安倍晋三
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生年月日 | 昭和29年(1954年)9月21日 |
---|---|
出生地 | 出生地:東京都 本籍地:山口県大津郡油谷町(現・長門市) |
出身校 | 成蹊大学法学部政治学科卒業 |
学位・資格 | 政治学士(成蹊大学) |
前職・院外役職(現在) | 神戸製鋼所社員 外務大臣秘書官(安倍晋太郎秘書) |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
内閣総理大臣 |
世襲の有無 | 三世 祖父・安倍寛、岸信介 父・安倍晋太郎 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
山口4区 |
当選回数 | 5回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(無派閥) |
党役職(現在) | 総裁 |
会館部屋番号 | 衆・第一議員会館602号室 |
ウェブサイト | 公式サイト |
安倍 晋三(あべ しんぞう、昭和29年(1954年)9月21日 - )は、日本の政治家。自由民主党に所属する衆議院議員(山口4区選出)。第90代内閣総理大臣(2006年9月26日 - 現職)。第21代自由民主党総裁(現職)。無派閥
親族の政治家として、父方の祖父の安倍寛(元衆議院議員)、母方の祖父の岸信介(第56・57代内閣総理大臣)、大叔父の佐藤栄作(第61~63代内閣総理大臣)、父の安倍晋太郎(元外務大臣)、弟の岸信夫(参議院議員)などがいる。
大学卒業後、神戸製鋼所社員、外務大臣秘書官を経て衆議院議員となる。官房副長官、自由民主党幹事長、同幹事長代理、官房長官等を歴任。
目次 |
生涯
出生から初当選
1954年9月21日、当時毎日新聞の記者であった安倍晋太郎とその妻、洋子の次男として生まれる。父方の祖父は衆議院議員の安倍寛(この時既に故人)、母方の祖父は後の首相・岸信介で、大叔父にはやはり後の首相・佐藤栄作がいる政治家一族であった。
成蹊学園(小学校・中学校・高等学校・大学法学部政治学科)卒業。高校でクラブは地理研究部に所属[1]、大学では行政学を学ぶ。アーチェリー部に所属し、準レギュラーだった。[2] 南カリフォルニア大学に留学し、政治学を学ぶ(未卒業)。神戸製鋼に3年間勤務の後、1982年、父で時の外務大臣・晋太郎の秘書官等に就任し、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての政治家修行を行う。1987年に松崎昭雄・森永製菓社長の娘で電通社員の昭恵と結婚する。1991年に首相候補の最有力と目されていた父が急死。
1993年に亡き父の地盤を引き継ぎ、第40回衆議院議員総選挙に山口1区(当時)より出馬、初当選を果たす。父が派閥会長を務めていた清和会(三塚派、後の森派→小泉派→町村派)に属す。
衆議院議員
派閥領袖の森喜朗首相が組閣した2000年の第2次森改造内閣で、内閣官房副長官に就任。森政権の後を受け、2001年に成立した小泉純一郎首相の第一次小泉内閣でも引き続き内閣官房副長官を務める。
2002年の小泉首相の北朝鮮訪問に随行し、小泉首相と金正日総書記との首脳会談では安易な妥協をするべきではないと強硬論を主張した。拉致被害者5人の帰国は実現したものの、この日本人拉致問題は日本側の納得する形では決着せずに難航した。安倍は事件の解決に積極的に取り組み、中山恭子内閣参与とともに拉致被害者と政府の信頼関係を築き、北朝鮮に対する経済制裁を含めた強硬路線を主張した。対話路線などの慎重論を唱える議員が多かった中で、毅然とした態度を取った安倍は拉致問題解決を望む国民にとっては頼もしい存在と映り、一躍人気が高まった。
2003年9月、小泉首相によって自民党幹事長に抜擢された。当選3回で、大臣経験もない若手議員が党幹事長に就任するのは前代未聞のことであるが、苦戦が予想される同年11月の総選挙のために安倍の人気が必要とされたためと見られた。11月の総選挙で自民党は絶対安定多数の確保に成功し、安倍は幹事長としての役目を果たした。
幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」、「氷代」(派閥の長が配下の者に配る活動資金)の廃止、自民党候補者の公募制の導入など党改革に着手。2004年の参議院選挙では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞職を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の幹事長・武部勤の強い要請を受け党幹事長代理に就任。幹事長経験者が幹事長代理に格下げになるということも大変異例なことだった。
小泉政権末期の早い段階から自民党内の「ポスト小泉」(いわゆる麻垣康三)の最有力候補の一人と言われ、2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣では内閣官房長官を務める。
2006年 9月1日に自民党総裁戦への出馬をようやく表明。憲法改正や教育改革、財政健全化に取り組む方針を示す。また、総裁選に当選し次第、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。
小泉純一郎の総裁任期が満了となり、圧倒的な国民的支持の中で、2006年9月20日、自由民主党総裁選挙で麻生太郎、谷垣禎一を大差で破って自由民主党総裁に選出、9月26日の臨時国会に於いて内閣総理大臣に指名される。戦後最年少で、戦後生まれとしては初めての総理大臣となる。
かつて、同じく官房長官を務め、ポスト中曽根康弘(いわゆる安竹宮)、ポスト竹下登として最有力候補と言われながらも病に倒れ、総理・総裁の座に就くことのなかった父・晋太郎の悲願を代わりに果たすこととなった。
総理大臣
首相に就任すると安倍は小泉前首相の靖国参拝問題のために途絶えていた中国、韓国への訪問を表明。10月8日に中国・北京で胡錦濤国家主席と会談。翌9日に盧武鉉大統領と会談すべく韓国・ソウルに入るが、その日、北朝鮮が核実験を実施して世界を驚かせた。この北朝鮮の核実験に対して、安倍首相は「日本の安全保障に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、国連の制裁決議とは別に、より厳しい経済制裁措置を実施した。
同年12月に懸案だった教育基本法改正と防衛庁の省昇格を実現する。就任当初は71%と高支持率だったが、はっきりと主張する総理就任以前の姿勢とは違い、「あいまい戦術」などと形容される受け答えや、郵政造反組復党問題で造反議員の復党を許したことへの批判、相次ぐ閣僚らの不祥事などから支持率を落としている。「闘う政治家」を自認し、「主張する外交」を表明する保守的な政治姿勢を支持する者が多い一方で、その新保守主義的姿勢を「タカ派」と評す者も居る。
略歴
経歴
- 1954年9月21日:東京都に生まれる。本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)。
- 1977年3月:成蹊大学法学部政治学科卒業
- 1979年4月:株式会社神戸製鋼所入社
- 1982年11月:神戸製鋼所退社、外務大臣(安倍晋太郎)秘書官に就任
- 1993年7月:衆議院議員初当選(旧・山口1区)
政歴
- 1993年7月:衆議院議員初当選
- 1999年10月:衆議院厚生委員会理事
- 2000年7月:第2次森改造内閣で官房副長官に就任
- 2001年4月:引き続き小泉内閣で官房副長官に就任
- 2003年9月:自由民主党幹事長に就任
- 2004年9月:自由民主党幹事長代理に就任 党改革推進本部長に就任
- 2005年10月:第3次小泉改造内閣で官房長官に就任
- 2006年9月:自由民主党総裁に選出される。同月、第90代内閣総理大臣に指名される。
政見・政策
国家像
総裁戦直前の2006年7月19日に自らの政治信条を綴った自書『美しい国へ』を出版し、10刷・51万部以上を発行する[3]ベストセラーになった。政権スローガンも「美しい国日本を作る」とし、自身の政権を「美しい国づくり内閣」と命名した。自身の政権の立場を“「戦後レジーム(体制)」からの新たな船出“と位置づけている。現行憲法を頂点とした行政システムや教育、経済、安全保障などの枠組みが時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとしている。
現行憲法をアメリカからの”押し付け憲法“とし、これまでの日本の歴史認識を自虐的な東京裁判史観とする保守層からは好意的に迎えられる一方、左派からは集団的自衛権を容認しアメリカに追従する軍国主義的な体制を作ろうとするものではないかという懸念が示されている。[4]また「美しい国」という理念について、何が・また何を以って“美しい”とするのかはっきりせず、抽象的であるとする批評もある。
憲法
- 総裁選では施行60周年を迎えた日本国憲法を改正すると宣言し、総理就任後の国会で、「現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、六十年近くを経て現実にそぐわないものとなっているので、二十一世紀にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要と考えている」と述べ、[5]
- 日本国憲法の改正手続に関する法律案を2007年の通常国会での成立を目指すとしており、 2007年夏の参院選では憲法改正を最大の公約に掲げている。
安全保障
- 米国により要請された日本版「国家安全保障会議」(NSC)構想の推進。
- 総理就任以前は憲法改正に関しては集団的自衛権の容認を打ち出して来た。
- 防衛庁を防衛省へ格上げした。これは「戦後レジーム(体制)から脱却し、新たな国造りを行うための第一歩」と意義付けられた。
- 2006年11月14日、安倍内閣は閣議で、核保有についての鈴木宗男の質問主意書[6]に対して、「政府としては、非核三原則の見直しを議論することは考えていない」と強調しながらも、「核兵器であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」との答弁書[7]を出した。
教育
- 教育基本法を改正し、当初の内容を公明党に骨抜きにされつつも教育の目標の一つとして愛国心という言葉を盛り込んだ。
- 内閣府直属の「教育再生会議」を立ち上げる。学校週五日制の見直しや大学進学の条件として社会奉仕活動の義務化を提唱。(安倍はボランティアという言葉を使用するが、本来の意味ではボランティアとは自発的な行為・行動のことであり、間違いである)
- 教育バウチャー制度の導入を検討。
- 「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」の座長を務め、自民党の山谷えり子らと共にジェンダーフリー教育に対する批判等を行っている。[8]
外交
下記の歴史認識も参照
日中・日韓関係を改善し、東アジア共同体の構想に強い意欲を示す。新自由主義政策・グローバル資本主義を推進した。
韓国
韓国の親米保守勢力(現在はハンナラ党)とは韓国が朴正煕軍事独裁政権だった頃から国際勝共連合などを通じ代々親しく、安倍も首相になってから「韓国はまさに日本と同じ価値観を持っております。」と親韓的な発言している。[9]
中国
2006年の自民党総裁選では、ありのままの日本を知ってもらう為に多くの中国人留学生を受け入れるべきと主張し、小泉政権時に悪化した日中関係の改善に意欲を見せた。
北朝鮮
2007年2月12日に来日したチェイニー米副大統領に、拉致問題が解決するまで北朝鮮に対するテロ支援国家指定の解除をしないように要請した。[10]3月1日、6者協議の日朝国交正常化に関する作業部会への対応について「拉致問題の完全解決、前進を目指して全力を尽くすように」と指示し、エネルギー支援の参加についても「我々が判断をして決めていきたい。北朝鮮が決めることではない。我々が(拉致問題で)納得できなければ前進とは認めない」と強調し、拉致問題を安倍政権の最重要課題とする従来の姿勢を確認した。
アメリカ合衆国
小泉政権により強化された日米安全保障条約をさらに充実させるため在日米軍と自衛隊の一体化を目指しており、集団的自衛権行使のための憲法改正も視野に入れている。
オーストラリア
詳細は日豪関係、安全保障協力に関する日豪共同宣言を参照
オーストラリアとは「基本的価値観を共有する[11]国家として連帯強化を目指している。日豪FTAの交渉を開始し、2006年12月に合意した。2007年3月13日には安全保障協力に関する日豪共同宣言にジョン・ハワード首相と共に署名した。この宣言にはPKOなどの海外活動や対テロ対策、北朝鮮問題などで日豪が協力する、安全保障協議委員会の設置などが明記されていた[12]。この背景には中国の軍事拡大[13]、対米追随との国内批判があるとされる[14]。一方でハワード首相は、安倍の軍慰安婦強制動員が無いとの主張を認めず、安倍の歴史認識を批判している[15]。
歴史認識
戦争責任・村山談話
- 総裁選を目前に控えた2006年9月7日、戦前・戦中の「植民地支配と侵略」に対しての国家としての反省と謝罪を示した1995年の「村山首相談話」について、「基本的にその精神を引き継いでいく」と踏襲する意向を明らかにした。
- 2006年10月6日、衆議院予算委員会で、A級戦犯について、「戦争犯罪人である」と明言した小泉前総理の答弁を修正し、「国内法的には犯罪者ではない」との見解を示し、戦争責任については「当時の指導者であった人たちについてはより重たい責任があるが、その責任の主体がどこにあるかということについては、政府としてそれを判断する立場にはない」旨を述べた。[16]
- 2006年10月5日、衆院予算委員会で、東条内閣の商工大臣だった岸信介が太平洋戦争開戦の詔書に署名したことへの認識を問われ「指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」と述べた[17]。
慰安婦問題・河野談話
- 日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「新しい歴史教科書をつくる会」を支援して来た議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(1997年2月27日結成)の元事務局長。現在中川昭一と共に顧問を務める。同会は特に侵略戦争や「慰安婦」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の強制連行を認めた「河野談話」を発表した河野洋平を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の事実の根拠であった吉田清治の証言のウソが明らかになっているのに、「河野談話」が生きていることや教科書に慰安婦の記述を載せることは問題であると指摘している[18]。
- 自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている。[19]
- 総理就任後の2006年10月5日には、これまでの主張を封印し、「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府としては引き継いでいくことを明言した。しかし、2007年3月1日、河野談話に関する記者の質問に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語ったことが国内外から波紋を呼んだ。米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、同年3月5日の参院予算委員会において「決議案は客観的事実に基づいていない。」「決議があっても謝罪することはない」との見解を述べた。
- 社民党の辻元清美の慰安婦問題に関する質問主意書[20]に対して、政府は2007年3月16日の閣議で、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書[21]を出した。
靖国神社参拝
- 歴史認識を巡って反日騒動が起こった中国と韓国の態度を批判し、外国が靖国神社参拝について抗議するのは内政干渉だという見解を持っている[22]。官房長官時代の2006年8月4日の記者会見で、同年4月15日朝に、密かに靖国神社を参拝していた(「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉ぐし料を収めた)ことについて質問された際には「参拝したかしないかについては申し上げるつもりはない」と述べた。[23]。
- 首相就任後も参拝を続ける意向を示しており、2007年1月17日の自民党大会で決定された運動方針でも「靖国参拝を受け継ぐ」ことが明記されたが、外交問題や政治問題になるのを避けるため自身の参拝については明言しない考えを改めて示した(靖国神社問題を参照)。
労働政策
- 再チャレンジ政策
- 小泉政権下によって生じた都市と地方の歪や不安定雇用の増加やいわゆる格差社会の是正を掲げ、再チャレンジ政策の一環としてフリーターを正社員へ採用するよう企業に要請しているが、2006年8月の 経団連が会員企業に行なったアンケートによると、フリーターの正規社員採用に約9割が消極的であるとの結果が出ており、現状での成果は出ていない。
- 「ワーキングプアと言われる人たちを前提に言わばコストあるいは生産の現状が確立されているのであれば、それはもう大変な問題であろう」と述べ、「企業も非正規雇用者が正規社員へ常にチャレンジができるように積極的に取り組むことが、中、長期的には企業への信頼感、活力も高まる」という旨の考えを示しており、偽装請負等に関しても、「法令、労働基準法に反していれば厳格に対応していく」旨を述べている。[24]
- ホワイトカラーエグゼンプション(事務職残業手当適用除外制度)
- 「最低賃金」
- 格差問題
- 「格差はいつの時代もあるわけであって、格差を全くなくすことはこれは不可能であろう」、「努力した人が報われる社会をつくっていく、汗を流した人、頑張った人が、知恵を出した人が報われる社会をつくっていかなければいけない」、「結果平等の社会をつくろうとは全く思っていない」、「格差においては、これは不公平、不公正な競争の結果であってはならないし、また、社会的にこれはやはり容認できないという格差であってはならない」、「格差が固定化されてはならない」と述べている。[27]
行政
- 道州制の導入を検討。
治安政策
- 組織犯罪処罰法(いわゆる「共謀罪法案」)について、「国際社会で組織犯罪に対応していく役割を果たす上で早期に「国際組織犯罪防止法条約」を」批准をする必要がある」として2007年1月25日召集の通常国会で成立を図るよう指示したが、反対する世論や自民党内からの反発も強いため、継続審議となった。
党運営
社会保障
- 中国残留孤児問題における訴訟では請求を取り下げられた原告団に面会し、新たな支援を検討していくことを確認した。
- 2007年2月23日に、熊本市の慈恵病院が赤ちゃんポストの設置を計画していることについて、「ポスト」という名前や匿名で子供を置いていけるものだということに大変抵抗を感じると反対の意向を示した。厚生労働省は赤ちゃんポストの設置を容認しているが、この発言が影響を与える可能性もある[28]。[29]。
人物像
学生時代
- 友人によれば、小学校の頃はあまり目立たなかったという。また低学年の時、父晋太郎が選挙に落選したとき、「仕事がなくなっちゃったんだ。でも、知り合いの会社の顧問になれるから大丈夫なんだ」 と語っていたという[30]
- 幼い頃は、野球選手や刑事になることに憧れていた。[31]
- 小中高と良い教師に恵まれていた[32]
- 成蹊大時代は外車アルファ・ロメオに乗ってキャンパスに通う。大学生の頃は人付き合いがいいが、大人しく真面目だったという。[1]
座右の銘
愛読書
- 古川薫の『留魂録の世界』(留魂録は松陰の著作)
尊敬する人物やファンである人物
- 幕末期の思想家吉田松陰を尊敬する。彼の地元・山口県には松陰の松下村塾があり、そこの門下生だった高杉晋作から「晋三」の名が付けられた。[35]
- 亀田3兄弟、朝青龍のファンである事も公言している。[要出典]
問題になった出来事
- 2002年2月、早稲田大学での講演会(非公開)における田原総一朗との質疑応答で、「小型であれば原子爆弾の保有や使用も問題ない」、と発言したと『サンデー毎日』 (2002年6月2日号)が報じて物議を醸したが、安倍は同年6月の国会で「使用という言葉は使っていない」と報道の間違いを指摘し、政府の“政策”としては非核三原則から核保有はあり得ないが、“憲法解釈”としては、憲法第九条第二項は国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとするかつての岸内閣の歴史的答弁(1959年、1960年)を学生たちに紹介したのであると説明した。[36]
- 2002年10月19日広島市・岡山市の講演において「1985年に韓国入国を図り逮捕された辛光洙(シン グァンス)容疑者を含む政治犯の釈放運動を起こし、盧泰愚政権に要望書を出した人たちがいる。それが土井たか子、あるいは菅直人だ」「この2人は、スパイで原さんを拉致した犯人を無罪放免にしろといって要望書を出したという、極めてマヌケな議員なんです」と発言した。この発言は両議員から抗議を受け、同月25日の衆院議院運営委員会の理事会で取り上げられたが、安倍は土井、菅らの対応に「抜かりがあったと思い発言をした。」、「言葉が不適切という批判かもしれないが、事実を受け止めていただきたい」とし、辛容疑者に拉致されたとされる被害者とその家族の気持ちを代弁したと説明した[37]。
- 『朝日新聞』(2005年1月12日付)は、『安倍と中川が、旧日本軍の「従軍慰安婦」問題や昭和天皇の戦争責任などを裁く「VAWW-NETジャパン」主催の模擬法廷「女性国際戦犯法廷」を取り上げたNHKの番組の放映前に、NHK幹部を議員会館に呼びつけ圧力を掛けて番組内容を改変させた』と報じた。安倍は「関係者から偏った内容であることを知らされ、NHKがとりわけ求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した」「自分が呼びつけたのではなく、NHKが予算の説明に来た中で、番組の説明があった際に、公平・公正な報道を要望しただけで、改変や中止を求めたことはない。」などの反論を行なった。結果的に番組内容は大幅に改変されたが、NHKは「編集は安倍氏との面会以前から行なっており、自主的な判断に基づいての編集である」と説明。安倍は17日付で通知書を朝日新聞本社に送り、事実と相違する記事に関して、謝罪と釈明、訂正記事の掲載を求めた。2005年1月19日のテレビ朝日系『サンデープロジェクト』では「NHKから『非常にバランスのとれた番組になっている』という説明を聞き、『じゃあ公平公正にお願いします』と(言った)」と語った。当時のNHK放送総局長は「政治介入があったとは、まったく感じていない」と会見で述べたが、ジャーナリストの魚住昭は流出した『朝日新聞』の記者の取材メモを基に『月刊現代』9月号で圧力はあったと結論づけ、安倍を批判。これに対し安倍は「重要な発言がカットされ、都合のいい部分だけを抜き出している」と反論しつつ、「資料の信憑性も含めて決定的証拠とはいえない。ただ、私の承諾を得ずに取材が録音された可能性は高まった」と一部記事の具体性は認めた。(この件で『朝日新聞』は内部取材情報の流出を謝罪した。)
なお、この問題は取材を受けた市民団体が主催者側の意図に反する内容に改変されたとして、NHK側に慰謝料を求める訴訟を起こしている(訴えは番組内容の改変そのものに対するものであり、提訴は朝日新聞の報道より遙かに前の2001年である)。この裁判に於いて東京高裁は2007年1月29日に「(安倍氏ら)相手方の発言を必要以上に重く受け止め、当たり障りのない番組にすることを考え、改変が行われた」との判断を示し、NHK側が敗訴した。政治家の圧力という点に関しては「政治家が一般論として述べた以上に本件番組に関して具体的な話や示唆をしたことまでは、認めるに足りる証拠はない」と判断された。この判決に関し、安倍は「政治家が介入していないことが、極めて明確になった」とコメント。一方NHKは『番組編集の自由を極度に制約するもの』とコメント、判決を不服として上告している[38]。この件の詳細については、女性国際戦犯法廷の当該項を参照のこと。 - 2005年、『諸君』(平成17年 3、4、12月号)において、『朝日新聞』の“捏造体質や傲慢な姿勢”などを痛烈に批判している[39]。
- 所信表明や施政方針演説において「カタカナ語」を使い過ぎているとの指摘を受けた。[40][41]
- 東武東上線ときわ台駅で自殺しようとした女性を救おうとして殉職した、警視庁板橋署の宮本邦彦巡査部長を2007年2月12日夜に弔問した際、故人の勇気ある行為を讃えるコメントで、名前を”みやけ”と2度にわたって間違えた。[42]宮家邦彦(みやけ・くにひこ)首相公邸連絡調整官(妻・昭恵の補佐員)と混同したのでは、と言う声が上がっている。[43]。これについて、作家の吉川潮は産経新聞のコラムで「『名前ぐらい、ちゃんと覚えて行け!』と叱りたくもなる」「総理の人間性にも問題があるのではないかと思ってしまう」と批判をしている[44]。
関係が指摘される人物や団体
- 統一教会(世界基督教統一神霊協会)、国際勝共連合
- 母方の祖父岸信介、父安倍晋太郎が統一教会及びその関連団体である国際勝共連合と関わりが深いと言われていた(詳細は岸信介の当該記事や安倍晋太郎の当該記事を参照)こともあり、晋三が次期総理候補として取り沙汰されるようになって以降、統一教会との関係を指摘をする雑誌等の記事が散見される。
- 官房長官当時の2006年、統一教会系列の団体である天宙平和連合 (UPF) の集会(合同結婚式も行われたとも言われたが統一教会は否定[45]のイベントに祝電を寄せた(保岡興治やその他の自民党議員も)ことが新聞、雑誌等で伝えられ[46]、社会的に問題の多い団体と関係することへの批判を呼んだ。映像はインターネット上の動画サイトyoutubeにアップロードされ、ネット上で広く話題になった外部リンク。このイベントで司会者が晋三を「岸信介元総理大臣のお孫さんでらっしゃり」と、岸信介時代からの親密振りをアピールして紹介していた。この件に関して安倍の事務所は「秘書に確認している」との理由でしばしコメントしなかったが、「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した。有田芳生によれば、安倍は「統一教会が盛んに接触し、面会を求めてくるが、会わない」と語ったという[47] 。
- 霊感商法被害対策に取り組んで来た「全国霊感商法被害者対策弁護士連絡会」が安倍と保岡に対し、真意や今後の姿勢を問う「公開質問状」を送ったが、二人とも回答をしていない。[48]上記の事から彼のことを「安倍壺三」「アパ壺」と呼ぶ声も増えている[要出典]。月刊誌『紙の爆弾』2007年1月号及び2月号においても、祖父である岸信介以来の統一教会との関係をもって「安倍壺三」と呼ばれているとの記事が掲載された。
- 公明党・創価学会
- 父、晋太郎と祖父の岸信介は創価学会・公明党と関係が深かったと言われ、晋太郎は1985年、大石寺の正本堂完成記念の祝典に岸信介の代理で出席して以来、池田大作と何度も面会したという。[49]
- 晋三は、創価学会から支援をもらっていたが、1994年に創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者で結成された「四月会」(代表幹事:俵孝太郎)[50]の集会などに参加したこともあった。創価学会に関する自民党の勉強会『憲法20条を考える会』に参加した次の日、自身の選挙区の公明党の大幹部から電話で釘を刺されたことで、政治的野望を持った創価学会が政界での影響力を拡大して行くことを危険視していたという。1989年に死去した池田大作の次男は成蹊高校時代の同期生である。[51]
- 首相就任直前の2006年9月22日に安倍晋三は、極秘裏に東京都内の創価学会の施設で、池田大作創価学会名誉会長と会談を持ったと主要新聞[52]「『産経新聞』を除く」を初め各種メディアが伝えた。面会は安倍自身の要望だとも伝えられている。祖父、岸信介と創価学会第2代会長の戸田城聖が、父、安倍晋太郎と池田が親しかったことが話題となり、安倍は池田に父がお世話になったお礼を述べ、参院選での公明党、創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したという。また、日中関係の早期改善ということで意見の一致を見たという。同月30日には公明党大会に来賓として出席し、祖父も父も公明党とは交友関係が深かったとして「何か特別な運命を感じる」と語った。[53]
- その後、国会で池田と面会した事実があったかという野党の質問に対して安倍は「そういうことはございません。」という答弁を繰り返した。[54]2007年2月13日の衆議院予算委員会でも同様に否定した。[55][56]
- 安晋会
- 国会で、 小嶋進 ヒューザー社長(当時)が自分は「安晋会」の会員で、「安晋会」会長の紹介で安倍の政策秘書を紹介してもらい、「耐震偽装問題」に関して国土交通省への対応を働きかけてもらったことを証人喚問で認めた[57]ことでその存在が知られることになった。この私設後援会の代表はかつてはバブル景気の際に自己破産したデベロッパー会社会長であり、建設・不動産業者を中心とした「UDI経営者連合会」という政治団体の理事長の杉山敏隆(ヒューザーのウェブサイトを運営していた[58]ゴールネット株式会社会長)で、副会長は APAホテル会長の元谷外志雄(イーホームズの藤田東吾社長がAPAホテルの耐震偽装の告発した直訴状を安倍晋三に直接手渡そうとしたが追い返された後にその偽装が発覚した)である。また、 耐震偽装事件とも関連があるとの説もあり、ライブドア事件の最中に不審死を遂げたエイチ・エス証券副社長であった野口英昭が理事(経理)になっていた[59]ことが判明したことなどから、「安晋会」は安倍の秘密後援会であり、安倍は耐震偽装問題に関して、業者の利益のために国土交通省に働きかけたのではないかなどの疑惑が出た。安倍は記者会見や国会で小嶋社長またヒューザー社とは一切関係がなく、国交省に対する働きかけは一切していないと明言し、国会では小嶋社長の証言の多くに嘘があると述べた。そして「『安晋会』は後援会とか政治団体ではなく、自分や自分の事務所が管理をしている団体ではない」、「慶応大学の同窓生たちの親睦会で、自分が招待された際に自分の名前をとって『安晋会』と命名した」と説明した。[60][61]
- 慧光塾(えこうじゅく)
- 故・光永仁義(1947年11月3日-2005年7月13日)が1993年に設立した経営コンサルタント会社。社長の光永は安倍の祖父の岸信介、父の晋太郎とも関係していたと言われ、安倍は父、晋太郎の秘書官時代に光永の設立した「光カメラ販売」(1991年倒産)では取締役に、「光国際通信」では「安晋会」代表の杉山敏隆と共に役員に就任していた。[62]2005年4月には光永の長男の結婚披露宴に妻と母と共に参加し媒酌人を務め、その席で光永とは父の時代からの長い付き合いがあると語っている。
- 「慧光塾」は光永がコンサルタント業務の一貫として占い・手かざし・お清め・心霊治療などを行なうなど宗教色の強いことなどから、そのような企業の広告塔になることや、そのような人物と関係することへの危惧や批判がある。
- アサリ輸入業者
- 現在輸入が禁止されている北朝鮮産のアサリを不正に輸出していた業者が、安倍との関係で摘発を逃れていたとする怪文書が2007年にマスコミで騒がれていた。実際、過去に父の安倍晋太郎と件のアサリ業者との癒着はあったが、安倍晋三との関係は無かったとされる。[63]。
- アグネス・チャン
- アグネス・チャンとは20年も親交がある友人で[64][65][66]、よく食事を共にする。[67]2、30代の頃、彼女の熱心なファンであったが[68]、外交官秘書時代にテレビ番組で知り合った[69]。アグネスは安倍の結婚式に出席して祝辞を述べ[67]、「草原の輝き」を歌った[69]。安倍も彼女の結婚式に出席したが、彼女の結婚にがっかりしたという。[68]アグネスの政界入りの噂にも、背後に安倍との関係があったとされる。[68]また、2007年にはアグネスのデビュー35周年を記念するアルバムのために、安倍は「平和」をテーマにした歌詞を作詞した。[64][65]
語録
- 「侍は志を持たないといけない」(総裁選前の挨拶で)
- 「父(安倍晋太郎)の遺志を継ぎ、父が成し得なかったことを何としてもやり遂げたい」(1991年7月の衆院選出馬時)
- 「それは『責任』、『変化』ですかね」(2006年12月12日,「2006年を漢字一文字で表すと?」との記者の質問に対して)
- 「日本人は働きすぎじゃないか。少子化対策にとってもホワイトカラー・エグゼンプションは必要」(2007年1月5日,首相公邸での記者会見で,要約)
- 「私は、コップの水が減ったとは考えず、まだこんなにあると考える」(2007年1月16日,日本記者クラブでの記者会見で,支持率の低下について)
- 「そのまんま東氏は再チャレンジに成功した。自分の再チャレンジ政策はそういうものなんだ」(2007年1月22日,首相公邸での懇談で)
- 「侵略戦争の定義は定かはでない。政府が歴史の裁判官になって単純に白黒つけるのは適切でない。」(国会で)
- 「占領時代の残滓を払拭することが必要です。占領時代につくられた教育基本法、憲法をつくり変えていくこと、それは精神的にも占領を終わらせることにもなる。」(『自由新報』より)
- 「私は今、権力の頂点にいる行政のトップとしてそういう訴訟はいちいちするべきではない」[56](創価学会の池田名誉会長と面談したことが事実が違うならどうして法的措置を取らないのかとの質問に対して、三権分立が制定されている日本の国会にて。2007年2月13日)
- 「格差があるのであれば……」 (民主党が「格差是正国会」と意義づけており、野党から「格差」という言葉を避けているのではと攻撃されている最中の国会の予算審議会で)
エピソード
好物
安倍の好物は焼き肉、ラーメン、アイスクリーム、スイカ[30][33]子供の頃から変わらない好みらしい[70]。甘党として知られ、フジテレビ系の深夜番組「百識~百で知るひとつの知識~」によれば、ナポリアイスクリームのPUPUと、東京の両国の洋菓子店MARRY'Sのマンゴープリンが好物だという(MARRY'Sのパティシエは安倍の同級生)。[71]
ファッション
寒がりである[72]ため、小池百合子環境大臣の音頭でスタートしたクール・ビズの一環である「国会内はワイシャツ・ノーネクタイ」が導入された当初は背広で通していた。[73]。しかし、東京新聞の政治ネットモニター調査では、クールビズが似合う政治家第二位となった。[74]2002年、清潔感を大切にしたファッションを心がけていることが評価され、政治経済部門でベストドレッサー賞を受賞。「いつも私の服をチェックしてくれる妻が受賞したようなもの」とコメントした。[75]一族では大叔父の佐藤栄作が1973年、兄嫁の父である牛尾治朗が1981年に受賞している。
勉強
小学生の頃の1964年から2年間平沢勝栄(後の衆議院議員、日本人拉致問題で助言したと言われる)が家庭教師についていた。[76]平沢はテレビ朝日系の番組『ビートたけしのTVタックル』で、「安倍晋三さんは、私が教えてから頭悪くなったと言うんですけどね、違うんですよ。安倍晋三さんがしっかりしてるのは私が教えたからで、私が教えてなかったら今頃網走の刑務所に入ってたかも知れないよ。」と語っている。[77]
家族 親族
- 祖父(父方) - 安倍寛(政治家)
- 祖父(母方) - 岸信介(官僚、政治家・首相)
- 大叔父 - 佐藤栄作(官僚、政治家・首相)
- 父 - 晋太郎(新聞記者、政治家)
- 母 - 洋子(岸信介長女)
- 兄 - 寛信(妻はウシオ電機会長・牛尾治朗の娘)
- 弟 - 信夫(岸家へ養子、政治家)
- 妻 - 昭恵(第5代森永製菓社長・松崎昭雄の娘、第3代森永製菓社長・森永太平の孫)
昭恵夫人は韓流スターや韓国ドラマが大好きで韓国語までも習得したほどである。ファーストレディの親韓的な姿勢が、小泉政権によって悪化した日韓関係の改善につながるのではと期待されて来た。安倍の首相就任後の訪韓の際にも同行し、その流暢な韓国語で好意的に迎えられた。
昭恵夫人との間に子供はいないが、ミニチュアダックスフントの愛犬・ロイがいる。ロイは安倍晋三が首相官邸に引っ越す際に、安倍夫妻の環境の変化への不安を理由に、私邸で留守番をすることを余儀なくされた(現在も留守番中)。[78]。ロイはこのことが非常に辛いようである。[79]。
系譜
安倍家は、山口県大津郡日置村(後に油谷町に分割→現長門市)の大地主であり酒や醤油の醸造を営んでいた。祖父の安倍寛が日置村村長、山口県議会議員などを経て、1937年、衆議院議員に当選し政治一家となった。
「共同通信社」出身のジャーナリスト古沢襄によると、安倍晋太郎は自分たち安倍家のルーツは岩手県(安倍氏 (奥州))であり、安倍宗任の末裔だと言っていたという。安倍宗任は1051年の前九年の役にて源頼義、源義家率いる源氏に破れ、大宰府に配流された奥州(陸奥国)の豪族の一人である。(安倍宗任と安倍晋三を参照)
慎太郎……彪助━━寛━━晋太郎━┳寛信 ┣晋三 ┗信夫
著書
- 美しい国へ(文藝春秋 2006年7月 ISBN 4166605240)
- 日中対話 言論ブログ・ブックレット 私ならこう考える -- 有識者の主張 (言論NPO 2006年12月 ISBN 9784903743011)
- 安倍晋三対論集 日本を語る (PHP研究所 2006年4月 ISBN 4569643639)
- この国を守る決意 (岡崎久彦との共著 2004年 扶桑社 ISBN 4-594-04331-3)
参考文献
- 佐藤朝泰 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 立風書房 2001年 75貢
- 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 角川書店 2002年 62、212-228貢
- 野上忠興 『気骨 安倍晋三のDNA』 講談社 2004年
- 山際澄夫 『安倍晋三と「宰相の資格」』 小学館 2006年
- 大下英治 『安倍家三代』 徳間書店 2006年
- 水島愛一朗 『安倍晋三の人脈』 グラフ社 2006年
関連項目
外部リンク
脚注
- ^ a b 「人間・安倍晋三の実像」(1)(『ライブドア・ニュース』 満富俊吉郎、徳永裕介 2006年9月19日付)。
- ^ 『滋賀市民新聞』平成19年2月12日 第4784号
- ^ 出版業界紙『新文化』 過去のニュースフラッシュ
- ^ 『安倍晋三の本性』俵義文 , 魚住昭 ,横田一 , 佐高信 『週刊金曜日』取材班 、(「金曜日」 2006年11月)
- ^ 衆議院 本会議 平成18年(2006年)10月3日)「在任中に憲法を改正をしたい」との考えを述べた。(平成18年12月19日)
- ^ 非核三原則に関する質問主意書
- ^ 衆議院議員鈴木宗男君提出非核三原則に関する質問に対する答弁書
- ^ 「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」
- ^ 安倍内閣総理大臣記者会見、2006年9月29日
- ^ 「安倍首相、北に対するテロ支援国家指定の解除に反対」(『朝鮮日報』 2007年2月23日付)。
- ^ 「第166回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説」
- ^ 「日豪首脳、安保共同宣言に署名・EPAは4月交渉入り」(『日本経済新聞』 2007年3月14付)
- ^ 「安倍首相 『豪との共同宣言、中国狙ったものでない』(『朝鮮日報』2007年3月14日付)
- ^ 「日豪 安保で共同宣言 対北朝鮮、PKO連携強化 首脳会談」(『西日本新聞』朝刊 2007年3月14日付)
- ^ 「豪首相、日慰安婦発言に『弁解するな』警告」(『中央日報』 2007年3月13日付)
- ^ 第165回国会 衆議院 予算委員会 第3号 平成18年(2006年)10月6日
- ^ 第165回国会 衆議院 予算委員会 2号平成18年10月5日
- ^ 第140回国会 衆議院 決算委員会第二分科会 第2号 平成9年(1997年)5月27日
- ^ 『中央日報』 2005年4月2日付2面。
- ^ 安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書
- ^ 衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書
- ^ 『東京新聞』 2005年1月9日付
- ^ 「安倍官房長官は今年4月に靖国参拝…総裁選の争点にも」(『読売新聞』 2006年8月4日付)
- ^ 第165回国会 参議院 予算委員会 第3号 平成18年(2006年)10月13日
- ^ 第166回 衆議院 本会議 4号 平成19年(2007年)1月30日
- ^ 第166回国会 参議院 予算委員会 第12号 平成19年(2007年)3月19日
- ^ 第166回国会 衆議院 予算委員会 17号 平成19年(2007年)3月1日
- ^ 「安倍首相『大変、抵抗感じる』、『赤ちゃんポスト』関連で見解」(『日本経済新聞』2007年2月23日付)
- ^ 「赤ちゃんポスト 首相『抵抗ある』」(『東京新聞』 2007年2月23日付)
- ^ a b 「安倍総裁の素顔は? まめな兄貴、妻は元DJ」(人民網日文版、2006年9月21日)。
- ^ 第10回「40年ぶりの給食」(政府広報オンライン 2007年1月26日)
- ^ 第10回「ホット対談・教育再生」(政府広報オンライン 2006年12月14日)
- ^ a b 「自民党総裁選:3候補、20日投票へ火花 703票の争奪戦-’06総裁選」(『朝日新聞』 2006年9月9日)
- ^ 「安倍 晋三氏 自民総裁選 特集」(『読売新聞』 2006年9月8日付)
- ^ 第4回「教育再生」(政府広報オンライン 2006年11月2日)
- ^ 第154回国会 衆議院 武力攻撃事態への対処に関する特別委員会 14号 平成14年(2002年)6月10日
- ^ 『朝日新聞』 2002年10月21日付
- ^ 『asahi.com』 2007年1月29日付
- ^ 阿比留瑠比(産経新聞記者)による安倍新総裁による「朝日批判」発言集
- ^ 「ゲートウェイ」、「グランドデザイン」、「リバースモーゲージ」、「ホワイトカラー・エグゼンプション」、「新健康フロンティア戦略」、「イノベーション」、「セーフティーネット」、「パートナーシップ」、「バイオマス」、「アイデンティティー」など所信表明では109語、施政方針演説では90語の「カタカナ語」を使った。
- ^ 『朝日新聞』(2007年1月22日付夕刊) コラム「窓」
- ^ 「首相が板橋署を弔問 『日本人として誇り』」(『スポーツ報知』 2007年2月13日付)
- ^ 「安倍首相『ミヤケさん、ミヤケさん…』 殉職警官名前間違えはアッキー補佐官?」(『J-CASTニュース』 2007年2月14日)
- ^ コラム・断「殉職警官のフルネーム」(『産経新聞』 2006年2月18日付)
- ^ 統一教会系列の韓国の『世界日報(セゲイルボ)』はこの大会は、「韓日男女二千五百組の合同結婚が併せて行われた」と報じ、日本の統一教会の機関誌『中和新聞』(2006年6月1日付)も(合同結婚式の主要儀式である)「聖水式と聖婚問答が行われました」と報じたが、『セゲイルボ』は同月28日付で、合同結婚が行なわれたとしたのは誤報だったとして訂正文を掲載した。「『週刊現代』9月30日号記事に対する抗議及び謝罪・訂正要求」
- ^ この祝電の件について、『週刊現代』、『週刊ポスト』、『週刊文春』、『週刊新潮』などは取り上げなかった。
- ^ 有田芳生公式サイト『酔醒漫録』2006年6月18日の記事
- ^ 公開質問状、 全国霊感商法対策弁護士連絡会
- ^ 創価学会機関紙『聖教新聞』(20011年3月)で池田大作自身が語っている
- ^ 「四月会」は自民党が野党に転落した1994年に、自民党を支持する宗教団体(「立正佼成会」、「霊友会」、「仏所護念会」などを中心に結成され、創価学会と公明党の関係を「政教一致だ」と批判してきたが、一部の教団が公明党と連立を組んだ自民党との関係修復に乗り出したことで2001年3月に解散した。
- ^ 『FORAUM21』特集/安倍・小泉新旧首相の池田大作詣で 2006年11月1日
- ^ 『日経新聞』・『毎日新聞』・『朝日新聞』・『読売新聞』や『週刊文春』などが報じた。毎日は20日と報道。
- ^ 『毎日新聞』 2006年10月8日付
- ^ 第165回国会 参議院 予算委員会 1号 平成18年(2006年)10月11日
- ^ 第166回国会 衆議院 予算委員書会 7号 平成19年(2007年)2月13日
- ^ a b 「インターネット審議中継」での亀井静香の安倍晋三への質疑の動画(第166回国会 衆議院 予算委員会 7号 平成19年2月13日)
- ^ 第163回国会 国土交通委員会 第14号平成18年(2006年)1月17日
- ^ ゴールネット株式会社の公式サイト(ウェブアーカイブに保存されたもの)
- ^ 『週刊ポスト』(2006年2月10日号)
- ^ 第165回国会 衆議院 予算委員会 2号 平成18年(2006年)1月26日
- ^ 第165回国会 参議院 本会議 5号 平成18年(2006年)10月4日
- ^ 「『慧光塾』“教祖”と安倍晋三代議士との只ならぬ関係を物語る決定的証拠」(情報紙『ストレイ・ドッグ』山岡俊介取材メモ、2005年7月8日)。
- ^ 「「北」産? アサリ輸入業者と安倍一族の関係 」(『Yahoo!みんなの政治』 2007年3月20日)、(『読売ウイークリー』 2007年4月1日号)
- ^ a b 「安倍総理がアグネスに歌詞提供」(『デイリースポーツ』 2007年3月19日付)。
- ^ a b 「安倍首相が作詞家デビュー」(『スポーツ報知』 2007年3月19日付)。
- ^ 「クリスマス」(安倍昭恵のスマイルトーク、2007年2月5日)
- ^ a b 『週刊文春』(2003年10月9日号)161p
- ^ a b c 「?香に政界入りの噂、影には安倍首相の後ろ盾?」(『ライブドア・ ニュース』 2007年2月21日)
- ^ a b 「恐るべしアグネス・チャン?!」 『ゲンダイネット』(2007年3月23日)
- ^ 第6回「みんなで毎日朝ごはん」(政府広報オンライン 2006年11月16日)
- ^ 月例セミナー「伝統を生かした商品開発」](日本ベンチャー学会 2007年1月)
- ^ 第8回「ウォームビズから始めます」(政府広報オンライン 2006年12月7日)
- ^ 「美しい国、日本」をファッションで表現 安倍晋三・新総理を勝手にスタイリング「美しい泣きっ面」に似合う服はコレだ!」(『WWDジャパン』10月2号)
- ^ 「夏服の着こなしは 小泉首相、貫録勝ち?」(『東京新聞』 2006年7月30日付)。
- ^ 「第31回 ベストドレッサー賞(2002年)」
- ^ 「政治・安倍政権は国民の支持がカギ―平沢勝栄氏インタビュー」(JANJAN、2006年9月8日)
- ^ 『TVタックル』(2002年11月18日の放送)
- ^ 「安倍首相夫妻、公邸へ 昭恵さん、内装リフォーム-知りたい!」(『毎日新聞』 2006年11月25日付)
- ^ 「週末」(昭恵夫人の公式ブログ『安倍昭恵のスマイルトーク』 2007年2月5日)にロイの写真有り
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