木村庄之助
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木村 庄之助(きむら しょうのすけ)は大相撲の立行司の名前である。また、行司の最高位でもある。現在は式守伊之助を経ており、先代の木村庄之助が引退して空位になった場合に襲名することができ、2006年5月場所までで33代目となっている。
軍配には紫の房、装束は明治以後は紫の菊綴じを着用し、短刀を差す。短刀は、差し違いをしたときには切腹する覚悟でのぞむという意味がある。代々受け継がれている軍配 (「ゆずり団扇」とも呼ぶ) は2本ある。1本は、1面に「知進知退 随時出処」、もう1面に「冬則龍潜 夏則鳳挙」と記されており、13代木村庄之助以来のものである。もう1本は白檀製で、1面に牡丹、もう1面に唐獅子の彫金が施されており、1971年1月に宝塚市の清澄寺 (清荒神) から贈られたものである。
ちなみに軍配は右手で持つのが原則であるが、現存する錦絵によると、7代(通称)木村庄之助のみは左利きのため、左手に軍配を持っていた(現在では禁止されている)。なお代数に関しては、6代目が3代分の水増しを行い、自ら9代目を名乗ったとする説もあり、現在でもはっきりしていない。
本場所では通常、結びの1番のみを合わせる。ただし、千秋楽の優勝決定戦で庄之助が合わせることがあり、このときには1日2番を担当している。
[編集] 庄之助の代々
代目 | 襲名期間 | 備 考 |
---|---|---|
初代 | 不明 | |
2代 | 不明 | |
3代 | 不明 | |
4代 | 明和8年-明和11年? | |
5代 | 寛政11年-文政7年? | |
6代 | 不明 | |
7代 | 不明 | |
8代 | 1800年4月場所-1824年1月場所 | 後に木村松翁 |
9代 | 1824年10月場所-1834年10月場所 | 2代木村瀬平を襲名 |
10代 | 1836年2月場所-1838年10月場所 | 9代庄之助の再勤 |
11代 | 1839年3月場所-1844年10月場所 | |
12代 | 1845年2月場所-1853年2月場所 | |
13代 | 1853年11月場所-1876年4月場所 | 年寄・木村松翁を襲名 |
14代 | 1877年1月場所-1885年1月場所 | |
15代 | 1885年5月場所-1897年5月場所 | 年寄・木村松翁を襲名 |
16代 | 1898年1月場所-1912年1月場所 | |
17代 | 1912年1月場所-1921年5月場所 | |
18代 | 1922年1月場所-1925年5月場所 | |
19代 | 1926年1月場所-1932年5月場所 | |
20代 | 1932年10月場所-1940年1月場所 | 木村松翁 |
21代 | 1940年5月場所-1951年5月場所 | 12代立田川を襲名 |
22代 | 1951年9月場所-1959年11月場所 | |
23代 | 1960年1月場所-1962年11月場所 | 式守伊之助を経験せず |
24代 | 1963年1月場所-1966年7月場所 | |
25代 | 1966年9月場所-1972年1月場所 | |
26代 | 1973年1月場所-1976年11月場所 | |
27代 | 1977年11月場所-1990年11月場所 | |
28代 | 1991年1月場所-1993年11月場所 | |
29代 | 1995年1月場所-2001年3月場所 | |
30代 | 2001年11月場所-2003年1月場所 | |
31代 | 2003年3月場所-2005年11月場所 | |
32代 | 2006年1月場所 | |
33代 | 2006年5月場所-2007年3月場所 | |
34代 | 2007年5月場所- |
[編集] 参考文献
33代木村庄之助・根間弘海 (2006) 『大相撲と歩んだ行司人生51年 -行司に関する用語、規定、番付等の資料付き- 』、英宝社。