シーザーと親交があり、そのことがシーザーの少女革命ウテナへの起用に繋がった。
庵野秀明と親交があり、庵野がエヴァンゲリオン以降、突然、演劇に目覚めたのは、幾原の助言があったからだと言われている。
評論家の東浩紀は、折にふれて幾原邦彦の言葉を自説に引用している。「最近の若い人はすごく近いことと、すごく遠いことしかわからない。恋愛問題や家族問題のようなきわめて身近な話題と、世界の破滅のようなきわめて抽象的な話とが、彼らの感覚ではペタっとくっついてしまっている」という幾原の発言である。東は、幾原の言葉をラカンの言葉で言い換えて論じている。いわく彼らの脳内では、非常に遠い抽象的なこと(世界の破滅など)が「現実界(ル・レエール)」の出来事であり、逆に非常に近いこと、肉親や恋人ととの人間関係、つまりほとんど肉体関係に還元されるような世界は「想像界(リマジネール)」の出来事であるというのである。東は、その現実界と想像界との中間には「象徴界(ル・サンボリック)」が存在すると言い、それをもって若者たちの脳内価値、セカイ系を説明しようとしている。
[編集] 主な参加作品
テレビアニメ
- 『もーれつア太郎』(新)(演出、演出助手)
- 『きんぎょ注意報!』(演出、絵コンテ)
- 『美少女戦士セーラームーン』シリーズ
- 『美少女戦士セーラームーン』(演出)
- 『美少女戦士セーラームーンR』(演出、60話よりシリーズディレクターも務める)
- 『美少女戦士セーラームーンS』(演出、シリーズディレクター)
- 『美少女戦士セーラームーンSS』(演出、シリーズディレクター)
- 『少女革命ウテナ』(原案、監督)
- 『のだめカンタービレ』(OP絵コンテ・演出)
劇場版アニメ
- 『劇場版美少女戦士セーラームーンR』(監督)
- 『少女革命ウテナ アドウレセンス黙示録』(原案、監督)
ミュージカル・演劇
- ミュージカル『少女革命ウテナ』(監修、脚色)
- 演劇『少女革命ウテナ~麗人ニルヴァーナ来駕』(原案、監修)
CD
- 少女革命ウテナ『絶対進化革命前夜』(ボーカル)
- 少女革命ウテナ『バーチャルスター発生学』(ボーカル)
- 少女革命ウテナ『体内時計都市オルロイ』(ボーカル)
- 少女革命ウテナ『麗人ニルヴァーナ来駕 ボクのアンドロギュヌス』(ボーカル)
- 川上とも子ファーストアルバム『ADOLESCENCE DOLL』(プロデュース)
- Schell:Bullet『サナフス68』(プロデュース・ボーカル)
OVA
- 『トップをねらえ2!』(2話・絵コンテ)
[編集] 出版物
- 漫画『少女革命ウテナ』 (原作ビーパパス漫画さいとうちほ)
- 漫画『SとMの世界』 (原作ビーパパス漫画さいとうちほ)
- 小説『Schell Bullet』(永野護との共著)
- 小説『ノケモノと花嫁』(連載『KERA』 イラスト中村明日美子)