水原勇気
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水原勇気(みずはら ゆうき)は、水島新司の野球漫画『野球狂の詩』ほか数作品に登場する、架空の人物。
[編集] 人物・経歴
女性初のプロ野球選手として1975年東京メッツにドラフト1位で入団したアンダースローの左投手。当時、アンダースローの左投手は日本球界に存在しなかった。球威はないがコントロールに優れ、ドリームボールというキメ球を持つ。高校ソフトボール部に在籍中、東京メッツの岩田鉄五郎にその素質を見出される。プロ野球には全く興味がなく、入団の説得に日参する岩田鉄五郎を嫌いソデにし続ける。岩田鉄五郎の「1年だけでいいから俺の夢を叶えてくれ」との涙ながらの訴えに心を動かし、入団を決意した。
『野球狂の詩平成編』において40歳を越えて投手コーチ兼現役投手として復帰した。2003年には岩田鉄五郎監督の負傷休養の間、やはり女性では初になる監督代行もつとめる。2005年の『野球狂の詩vs.ドカベン』では『ドカベン』の主人公山田太郎と日本シリーズで対決する。
1977年には日活で映画化、1985年にはフジテレビの『月曜ドラマランド』でTVドラマ化されそれぞれ木之内みどり、斉藤由貴が演じた。
もともとは『野球狂の詩』がそれまでの不定期連載から週刊連載になったのを期に、生まれた登場人物である。前々から女性プロ野球選手を描くことを考えていた水島は、知り合いのプロ野球選手たちにこのアイデアを打ち明けてみたが、反応はことごとく否定的で嘲笑の声すらあった。しかし、ただひとり野村克也だけが、「その投手にしかないボールがあれば、ワンポイントとしてなら通用するかもしれない」と語り、これがドリームボール誕生のきっかけにもなった。映画では、南海ホークスとのオープン戦で「女の球を打っても自慢にならない」と鼻で笑っていた野村克也を討ち取り、野村克也を唸らせるシーンがある。
女性、それも高校を出たてのうら若い美少女がプロ野球選手として活躍する、というそれだけならば夢物語となるところを、リアリズムで描ききったところに、水島の作劇の妙味がある。
[編集] 投手成績
年度 | チーム | 背番号 | 試合数 | 勝数 | 敗数 | セーブ | 完投 | 投球回数 | 奪三振 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1976年 | 東京メッツ | 1 | 15 | 0 | 3 | 11 | 0 | 9 1/3 | 11 | 5.79 |
1978年 | 東京メッツ | 1 | 登板機会無し ※ | |||||||
1997年 | 東京メッツ | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1/3 | 0 | 0.00 |
1999年 | 東京メッツ | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1/3 | 1 | 0.00 |
通算 | ― | ― | 17 | 1 | 3 | 12 | 0 | 10 | 12 | 5.40 |
- ※-投手としての登板機会は無かったが、1試合だけ打席に立っている(1-0)。
上記のデータは豊福きこうによる「漫画で描かれたシーン及び言及された数字のみで計上」された成績であり最低がこの成績、という点をご理解頂きたい。 つまり78年のシーズンは水原が投げる描写がなかった(何しろメッツ戦で描写されたのが阪神との最終戦のみ。従ってその他のメッツの選手の成績もこの方式では全員0勝、.000となる)ためで実際は登板機会なしというより不明とするべきかもしれない。
尚、作品中では水原は76年に少なくとも1勝を挙げている。 0勝と豊福が指摘するのは水島のミスで野球ルール上で勝ち星にならないような条件で水原の初勝利エピソードを描いてしまったため。 水原勇気は2000年以降も現役投手として活躍、以降も勝ち星、セーブを挙げている。 メッツがV2を果たし東京スーパースターズと日本シリーズで対戦した年である2005年の成績は3勝2敗32S、防御率1.23。
[編集] その他
作中での彼女の活躍をデータで検証した『水原勇気1勝3敗12S』(豊福きこう著、講談社文庫、ISBN 4062648474)という著作がある。 もともとは、1992年に『水原勇気0勝3敗11S』のタイトルで単行本で出版された本で、文庫化に当たって、加筆修正と改題が行なわれている。
カテゴリ: 水島新司 | 漫画の登場人物 | アニメの登場人物 | テレビドラマの登場人物