グラン浜田
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グラン浜田 | |
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プロフィール | |
リングネーム | グラン浜田 リトル浜田 |
本名 | 浜田広秋 |
ニックネーム | 小さな巨人 マリポーサ |
身長 | 167cm |
体重 | 90kg |
誕生日 | 1950年11月27日 |
出身地 | 群馬県前橋市 |
所属 | フリー |
スポーツ歴 | 柔道 |
デビュー | 1972年3月16日 |
グラン浜田(グランはまだ、1950年11月27日 - )は、日本のプロレスラーである。本名:浜田広秋(はまだ ひろあき)。群馬県前橋市出身。身長167cm、体重90kg。その軽量な体を生かしてルチャリブレを活動の中心としている。また最も著名な日本人ルチャドールの1人とされ、日本およびメキシコにおいて顕著な活躍を残している。
娘のソチ浜田、浜田文子もプロレスラーである。
目次 |
[編集] 経歴
中央大学、河合楽器製作所において柔道の選手として活動していたとあるが、実際には樹徳高校卒業で大学は進学していない。1972年、友人の関川哲夫(のちのミスター・ポーゴ)が新日本プロレスへ入団志願に向かう際に付き添いで同行し、関川とともに柔道での実績を買われて浜田も入団することとなる。その断を下したのは山本小鉄。彼もまた、小さい体ながら大きな足跡を残したプロレスラーである。
1972年3月16日、藤波辰爾との対戦でプロレスデビューを飾る。「リトル浜田」のリングネームで主に前座で試合を行っていたが、軽快な動きで大きな選手を手玉に取り、前座戦線の台風の目ともいわれた(190cm以上のキラー・カーンにも勝っている)。1975年にメキシコへのプロレス修行に出る。メキシコではリングネームを現在の「グラン浜田」に変更した。
メキシコでは、UWAを中心に活動し、1976年にはUWA参戦の最優秀外国人にも選ばれている。メキシコでのプロレス修行は1979年まで行い、同年2月に凱旋帰国を果たす。この時期既にメキシコに家族を持っていた浜田は、1995年まで日本とメキシコを往復する生活となる。
1984年4月に第一次UWFに参加。同年8月には全日本プロレスに移籍。1986年にジャパン女子プロレスのコーチに就任とともに、一時現役を引退する。1988年に、同じく引退してコーチに就任していた大仁田厚との遺恨が発生。その際に、女子プロレスのリングながら試合を行い、現役に復帰する。
1990年3月にユニバーサル・プロレスリングの旗揚げに参加。 1992年11月27日にザ・グレート・サスケがみちのくプロレスを旗揚げした際に、浜田のみがユニバーサル・プロレスリングに残った。第1次UWF時代に世話になり、ユニバーサルにも関係していた新間寿への仁義を守るためだった、といわれる。所属選手の大半がいなくなったユニバーサル・プロレスリングはその後自然消滅。浜田自身も1994年8月から古巣の新日本プロレスに登場するようになる。
1996年にみちのくプロレスに入団。みちのくプロレス所属中の1999年には、当時既にプロレスラーになっていた娘の浜田文子と親子タッグでの試合が実現している。また2000年11月25日には、娘の浜田文子と組んで、娘のソチ浜田&ソチの旦那のペンタゴン組とのタッグ戦も実現している。
2001年にフリーとなり、再度新日本プロレスに登場。また大阪プロレスなど多くの団体にも出場するようになり、全日本ではラブマシンズの一員として「リトル・ラブ・マシン」のリングネームで活動した。
2006年娘の浜田文子が「ドクロンZ」として参戦しているハッスルに「ドクロンZパパ」というリングネームで登場した。入場曲とコスチュームは天才バカボン。
[編集] 評価
日本にルチャ・リブレのスタイルを持ち込んだパイオニアであると同時に、身長が低い多くの日本人にプロレスへの導を示した偉人。獣神サンダー・ライガー、ウルティモ・ドラゴン、ザ・グレート・サスケも、彼の足跡があったからこそレスラーの道を歩むことができた、といっても過言ではない。ルチャのスタイルの裏に、いにしえの新日本イズムがしっかりと脈打つ、昭和の香りがするレスラーである。
[編集] リングネーム
過去、現在に用いたことがあるリングネーム
- グラン浜田(現在も使用中)
- リトル浜田
- NGハマー(みちのくプロレス参戦時に、マスクマンとして。正体は明かさなかったが、動きが全く同じなのでバレバレだった)
- リトル・ラブ・マシン
- ミニ・ラブ・マシン(1号)
[編集] 得意技
[編集] タイトル履歴
- UWA
- UWA世界ミドル級王座 : 3回
- UWA世界ジュニアヘビー級王座 : 5回
- UWA世界ライトヘビー級王座 : 2回
- UWA世界タッグ王座 : 3回 (&長州力、Perro Aguayo、ケンドー)
- NWAアメリカ王座 : 1回
- NWAミドル級王座 : 1回
- WWF世界ライトヘビー級王座 : 2回
- 新日本プロレス
- ジュニアヘビー級タッグ王座 : 1回
- その他
- UWA&UWF認定インターコンチネンタルタッグ王座 : 1回(&ザ・グレート・サスケ)
- UWFスーパーミドル級王座 : 1回
- WWAジュニアヘビー級王座 : 1回
- P*MIXタッグ王座 : 1回 (&浜田文子)
- BJPWヘビー級王座 : 1回
- MWF認定世界ジュニアヘビー級王座