明石花火大会歩道橋事故
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明石花火大会歩道橋事故(あかしはなびたいかいほどうきょうじこ)は、2001年7月21日に発生した群集事故。死傷者258人の大惨事であり、加えて警察の警備体制の不備、事故後の対応が問題となり、マスコミで大々的に報じられた。
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[編集] 事故の概要
2001年7月20日より明石市大蔵海岸にて第32回明石市民夏まつり花火大会が行われた。同催しの日程で2日目となる21日の午後8時半頃、JR朝霧駅南側の歩道橋において、駅方面から殺到した見物客と会場方面から殺到した見物客とが鉢合わせとなった際に将棋倒しが発生。死者11名(内訳:10歳未満9名・70歳以上2名)と重軽傷者247名を出す大惨事となった。
[編集] 原因
- 海岸と駅との間には国道2号線が走っており、歩道橋でしか連絡がなかったため、ここがボトルネックとなり歩道橋上で駅に向かう人の流れと、駅に戻る人の流れが衝突し、滞留が発生した。
- 混雑している中にもかかわらず、乳母車を押した人が無理に歩道橋を通ろうとした(なお乳母車業界からの抗議を恐れてか、この事はマスコミは一切報じなかった)[要出典]
- 歩道橋から続く市道に夜店が並び、混雑に拍車をかけた。
- 当日は蒸し暑く、さらに歩道橋が透明なプラスチックの側壁に覆われた構造のため蒸し風呂状態となり、心理的に焦りが発生した。
[編集] 警備上の問題
事故後、警察の対応や警備計画の問題点が次々と浮き彫りになった。
- 2000年12月31日に行われた世紀越えカウントダウン花火大会のときにも同じような滞留が起きていた。このときは幸いに負傷者が出なかったが、この問題点を全く生かせなかった。
- 明石市、兵庫県警察(明石警察署)、警備会社のニシカン(現エヌ・ケイ・セキュリティ)との間で事前の警備計画の協議が不十分であり、上記世紀越えイベントの警備計画書を丸写しにするなどしていた。
[編集] 裁判
[編集] 民事訴訟
9遺族が明石市、兵庫県警察、ニシカンを相手に民事訴訟を起こし、2005年6月28日、神戸地方裁判所は3者に計約5億6800万円の賠償を命じた。原告、被告ともに控訴せず判決は確定。
[編集] 刑事裁判
刑事裁判では兵庫県警が計画策定と当日警備の両方の業務上過失致死傷容疑で、明石署、明石市、ニシカンの当時の担当者ら計12人を書類送検し、うち当日警備の5人を神戸地検が在宅起訴。神戸地裁で2004年12月17日、警察1名、ニシカン1名に禁固2年6月の実刑、市3名に禁錮2年6月・執行猶予5年の有罪判決が言い渡された。全員が控訴したが、明石市の次長はその後2005年2月に控訴を取り下げている。2007年4月6日、大阪高裁は1審の判決を支持し、4被告人の控訴を棄却した。
一方、書類送検されながら不起訴になった明石署の署長・副署長について、神戸検察審査会が2度、起訴相当と議決したが、いずれについても神戸地検は不起訴とした。この業務上過失致死罪についての時効は2006年7月21日であり、時効が成立した。しかし2006年11月、遺族側は元署長らに対して3度目の審査申し立てを行なう方針を決めた。これは2004年5月に公布され、2009年5月までに施行予定の改正検察審査会法により、「同一の事件について起訴相当と2回議決された場合には必ず起訴される」と定められたためである。そして刑事訴訟法によると、共犯者の公判中は時効が停止するとの規定がある。現在高裁で公判中の明石署の担当者との共犯関係があると解釈されれば起訴できると遺族側は見ており、改正検察審査会法の施行後に審査申し立ての方針を行なうとの事。
[編集] 影響
- この事故を受け、同年の多くの花火大会が中止となり、警備上の問題があるイベントについても中止、縮小等を余儀なくされた。
- 事故発生当時の岡田進裕市長は、この事故と、同年12月に発生した大蔵海岸の陥没事故の責任を取って、任期途中の2003年の統一地方選挙前に辞職した。
- 翌年に開催されたワールドカップ日韓大会では開催地周辺で臨時列車が多く運行されたが、このうち、横須賀線・総武快速線への直通電車は、当初鹿島サッカースタジアム駅まで乗り入れる予定であったが、この事故を教訓として小さな駅における混乱を未然に防ぐ目的で鹿島神宮駅に短縮された。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 明石花火大会歩道橋事故遺族原告団のホームページ
- 明石歩道橋事故の経過 (神戸大学 室崎・北後研究室)
- 神戸新聞Webニュース
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