浜田文子
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浜田 文子(はまだ あやこ、1981年2月14日 -)は、日本で活躍するメキシコの女子プロレスラーである。日本の女子プロレスのトップスターの一人に数えられる。
[編集] 所属
- アルシオン(1997年~2002年)
- 新間事務所(2002年~2005年)
- フリー(2005年~2006年)
- 伊藤薫プロレス教室(2006年~)
[編集] プロフィール
本名Ayako Valentina Hamada Villarreal(アヤコ・バレンティナ・ハマダ・ビヤッレアル。スペイン語圏では本人の名前・洗礼名・父親の姓・母親の結婚前の姓の順に表記する。洗礼名の「バレンティナ」は誕生日であるバレンタインデーに由来する)。 メキシコ・シティ(シウダー・デ・メヒコ)にて、マリポーサ(空中)殺法で一時代を築いたグラン浜田(新日本プロレスやメキシコ・マットで活躍した)の四女として生まれる。日本でも有名な元プロレスラーソチ浜田は姉である。
1995年、父の帰国と共に日本に移住し、1998年、できたばかりの女子プロレス団体アルシオンに入団(当時のライセンスナンバーは14)、デビュー前から写真集やビデオが発売され、またプロレス雑誌の表紙を飾るなどスーパールーキーとして注目された。同年8月9日キャンディー奥津戦でデビュー。大活躍し、わずか1年たらずでアルシオンのチャンピオンとなった。1970年代の最も有名なチャンピオンマッハ文朱以来のスピード出世と言われる。
1999年8月29日、みちのくプロレス群馬大会で日本人レスラーとして初めて父娘タッグを組む。団体の中心レスラーだったアジャコング退団後はライセンスナンバーが1に変更され文字通りエースとなり、年間200試合近くをこなす団体を支えた。
2002年、アルシオン脱退後、フリーとなり主にGAEA JAPANマットに活躍の場を移し活躍。1990年代の女子プロレスを代表するスターである豊田真奈美とも戦った。一方で文子を失ったアルシオンは客が入らず倒産し、2003年に堀田祐美子に買収され、AtoZとなった。
2003年5月には老舗の全日本女子プロレス横浜アリーナ大会でWWWA世界シングル王座・「赤いベルト」を奪取、名実共に現代の日本女子プロレス界を代表するスターとなった。
2004年からはハッスルに「アリシンZ」というリングネームにて参戦していたが、2005年暮れから「ドクロンZ」に改名。また2005年からは悪役レスラーに転向し、凶器を使うなど新たなファイトスタイルを見せている。
渡辺智子からは「ぶんこ」と呼ばれている。
新間事務所を離脱後、しばらくフリーだったが2006年10月15日付で伊藤薫プロレス教室に入団した。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本の女子プロレスラー | メキシコのプロレスラー | 1981年生