月亭文都
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
月亭 文都(つきてい ぶんと、1843年 - 1900年4月25日)は、大阪市中央区空堀生まれの上方噺家。本名は岡田亀吉。享年57。
生家は曲物職人。20歳前より素人落語に加わり、春吉を名乗る。後、桂文東門下となり、師・文東が九鳥と改名した時、文當と改める。1872年、初代桂文枝門下に移り、2代目桂文都を襲名。一方、『落語系圖』の説によれば、初め2代目立川三玉齋門下で九玉を名乗り、後に初代桂文枝門下に移り、4代目桂文當、2代目桂文都を襲名したという。文當の時代には胡弓と即席噺を得意とし、絹パッチの粋な姿で高座を賑わせた。後、同門の桂文三(後の2代目桂文枝)、桂文之助(後の2世曽呂利新左衛門)、桂文團治と共に至芸を称えられ、当時の「四天王」と呼ばれる。
1874年4月3日、師匠の初代文枝が亡くなると、一門の文三と文都の間で2代目襲名問題が起こり、それに敗れた文都が、江戸時代の月亭生瀬以来となる「月亭」を名乗り、桂派を離脱。ちなみに「月亭」の亭号の由来は、古代中国神話で「月には桂の木が生えている」とされることからで、「桂」が生えているのは「月」があってこそ、という文都の自負心が込められている。
1893年10月、3代目笑福亭松鶴、初代笑福亭福松、2代目桂文團治らと共に三友派を立ち上げ、2代目文枝とその一門の桂派と競い合った。法善寺の「紅梅亭」を本拠地に、平野区の「此花館」、北陽(現在の北新地周辺)の「永楽館」、堀江(現在の大阪市西区周辺)の「賑江亭」等を定席としていた。『夢八』『せむし茶屋(卯の日参り)』『浮世床』『三年酒(神道又)』『らくだ』などを得意とした。
愛敬には欠けるが名人肌で、本格的な芸風であったという。四角四面の顔で「三味線の胴」とあだ名されたが、この四角い顔で表情を変えないのが、人口に膾炙した文都の姿であった。最愛の妻が胃癌の為に死去した際(本人の死去の際という説もある)、その臨終の床で『仮名手本忠臣蔵』六段目・勘平の名台詞「かくなり果つるは理の当然」を洒落て、「カク(癌の古名)なり果つるは理の当然」と、仏頂面で言ったという。
後年は見台を使わず、初代文枝門下らしく素噺を得意とした。最後の高座は、1900年1月26日、此花館での『新町ぞめき』で、話の後に胡弓を弾いたという。辞世の歌は「蓮の葉の上はあぶなし閻王の帳場で鬼の顎をはずさん」。
後に文都の名は、上方では3代目桂文都、その弟子で実子の4代目桂文都に引き継がれている。
ちなみに、他に月亭を名乗っていた落語家では、1800年代に活躍した後に戯作者に転向した月亭生瀬や、1929年出版の『落語系圖』を編纂した弟子の月亭春松の他、同じく弟子の月亭都勇、その実子の月亭小勇(後の2代目月亭小文都、3代目三遊亭圓馬)らがいる。
現在、月亭を名乗っているのは、月亭可朝以下、その弟子筋のみ。
戦後の1975年、俳優の早川雄三が映画『鬼の詩』の中で文都役を演じている。