日本商事
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日本商事株式会社(にほんしょうじさぶしきがいしゃ)は、かつて大阪市中央区石町2-2-9に本社を置いていた、医薬品・医療機器・医療用検査試薬・介護用品・健康食品・一般用医薬品等の卸売販売及び医薬品輸入販売・医薬品製造業をおこなう企業であった。
大阪証券取引所第二部に上場していた。医薬品のR&D(研究開発)、生産、販売の一貫体制を整えていたが、1993年に発覚したソリブジン薬害事件、及び同事件を発端とするインサイダー取引で対外信用は悪化。再編を繰り返して現在は「アルフレッサ」である。
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[編集] 沿史
- 大正9年3月 フィリピン・マニラ市に中島茂が「中島茂商店」を創立
- 昭和9年3月 大阪府大阪市に「中島茂商店大阪支店」を設立
- 昭和14年12月 「中島茂商店大阪支店」を改組し資本金10万円で「中島商事株式会社」を設立
- 昭和27年7月 「中島商事株式会社」を「日本商事株式会社」に商号変更
- 昭和29年5月 「大商薬品株式会社」と共同で福岡県に「大福薬品」(昭和38年磯部商会と合併)設立
- 昭和31年7月 「東京営業所」(後の東京支店)開設
- 昭和32年10月「名古屋営業所」(後の名古屋支店)開設
- 昭和36年1月 茨城市に「茨城製薬工場」を設立し医薬品製造業開始
- 昭和37年1月 「日本商事株式会社・東京営業所」(後の東京支店)開設
- 昭和38年4月 「福岡営業所」(後の福岡支店)開設
- 昭和41年7月 千葉県東葛飾郡に「東京工場」設立し医療用器具製造開始
- 昭和39年10月 「広島営業所」(後の広島支店)開設
- 昭和41年10月 「札幌営業所」(後の札幌支社)開設
- 昭和43年10月 「仙台営業所」(後の仙台支社)開設
- 昭和45年5月 「大商薬品株式会社・資本金4,500万円」を合併
- 「門真営業所」(後の門真支店)・「奈良営業所」(後の奈良支店)を開設
- 昭和45年9月 「和歌山営業所」(後の和歌山支店)開設
- 昭和45年12月 「京都営業所」後の京都支店)開設
- 昭和45年12月 「株式会社大阪ミドリ十字」の営業権を譲受
- 昭和46年6月 「神戸営業所」(後の神戸支店)開設
- 昭和47年1月 茨城県茨城市に「医薬研究所」を設立
- 昭和48年8月 「門真配送センター」設立
- 昭和50年8月 「阪南支店」開設
- 昭和52年8月 「滋賀営業所」(後の滋賀支店)開設
- 昭和53年 奈良県の「浦西薬品」を合併
- 昭和55年11月「株式会社松山済生堂」の営業権を譲受
- 昭和56年4月 岡山県勝田郡に「岡山製薬工場」設立し「茨城営業所」を廃止
- 昭和56年7月 「岡山配送センター」設立
- 昭和61年12月 連結会社として「日商物流サービス株式会社」設立
- 平成2年10月 「東京配送センター」設立
- 平成3年6月 「大阪証券取引所第二部」に上場
- 平成5年 ソリブジン事件発覚。薬害に加えインサイダー取引も明らかになる
- 平成6年4月 「山尾薬品・資本金8,000万円」を合併し「京都支店」として発足
- 平成8年3月 連結子会社として「青島耐絲克医材有限公司」設立
- 平成8年3月 北海道の「ホシ伊藤」と資本・業務提携
- 平成8年5月 京都府久世郡に「京滋物流センター」設立
- 平成8年7月 千葉県東葛飾郡に「千葉工場」設立し「東京工場」廃止
- 平成8年9月 大阪証券取引所第一部銘柄に指定
- 平成8年11月 「ホシ伊藤」と共同出資で「株式会社メディカルニッセイ」設立
- 平成10年10月 「日本商事株式会社」と「昭和薬品株式会社・資本金2億8,800万円」が合併し「株式会社アズウェル」に商号変更
[編集] 主な取引メーカー
- エーザイ
- 三共
- ミドリ十字
- 山之内製薬
- 大日本製薬
- 協和発酵
- 住友製薬
[編集] 備考
- 医薬品の製造メーカーであり、医薬品卸業も兼務する企業であった。
- 製造工場・岡山県勝田郡勝中町太平台18・千葉県東葛飾郡関宿町東高野74。日本商事の製造事業はアルフレッサ ファーマが引き継いでいる。
- 1981年に業界初の受注入力音声応答システムを導入、その後、1988年には薬局向けPOSシステム、翌年は、業界VANを設立し、自動発注・在庫管理システム「NEO-SYS」などのソフト開発も手掛けた
- 1990年、インテリジェント物流センターを建設
- 製造分野では、欧米の有力製薬メーカーの代理店としてスタートしたが、1961年には大阪府茨城市に製薬工場を建設し、医薬品の生産を開始する
- 1966年千葉県に「東京工場」を建設し、手術用縫合糸の生産を開始する「ネスコスーチャー」といったトップブランドも生産している
- 1970年医療用検査試薬の製造開始
- 1981年岡山県に「岡山工場」を建設
[編集] ソリブジン薬害事件
- 1979年(昭和54年)ヤマサ醤油が「ソリブジン」合成し、1985年(昭和60年)から共同開発を進めた。
- 1993年(平成5年)9月3日、抗ウイルス剤の商品名「ユースビル」を発売。しかし、発売後1ヶ月足らずでフルオロウラシル系抗癌剤との併用で重篤な副作用が発生する。10月8日に中央薬事審議会の副作用報告調査会が開催され、厚生省(現・厚生労働省)から医療機関に対する「緊急安全性情報(イエローカード)」の配布指示がある。10月2日に「相互作用で7人が重い副作用、うち3人が死亡」と報道機関へ発表。10月3日、大阪証券記者クラブにて重篤な副作用の発現と製品の一時出荷停止を発表。代理店に対して一時出荷停止を指示。12日に「自主的安全性情報」、13日に「緊急安全性情報」を医療機関に配布し、11月1日より自主回収を実施。結果23例で副作用発現(うち死亡14例)となった。
- 1994年(平成6年)3月5日、「ソリブジン」による同社株のインサイダー取引疑惑が持ち上がる。「ソリブジン」の相互作用による副作用で死亡事故が発生したことが公表されるまでに、社員や関係者が当社株式を売却し株価下落の損失を回避したことが証券取引法違反(インサイダー取引禁止)に問われた。この為、社長の服部孝一が辞任する。
- 詳細は[1]を参考