復興小学校
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復興小学校(ふっこうしょうがっこう)は、関東大震災後に復興事業の一環として建築された一連の小学校の総称。
[編集] 経緯
1923年に発生した関東大震災により、東京市立小学校は大きな被害を受けた。全195校のうち無傷で残ったものは2校にすぎず、約2/3が倒壊・焼失した。
復興事業にあたり東京市は、不燃化構造とするため鉄筋コンクリート建築を採用した。また、52の学校では、公園を併設するなどの試みも行われている。これは都市計画の中に小学校を位置づけて災害時の避難所としても使えるようにしたものである。設計規格は東京市臨時建設局が作成した統一規格によるが、外観デザインはそれぞれに独自のものとされており、町の顔として時代の意匠をまとった凝ったものが多い。
復興小学校として建築された小学校は全部で117校。建設時期は1924年から1935年にかけての時期(多くは1928年頃までに完成している)。
なお、同時期に建設された鉄筋コンクリート造りの学校建築の中にも、厳密には復興小学校ではないものが含まれている。
- 改築小学校
- 校舎の被害はさほど大きくなかったが、ついでなので鉄筋コンクリート建築によって建て直したもの。
- 更にそれ以外
- 震災前には小学校として存在していなかったが、震災後に鉄筋コンクリート建築の校舎を新築して開校したもの。
[編集] 現存する代表的な復興小学校
- 2006年現在も小学校の現役校舎として使われている。東京都選定歴史的建造物に認定されている。
- 阪本小学校(中央区日本橋兜町15-18) 1928年
- 2006年現在も小学校の現役校舎として使われている。なお、本校は1873年(明治6年)に「第一大学区第一中学区第一番小学阪本学校」として開校した、都内最古の小学校のひとつであり、文豪谷崎潤一郎の母校としても知られる。次の外部リンク参照「阪本小学校[1]」
- 九段小学校(千代田区三番町16) 1926年
- 建設当時は「上六小学校」。2006年現在も小学校の現役校舎として使われている。
- 京華小学校(中央区八丁堀3-17-9)
- 小学校としては廃校になり、中央区の施設「京華スクエア」として使われている
- 窪町小学校(文京区大塚3丁目)
- 2006年現在も小学校の現役校舎として使われている。耐震性能などの向上を目指した全面改修工事が行われている。なお、本校校舎は狭義の「復興小学校」には含まれない(「改築小学校」にあたる事例)。
- 坂本小学校(台東区下谷1-12-8) 1926年
- 黒門小学校(台東区上野1-16-20) 1930年
- 2006年現在も小学校の現役校舎として使われている。
- 常盤小学校(中央区日本橋本石町4-4-26) 1929年
- 2006年現在も小学校の現役校舎として使われている。東京都選定歴史的建造物に認定されている。
- 城東小学校(中央区八重洲2-2-2) 1929年
- 建設当初は「京橋昭和小学校」。2006年現在も小学校の現役校舎として使われているが、在校児童数が100名を切っており、今後廃校になる可能性も考えられる。
- 明石小学校(中央区明石町1-15) 1925年
- 2006年現在も小学校の現役校舎として使われている。
- 早稲田小学校(新宿区早稲田南町25) 1928年
- 高輪台小学校(港区高輪2-8-24) 1935年
- 2006年現在も小学校の現役校舎として使われている。耐震性能などの向上を目指した全面改修工事が行われている。東京都選定歴史的建造物に認定されている。いわゆるモダニズム系のデザインであり、あまり古い建物には見えない。なお、本校校舎も狭義の「復興小学校」には含まれない(震災後に開校したため)。
- 明化小学校(文京区千石1-13-9)
- 2006年現在も小学校の現役校舎として使われている。
- 広尾小学校(渋谷区東3-3-3) 1932年
- 2006年現在も小学校の現役校舎として使われている。東京都選定歴史的建造物に認定されている。建築当時は校舎の隅に消防署が併設され、消防車用の車庫と望楼が組み込まれた(1947年に消防署は移転)。様式はインターナショナル・スタイル。