桜田武
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櫻田武(さくらだ たけし、1904年(明治37年)3月17日 - 1985年(昭和60年)4月29日)は、昭和の経営者。日清紡績元社長。ミスター日経連。「財界四天王」の一角。広島県福山市赤坂町出身。福山市名誉市民。
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[編集] 経歴
1904年、櫻田斉・仲子の長男として沼隈郡赤坂村(現在の福山市赤坂町)に生まれる。広島高師附属中学校、第六高等学校を経て1926年(大正15年)に東京帝国大学法学部を卒業し、日清紡績に入社。当時社長であった宮島清次郎の目に留まり要職を歴任、戦後の1945年に弱冠41歳で社長に就任し、日清紡績を産業界髄一の企業に育て上げた。財界活動にも積極的な姿勢を見せ、日経連設立に尽力し、日経連が創設されると1949年に総理事となり、1960年には代表常任理事、1974年には会長に就任した。その結果、池田勇人内閣時には、永野重雄、小林中、水野成夫とともに「財界四天王」(三鬼陽之助が命名)と呼ばれるようになり、1985年に81歳でなくなるまで、政界、財界に多大なる影響を与え続けた。
[編集] 日経連会長として
春闘ベースアップが1972年16%、73年21.7%と高水準で推移していた中、73年秋に第一次オイル・ショックが起こり、インフレが急速に進んだ。その影響を受けた翌74年は32.9%という史上最高水準を記録した。戦後初めて実質マイナス成長となった(高度経済成長が終焉した)こともあり、日本経済の行方に危機感を覚えた櫻田は74年5月に「大幅賃上げの行方研究委員会」を日経連内に設置し、有識者を交え議論を尽くした。その結論は、急速なインフレ進行の原因は、実質経済成長率が低下しているにも関わらず、大幅な賃上げが実施されていることであるとし、生産性の範囲内で賃上げを実施する必要性を宣言し労使に大幅な賃上げ自粛を求め、ベースアップ率を75年は経過措置として15%以下で、76年以降は1桁台とするガイドラインを設定した。その結果、75年の春闘ベースアップは13.1%に急降下、76年には8.8%の1桁台となり、急速なインフレは終息し日本経済の混乱は避けられた。その後、「大幅賃上げの行方研究委員会」は「賃金問題研究会」→「労働問題研究委員会」→「経営労働政策委員会」(日本経団連)と引き継がれ今日まで存続、毎年発行される報告書は日本経済の諸課題、企業の課題を踏まえた経営のあり方を示す指針として広く読まれている。
[編集] エピソード
- 櫻田の師、宮島清次郎に政府から叙勲の話があった時、「男が民間で一生をかけてやった仕事に役所が一等だ、二等だとランクづけするのはおかしい。櫻田行って断って来い」との命を受け、辞退の使者役となった。櫻田自身にも当然叙勲の話があったが、師・宮島に倣い叙勲を辞退した。
- 1949年、50年頃、後に首相となる池田勇人蔵相を中心とし、後の財界四天王が集まる「亥二黒会」という会合が毎月柳橋の料亭で開催されていた。毎回、熱い議論が繰り広げられ、櫻田は池田蔵相などにも遠慮なく苦言を呈し、池田蔵相らが言葉を詰まらせる場面がしばしばあったと、当時池田蔵相秘書官を務めていた宮澤喜一元首相は語っている。
[編集] 略歴
- 1904年 出生
- 1926年 東京帝国大学法学部を卒業、日清紡績に入社。
- 1945年 日清紡績取締役社長就任。
- 1946年 経済同友会幹事就任。
- 1947年 経団連常任委員就任。
- 1948年 日本工業倶楽部理事就任。日経連副議長就任。
- 1949年 日経連総理事就任。
- 1950年 経団連常任理事就任。日本商工会議所代議員就任。
- 1953年 大倉製糸取締役相談役就任。
- 1954年 ニッポン放送発起人・取締役就任。広島県人会副会長(会長・永野重雄)就任。日本生産本部理事就任。
- 1956年 日本無線相談役就任。産業計画会議常任委員(委員長・松永安左ヱ門)就任。
- 1957年 フジテレビ監査役就任。
- 1958年 アラビア石油発起人・監査役就任。
- 1960年 日経連代表常任理事(74年より会長へ名称変更)就任。
- 1961年 JOC(日本体育協会)組織委員就任。
- 1964年 日清紡績取締役社長退任、同取締役会長就任。新日本無線取締役就任。
- 1965年 四国化成相談役就任。
- 1966年 東邦レーヨン取締役相談役就任。東京都防衛協会会長就任。財政制度審議会会長代理就任。
- 1968年 産経新聞取締役就任。日本万国博覧会理事就任。
- 1969年 東邦レーヨン取締役会長就任。
- 1970年 日清紡績取締役会長退任、同相談役就任。
- 1971年 八王子ゴルフ倶楽部取締役社長就任。
- 1972年 沖縄海洋博覧会理事就任。
- 1973年 日本国有鉄道諮問委員会委員長就任。日本ヨルダン協会会長就任。
- 1974年 産業計画懇談会代表世話人。
- 1975年 日本ベネゼラ経済協力懇談会会長就任。財政制度審議会会長就任。明治神宮総代就任。
- 1978年 北部アンデス地域経済使節団団長就任。外務省顧問就任。
- 1979年 日経連会長退任、同名誉会長就任。講道館理事就任。
- 1980年 帝人相談役就任。靖国神社奉賛会会長就任。
- 1981年 福山市名誉市民。
- 1984年 日清紡績相談役退任、同顧問就任。
- 1985年 逝去
[編集] 関連図書
- 櫻田武論集(櫻田武論集刊行会編・日経連出版部)
- 桜田武の人と哲学(大谷健著・日経連盟弘報部)