牛尾治朗
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牛尾 治朗(うしお じろう、昭和6年(1931年)2月12日 - )は、日本の実業家。
ウシオ電機株式会社代表取締役会長、経済同友会代表幹事、社会経済生産性本部会長、KDDI取締役などを歴任。日本を代表する財界人のひとりである。
長女が内閣総理大臣安倍晋三の兄・寛信に嫁した。
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[編集] 来歴・人物
兵庫県姫路市に牛尾家2代目牛尾健治 美津子の子として生まれる。牛尾家は代々姫路駅近辺の大地主の家系。1953年に大学を卒業して東京銀行に入行。父親が経営していた姫路電球株式会社を受け継ぎ、1964年にウシオ電機を設立し、ハロゲン電球など産業用特殊光源の製造を手がけた。
28歳の若さで経済同友会に入会し、早くから財界人として意欲的に発言してきた。1969年1月には日本青年会議所会頭に就任し(同年12月まで在任)、「財界の老害」を批判した。「21世紀は市場経済の時代。民間が自立した社会にする必要がある」として規制緩和や株主尊重の路線を打ち出した。
1995年4月に経済同友会代表幹事に就任、1999年4月からは特別顧問(終身幹事)に就いている。1996年2月には日本ベンチャーキャピタル株式会社を設立し、取締役会長に就任(2002年6月に名誉会長に退く)。2001年には経済財政諮問会議議員、日本郵政・社外取締役に就任。また、旧・第二電電(現KDDI)がケイディディ(KDD)・日本移動通信(IDO)と合併して出来た旧ディーディーアイが成立する前後に会長を務めている。
1975年の東京都知事選挙では石原慎太郎の参謀四人衆の一人(他は浅利慶太、塩路一郎、飯島清)として選挙運動を指揮する。民間人だが、閣僚人事について親戚である安倍首相の相談を受けるなど、政治への影響力も強い。セコムの飯田亮、オリックスの宮内義彦とともに現代日本を象徴する「政商」とも言われる。
[編集] 年譜
- 1931年2月:兵庫県姫路市に生まれる
- 1953年3月:東京大学法学部政治学科卒業 4月:東京銀行入行
- 1956年2月:カリフォルニア大学大学院留学
- 1964年3月:ウシオ電機株式会社設立 代表取締役社長就任
- 1969年1月:日本青年会議所会頭就任(~12月)
- 1979年4月:ウシオ電機株式会社 代表取締役会長就任
- 1981年4月:第二次臨時行政調査会 専門委員(~1983年3月)
- 1984年6月:第二電電株式会社(DDI)取締役就任
- 1995年4月:社団法人経済同友会 代表幹事就任(1999年4月)
- 1996年2月:日本ベンチャーキャピタル株式会社設立 取締役会長就任(~2002年6月)
- 1999年5月:社団法人経済同友会 特別顧問就任
- 2000年4月:第二電電株式会社 代表取締役会長就任
- 2001年1月:内閣府 経済財政諮問会議 議員就任(~2006年9月)
- 2003年6月:財団法人社会経済生産性本部 会長就任 KDDI株式会社取締役就任