環境適応型高性能小型航空機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
環境適応型高性能小型航空機(かんきょうてきおうがたこうせいのうこがたこうくうき)は、三菱重工業が開発している小型旅客機、およびその開発計画の名称である。三菱での略称はMJ。日本が独自の旅客機を開発するのはYS-11以来40年ぶりである。
目次 |
[編集] 推移
[編集] 経済産業省の提案
計画の発端は、2002年(平成14)8月末に経済産業省が来年度予算を獲得するとして発表した「30席から50席クラスの小型ジェット機」開発案(同時発案に50人程度の小型航空機用ジェットエンジン開発「環境適応型小型航空機エンジン」)で、YSXまでの企業各社横並びの事業を取りやめ、積極的な企業が自己責任で開発を推し進めることを目的とした。
YS-11がターボプロップエンジンによるプロペラ機であった事に対し、今回は噴射式のターボファンエンジン搭載の機体としたのには、1990年代半ばのリージョナル・ジェット(RJ)革命がある。この時期、カナダのボンバルディアとブラジルのエンブラエルが小型の地域間輸送用ジェット機(RJ)を多数発表した。キャビンの騒音が少なく、速達性に優れるジェット機は、中小エアラインに注目され、販売数を急速に伸ばした。RJの成功により、同クラスのプロペラ旅客機の販売数は急減、これらを生産していた欧米6社の内、21世紀までに4社が旅客機事業から撤退する事態となった。プロペラ機市場が凋落する一方、RJ市場は今後も拡大の見込みが大きく、日本にも参入の余地があると考えた。
計画では、機体は最先端複合材を多用して軽量化、空気抵抗を減らして高性能化、従来型よりも格段な燃費の向上で運行費を大幅に削減、最新のIT技術をふんだんに取り入れた操縦システムを採用して操縦を容易にするものとした。開発期間は平成15年(2003年)度から5年間、開発費は500億円を予定し、その半分を国が補助する。
この提案に逸早く注目した三菱重工業は、秋には10人程度の調査チームをアメリカ合衆国に派遣し、市場調査を開始した。
2003年(平成15)4月7日、経済産業省はプロジェクトの窓口となる新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)において、メーカーを招いての説明会を行い、4月末を締め切りとして希望者を募集するとした。計画案を提出したのは三菱のみで、5月29日に三菱を主契約企業として、富士重工業と日本航空機開発協会(JADC)が協力することとなった。機体開発に関しては宇宙航空研究開発機構(JAXA)が協力、富士は主翼など10パーセントを請け負った。経産省は平成15年(2003年)度予算に10億円を獲得した。
[編集] 三菱による開発
三菱は2003年(平成15)秋に概案作りを開始した結果、競合機と差別化を図るために特徴を盛り込むこととした。
- ヘッドアップディスプレイの採用
- 強化型対地接近警報装置(EGPWS)
- 航空交通警報装置、衝突防止装置の搭載
- 3次元CADの試作デモによりコスト削減
これらの新技術は2004年(平成16)までに開発し、2005年(平成17)までに試験を行う。機体は2004年までに概観作りと勉強、2005年に構想図、次いで新技術の結果を受けた計画図、2006年(平成18)までに製造図面を起こし、同年より機体の試作、組み立てに入る。2007年(平成19)に試作機をロールアウトさせ初飛行、2008年(平成20)にかけて試験飛行を行い、2009年(平成21)に形式証明を取得する。それまでに受注活動を行い、09年までにローンチカスタマーを確保できない場合は量産しないとした。また、2005年(平成17)に市場調査に基づく中間評価を行うとした。
2003年(平成15)10月29日から11月2日まで開催された静岡空港航空フェアで、三菱は初めて「MJ」縮小スケールモデルを展示し、意気込みを表した。2005年(平成17)5月の第46回パリ・エアショーでもスケールモデルと計画案をNext Generation RJとして展示した。
経済産業省は平成16年(2004年)度予算に30億円、平成17年(2005年)度予算に40億9000万円を獲得し、開発を支援した。
また、JAXAでは以下の新技術を開発、支援するとした。
- 人に優しい新世代コックピット技術
- 安全かつ軽量な機体設計に必要な超音速フラッタ解析技術
- さらに静かな機体を目指す空力騒音予測、低減技術
- 燃費削減に寄与する抵抗低減および予測手法
- 最新の高い安全基準に適合する客室設計技術
- 空力最適化に貢献する多機能風洞試験技術(PSP及びPIV適用、HLD試験技術)
- 空力最適化に用いる高精度CFD解析技術
- 重量・コスト低減を目指す構造実用化技術
[編集] 計画の変更
2005年(平成17)9月、予定していた中間評価を公表した。21世紀前半において、アジアで航空需要の急成長が見込めるなど、市場の動向から大型化が必要ということで、70席から90席に規模を拡大した。構想の再構築が必要となり、初飛行は2011年(平成23)になる見通しとなった。また、10月10日には朝日新聞朝刊でこれまでの推移が報道された。
技術力はYS-11や三菱MUシリーズで実証済みであるが、課題は販売網の構築である。これまでの国産機は、いずれも自力による販売で躓いており、三菱は包括的提携を行ったボーイングや、友好関係にあるボンバルディアの販売網を利用することも考慮している。
2006年(平成18)5月31日に開催された、経済産業省主催の民間機開発推進関係省庁協議会において、三菱はMJ開発状況についての説明を行ったが、この時点でYS-11を業務運用している防衛庁・国土交通省(航空局)・海上保安庁に対して、MJの購入を要望した。これに対して各省庁は「ニーズが合えば購入する」との認識を示した。
三菱では2007年(平成19)に行われる事業化判断の前に、MJは輸出を前提としている事から、海外パートナーの検討を行ってきた。ジェットエンジンは2006年8月にロールス・ロイスと了解覚書(MOU)を締結した。コックピットは三菱が主翼などを生産するボーイング787と同じものの採用を考え、ロックウェル・コリンズとの交渉を行っている。また、海外でのプロダクト・サポートは、小型機整備の国際網を持つスウェーデンのサーブに依頼することを同年7月に決定した。
YS-11が日本の定期航路から姿を消した2006年9月30日には毎日新聞朝刊にて、開発に乗り出した事が改めて報じられた。従来機より燃費を20パーセント削減、72席(MJ-70)と92席(MJ-90)の二種類を製作し、2012年(平成24)度の運行開始と、同型機の市場シェア25パーセント獲得を目指すとしている。
[編集] 他社の動向
富士重工業では、三菱の開発計画が始まったころより、この開発に協力すると共に、三菱の計画が一段落する2010年(平成22)を目処として、10から15席程度の小型旅客機の開発を行うと発表した。三菱の計画見直しと同時期に、この計画は8から10席に規模が縮小された。
川崎重工業では、三菱の開発計画が始まったころに、独自の125席クラス旅客機の開発を行うかどうか、2007年(平成19)に可否を決定するとした。この旅客機には、次期固定翼哨戒機の主翼など主要技術を転用するとしている。
また、21世紀に入ってトヨタ自動車と本田技研工業が相次いで航空産業への参加を発表しており、日本の航空産業はにわかに活気を帯びている。
[編集] 参考文献
- 「国産旅客機が世界の空を飛ぶ日」 - 前間孝則(講談社)ISBN 4-06-212040-2
- 「航空ファン」誌各号
- 「J-Wings」誌各号