日本舞踊
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日本舞踊(にほんぶよう)は、Japanese danceの和訳、つまり日本のダンスの総称である。舞踊とは、坪内逍遥と福地源一郎による造語で、日本の伝統的なダンスである舞(まい)と踊(おどり)をくっつけたもの。逍遥の「新楽劇論」(明治37年)で使われてから広く用いられるようになった。近年日本舞踊の国際化に伴い欧米諸国やアジアにも Nihon Buyo という呼称が定着しつつある。
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[編集] 舞とは
舞(まい、旧かな表記まひ)とは、歌や音楽に合わせて、すり足などで舞台を回るもの。神楽・舞楽・白拍子・延年・曲舞・幸若舞・能楽・地唄舞などが当たる。
[編集] 踊とは
踊(おどり、旧かな表記をどり)とは、歌や音楽に合わせて、足を踏み鳴らしリズムに乗った手振り・身振りをするもの。念仏踊・盆踊などが当たる。
[編集] 日本舞踊とは
以下のうち、一般に日本舞踊とは歌舞伎舞踊・上方舞を指す。
- 民間の祭礼などで演じられる舞
- 宮廷の祭祀に奉納される舞
- 歌+舞のスタイルをとるもの
- 演劇化した舞
- 能楽(のうがく)
- 座敷でする舞
- 上方舞(かみがたまい)
- 民衆娯楽の踊り
- 演劇化した踊り
- 歌舞伎舞踊(かぶきぶよう)
- 日本武術を踊りとしたもの
- 近代以降の舞踊
- 新舞踊、歌謡舞踊
[編集] 日本舞踊の流派
現在では、約200流派以上が存在している。
その中でも5大流派と呼ばれているのは下記のとおりである。
- 花柳流(はなやぎりゅう)
1849(嘉永2)年、花柳壽輔が創始。花柳壽輔は4世西川扇藏に学び、歌舞伎舞踊の振付師として重きをなした。最初は家庭の子女の舞踊として浸透したが、今は組織力の強さで最大の流派(名取り数約15000名)となっている。当代は3代目。花柳壽輔 (3世)も参照。
- 藤間流(ふじまりゅう)
藤間勘兵衛が宝永年間に創始。茅場町の勘十郎家・浜町の勘右衛門家に分かれる。歌舞伎役者には藤間姓が多い。三世藤間勘右衛門が松本流を派生させる。
- 若柳流(わかやぎりゅう)
初世花柳壽輔の門から出た花柳芳松が、1893(明治26)年に若柳吉松(のち寿童)と改名して創始。花柳界で発展したため、手振りが多く、品のある舞踊である。
- 西川流(にしかわりゅう)
元禄時代に始まり、2世西川扇藏が確立した。三百年の歴史を有し、当代は十代目である。
- 坂東流(ばんどうりゅう)
3代坂東三津五郎を祖とする。3代は初代の子で、舞踊の名手として化政期の代表的俳優だった。
また、この5大流派の他にも東映チャンバラ時代劇映画の黄金期を支えた名優・東千代之介を輩出した若菜流など、舞踊のみならず芸能や演劇の分野に著名人を輩出してきた流派も数多い。