料理バンザイ!
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料理バンザイ!(りょうりばんざい!)は1982年4月-2002年3月31日までテレビ朝日で毎週日曜18:00-18:30放送されていた、雪印企業グループ(雪印乳業、雪印食品、雪印ローリー(現・カゴメラビオ)、雪印種苗)独占提供の料理番組である。テレビ朝日とKANOXによる共同制作番組。
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[編集] 概要
[編集] トーク料理番組としての手法
俳優の滝田栄が司会を務め、毎週ゲストと料理をしながら、トークするスタイルの原型といえる料理番組だった。番組の中ごろには今話題のレストランを紹介する「たまに行くならこんな店」や、滝田とアシスタントが雪印企業グループ製品を使ったドラマ仕立てで料理をするCMコーナーがあった。「たまに行くならこんな店」で三代目レポーターを務めた川野太郎の食事をする姿勢が大変良く、カッコいいと話題になった。
[編集] 番組DJの登場
マンネリ化を打破する目的で、1998年4月からはケイ・グラントが番組DJを務め、滝田と他のアシスタントは「進行役」と言う風の体裁になった(TBSの『クイズ100人に聞きました』で使われていたプロットを流用)。
[編集] 番組の終焉
しかし、2000年に雪印乳業集団食中毒事件が発生し、CMを公共広告機構に差し替えてスポンサーを一時降板。さらに2002年には関連会社の雪印食品による雪印食品牛肉偽装事件による不祥事で再びCMを公共広告機構に差し替えとなった事と裏番組に人気を奪われていた事により番組の打ち切りが決定となり、2002年3月31日の放送をもって20年の歴史に幕を閉じることとなった。
なお、元々は「雪印乳業集団食中毒事件」の影響による視聴率低迷から、スポンサーの雪印企業グループ各社が「雪印食品牛肉偽装事件」発覚以前から、2002年3月末で降板の申し出を希望していた説もある。また、末期には裏番組でフジテレビの『ちびまる子ちゃん』等にも人気を奪われていた。
2002年3月31日に放送された最終回の番組終了直後にはスポンサーの雪印企業グループ各社から視聴者への謝罪とお詫び、これまでの番組応援に感謝するコメントを発表したCMが3分間にわたって流れていた。
[編集] 後番組
2002年4月7日からは、後番組として雪印企業グループの支援をした全農の1社提供による『隠れ家ごはん!~メニューのない料理店~』がスタートした。
[編集] 歴代アシスタント
- 小林幸子(1982年4月~1984年3月)
- 鮎川いずみ(1984年4月~1988年3月)
- 酒井和歌子(1988年4月~1992年3月)
- 塚田きよみ(1992年4月~1993年3月)
- かとうかずこ(1993年4月~1994年3月)
- 有賀さつき(1994年4月~1996年3月)
- 中村あずさ(1996年4月~1998年3月)
- 高樹沙耶(1998年4月~2000年12月)
- 鈴木杏樹(2001年1月~2002年3月) ほか
[編集] 「たまに行くならこんな店」歴代リポーター
男性
女性
[編集] 番組DJ
- ケイ・グラント(提供読みも担当していた。また、特番では顔出し出演している。)
[編集] 予告ナレーター
[編集] スタッフ
- 構成 : 北村のん
- 技術 : 小川信明
- 美術 : 中嶋美津夫、坂根洋子
- ディレクター : 久保木の実、高橋史典
- プロデューサー : 掛下千恵子(テレビ朝日)、雨笠明男(KANOX)
- 技術協力 : 東通、ビジョン・ユニバース
- 美術協力 : アックス
- 制作 : テレビ朝日、KANOX
[編集] 補足
この番組終了して3ヵ月後、2002年7月の『徹子の部屋』にオダギリジョーがゲスト出演。幼い頃、日曜の夕方は自宅にいて、母親と一緒に見てた事とアメリカで役者修行から帰国してからも毎週欠かさず見てたことを語っていた。さらににオダギリは家庭の味を楽しんで見られる番組が終了して残念であると語った。突然の終了で惜しむ視聴者が多い料理番組の代表である。
[編集] 番組の移り変わり
テレビ朝日系 日曜18時台前半 | ||
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日曜夕刊!こちらデスク (日曜18時台後半に移行) |
隠れ家ごはん!~メニューのない料理店~ |
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