淡水鎮
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台湾台北県淡水鎮 | |
地理 | |
位置 | 東経121°26' 北緯25°10' |
面積 | 70.6565km² |
人口 | |
戸口(2007年1月) | 48,235戸 |
人口(2007年1月) | 130,105人 |
政治 | |
行政区分 | 鎮 |
鎮長 | 蔡葉偉 |
地方自治機関 | 淡水鎮民代表會 |
下部行政区画 | 33里562鄰 |
その他 | |
郵便番号 | 251 |
市外局番 | 02 |
鎮花 | - |
鎮鳥 | - |
鎮樹 | - |
古称 | 滬尾 |
隣接する市・鎮・郷;区 | 三芝郷、八里郷;台北市北投区 |
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淡水鎮(たんすい)は台湾台北県の鎮(町)。中国語ではダンシュエイ(注音: ㄉㄢˋ ㄕㄨㄟˇ、ピン音: Dànshuěi)という。近代には清国の条約港として台湾最大の港となった歴史がある。面積70.6平方キロ、人口13万人。
目次 |
[編集] 地理
台湾島最北部、淡水河の河口北側に位置し、北は三芝郷,南は關渡及び台北市北投区と接し、西は台湾海峡に面する。東は淡水河を隔てて八里郷である。風景が美しく、昔から台湾八景のひとつとされた。「東方のベニス」と呼ばれたこともある。夕陽が綺麗なことでも有名である。
[編集] 歴史
1624年にマニラからスペイン人が進出し、この地を占領してサン・ドミンゴ要塞を築いた。しかし1642年には台湾南部を占領するオランダ東インド会社がこれを駆逐し、要塞を再建した。なおこのサン・ドミンゴ要塞が後の紅毛城である。
1661年に鄭成功がオランダ人を駆逐したが、1683年の鄭氏王朝滅亡後は清朝の領土となった。
1858年の天津条約で淡水港の開港が定められたが、同条約が批准されなかったため、1860年の北京条約によって、条約港として開港された。紅毛城にはイギリス領事館が設置された。これ以降各国の商館が集まるようになり、淡水は19世紀後半には台湾最大の港湾として繁栄した。
しかし日本による植民地時代(1895年~1945年)になると、河口に砂が堆積してしまい大型船が入りにくくなってしまった。このため台湾総督府は基隆港を建設、台北と基隆の間には鉄道も敷設され、港の繁栄は基隆に移り、以降は小さな漁村となった。
戦後、紅毛城など歴史的観光資源を多数持つ淡水は次第に観光地へと変貌していった。特に台北捷運淡水線の開通により淡水方面へのアクセスが劇的に向上した後は、台北市民が気軽に出かけられる観光地として栄えるようになった。
[編集] 行政区
[編集] 交通
種別 | 路線名称 | その他 |
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捷運 | 淡水線 | 淡水駅 紅樹林駅 |
航路 | フェリー | 淡水-八里 |
[編集] 教育
区分 | 数 | 名称 |
---|---|---|
大学 | 3 | 淡江大学 真理大学 聖約翰科技大学 中海科術学院 |
高中 | 1 | 淡江高級中学 |
高職 | 1 | 国立淡水高級商工職業学校 |
国中 | 4 | 台北県立正徳国民中学 台北県立淡水国民中学 台北県立竹囲国民中学 賢孝国中 |
国小 | 14 | 台北県立淡水国民小学 台北県立文化国民小学 台北県立鄧公国民小学 台北県立新興国民小学 台北県立竹囲国民小学 台北県立天生国民小学 台北県立水源国民小学 台北県立興仁国民小学 台北県立屯山国民小学 台北県立坪頂国民小学 台北県立忠山国民小学 台北県立中泰国民小学 台北県立育英国民小学 |
[編集] 交通
[編集] 歴代鎮長
[編集] 観光地
鐵蛋(鉄玉子)や魚丸湯や阿給が有名。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 淡水古跡(要Big5フォント)
- 淡水鎮公式webサイト(同上)