玉鬘
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帖 | 名 | 帖 | 名 |
---|---|---|---|
1 | きりつほ | 28 | のわき |
2 | ははきき | 29 | みゆき |
3 | うつせみ | 30 | ふちはかま |
4 | ゆふかほ | 31 | まきはしら |
5 | わかむらさき | 32 | うめかえ |
6 | すゑつむはな | 33 | ふちのうらは |
7 | もみちのか | 34 | わかな(上下) |
8 | はなのえん | 35 | かしはき |
9 | あふひ | 36 | よこふえ |
10 | さかき | 37 | すすむし |
11 | はなちるさと | 38 | ゆふきり |
12 | すま | 39 | みのり |
13 | あかし | 40 | まほろし |
14 | みをつくし | 41 | くもかくれ |
15 | よもきふ | 42 | にほふみや |
16 | せきや | 43 | こうはい |
17 | ゑあはせ | 44 | たけかは |
18 | まつかせ | 45 | はしひめ |
19 | うすくも | 46 | しひかもと |
20 | あさかほ | 47 | あけまき |
21 | をとめ | 48 | さわらひ |
22 | たまかつら | 49 | やとりき |
23 | はつね | 50 | あすまや |
24 | こてふ | 51 | うきふね |
25 | ほたる | 52 | かけろふ |
26 | とこなつ | 53 | てならひ |
27 | かかりひ | 54 | ゆめのうきはし |
玉鬘(たまかずら)は
- 装身具のこと。多くの玉を緒に通し、頭にかけるもの。
- 毛髪のこと。特に長い立派な毛髪が美人の条件であった時代に美称辞として使われた。付け髪や付け髪を付けた髪の意味で使用されることもある。
- 「どうにもならない事」「運命」の象徴として主として文学的表現で使用される。毛髪は自分の意に反して伸び続ける事から。
- 『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第22帖。夕顔の娘・玉鬘の半生を中心に描かれた巻。本項ではこれについて記述する。なお、「玉鬘」より「真木柱」までの十帖を玉鬘を主題としたひとまとまりの物語であるとする立場からまとめて玉鬘十帖と呼ぶこともある。
- 『源氏物語』に由来する能の作品のひとつ。金春禅竹作。玉鬘(玉葛)が九州から逃れ出た物語を脚色して、その死後の妄執を描いたもの。
- 楽曲の名。地唄、箏曲の手事物。幕末から明治時代初期にかけて活躍した京都の盲人音楽家、幾山検校作曲。『源氏物語』から取材し、玉鬘の心境を歌ったもので、長い手事が二カ所に配された大曲。
- 『源氏物語』の架空の登場人物の通称。頭中将と夕顔の娘。藤原氏で、幼名は瑠璃君。本項ではこれについて記述する。
[編集] あらすじ
光源氏35歳の3月から12月。
夕顔の子、玉鬘は筑紫で成人していた。4歳で乳母一家に伴われて下国し、乳母の夫太宰少弐が死去し、上京できぬまま、既に20歳になっていた。その美貌ゆえ求婚者が多く、乳母はそれを断るのに苦労していたが、肥後の豪族大夫監の求婚に困り果て、長男の豊後介にはかって船で京に逃げ帰った。京で母、夕顔を探す当てもなく、神仏に願掛けし、長谷寺の御利益を頼み参詣の旅に出たが、椿市の宿で偶然、元は夕顔の侍女で今は源氏に仕える右近に出会った。右近の報告に源氏は玉鬘を自分の娘というふれこみで六条院に迎え、花散里を後見に夏の町の西の対に住まわせた。年の暮れ、源氏は紫の上とともに、女性らに贈る正月の晴れ着選びをした。
[編集] 玉鬘の半生
玉鬘は母・夕顔が源氏の君との逢瀬の途中で死んだ事を知らないまま、乳母に連れられて九州へ流れる。そこで美しく成長し、土着の豪族大夫監の熱心な求愛を受けるが、これを拒んで都へ逃げる。道中、乳母が彼女の今後を案じて長谷寺に詣でたところ、偶然にも夕顔の侍女だった右近に再会する。主人亡きあと源氏の君に仕えていた右近の紹介で、玉鬘は源氏の君の屋敷・六条院に引き取られる事となった。 光源氏の弟宮である螢宮をはじめ、髭黒、柏木など多くの公達から懸想文を贈られる。光源氏の放った蛍によって蛍宮に姿を見られる場面は有名。「行幸」で裳着をすませ、実父内大臣(頭中将)との対面を果たす。冷泉帝へ尚侍としての入内が決まるが、出仕直前に髭黒と突然結婚。その後髭黒との間に男児、大君、内裏の君をもうける。鄙の田舎で生い立ちながら母よりも聡明で美しく、出処進退や人への対応の見事なことよと源氏を感心させた。
「玉鬘」とは毛髪の美称辞。毛髪は自分の意に反して伸び続ける事から、文学では古来「どうにもならない事」「運命」を象徴する。『源氏物語』に登場する玉鬘も数奇な運命と自らの美しさが引き起こす騒動に翻弄され続けた女性である。また、平安時代には長い髪の美しさは女性の美そのものであった。源氏物語中彼女が最も美人であったという説もある。以上の事から玉鬘は、作者・紫式部が物語に張りめぐらせた伏線の妙を伝える登場人物とも言える。