男闘呼組
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男闘呼組(おとこぐみ)は、1980年代後半に、ジャニーズ事務所からデビューした、成田昭次・高橋一也・岡本健一・前田耕陽による4人編成の男性アイドル、ロックバンドグループ。1993年6月30日付で解散。現在、ジャニーズ事務所に所属しているのは、岡本健一だけである。
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[編集] メンバー
[編集] 初期参加メンバー
- 遠藤直人 (キーボード)(結成時に参加したが、「やはりダンスがしたい」と社長に頼み脱退。)
- 土田一徳 (同じくキーボード)(結成時に参加したが、社長のお腹を蹴飛ばしてしまい、すぐにメンバーから外された。)
遠藤、土田が抜けて、一時期は成田・高橋・岡本の3人だけで活動していたが、すぐに東京男組時代にも参加していた前田が正式加入した。
[編集] バンドサポートメンバー
- 平山牧伸 (ドラム)(愛称・ヒラぽん)
- 古関 (ドラム)
- 田中厚 (キーボード)
[編集] 概要
- グループの成り立ち
- 事務所内で仲の良かった成田と高橋の2人が、「でたらめロックバンド」というプライベートバンドを結成。
- 雑誌『マイアイドル』の'85年3月号に、ジャニーズJr.として成田・高橋・岡本の3名が初めて揃って登場。(撮影は'84年12月末)。この時に誌上でジャニーズJr.の中から更に数名を集めてバンドグループを結成するという企画が発表された。
- この3名に対し、「東京」というグループ名を社長が命名。
- この3名のメンバーで'85年2月から、明治製菓「アーモンドゴールド」というチョコレートのCMに出演。(CMソングは彼ら自身のオリジナル曲「誠、ホレたぜ」)
- 新たに守屋二郎、遠藤直人が補佐メンバーとして加わる。その後、「東京」の他に「東京男組」(後述)とも名乗るようになり、同時期に2つのグループ名が存在した。
- 更に補佐メンバーとして、前田耕陽が「東京男組」の時にのみ参加。
- '85年3月、守屋二郎が「高校受験の為」との名目で脱退。
- 同じく'85年3月、守屋との入れ替わりとして、高橋の紹介により社長にスカウトされて事務所入りした土田一徳が新たにキーボードとして加入。成田・高橋・岡本・遠藤・土田の5人で、グループ名も新たに「男闘呼組」として結成する。
- しかし土田は社長の反感を買ってすぐにメンバーから外される。以後、俳優活動に専念。
- '85年4月末、成田・高橋・岡本・遠藤に、前田を加えた計5名で「アーモンドゴールド」の新バージョンCMの撮影をする。(放映開始は'85年9月から)
- やがて、キーボード担当だった遠藤も脱退。以後、少年忍者のメンバーとなる。
- 元々の主要メンバーである成田・高橋・岡本の3名だけでの活動が少し続く。
- 「東京男組」の時から時折サポート的に参加していた前田耕陽が、正式に新キーボーディストとして男闘呼組に迎え入れられる。
- '85年の秋頃に、高橋の担当楽器がドラムからベースギターへと変わる。
- '86年、初の冠番組「アイドル花組おとこ組」レギュラー出演。
- 本格派ロックバンドをコンセプトとしていた。『DAY BREAK』(1988年発表シングル、オリコン最高チャート1位)でレコードデビュー。その際のキャッチフレーズは、「ジャニーズ事務所のおちこぼれ」だった。続いて『秋』『TIME ZONE』などのヒット曲を残していき、 1991年発表のシングル『ANGEL』からは自作曲が中心となる。尚、すでにメディアへのメンバーの露出が多かったことや、事務所側の期待の大きさもあったせいか、レコードデビューより1年半前の1987年3月の時点で既に、当時の音楽番組の雄であったフジテレビ「夜のヒットスタジオ」への初出演を果たしている。
- デビュー前より音楽的趣向が強かったため、後にコンサートにて「ペンライトは、使うな!」と呼びかけるようになる。この時から、このグループが様々な闘いを呼ぶようになってしまった。また、イメージ的にパンクロック的ノリを持っており、「ビートルズなんてクズだ!」と言う発言をしてしまったために当時の音楽ファンから大きな非難を浴びる。もっともイメージの為に発言したことで、本心ではなかったのだろうが。
- 1993年の解散後は、成田はシンガーソングライター(成田は、自身のバンド「Inorganic」を、その後「What's」を結成し、『This』『What's Live』を2002年に発表。ソロ作『Free Way』(2004年7月28日、日本クラウン)を発表、マキシシングル『ボクノスベテダッタノニ』(2004年1月21日、日本クラウン)、『Some Old One』(2004年4月21日、日本クラウン)もリリースしている)として、高橋・前田・岡本(SMAPの木村拓哉は、ギターを岡本に師事)の3人は、俳優として活動している。前田耕陽がバラエティー番組で語ったところによると「初期は演奏しているフリだけだったが、自作曲をプレイしていた後期は演奏を行っていた」とのこと。
- メンバーの活動休止(実質的な解散)は、高橋一也が事務所を解雇された為である。1993年にメンバー4人で行なわれた舞台「スラブ・ボーイズ」終了後、高橋の反抗的な行いに副社長で実質的な経営の権力を持っているメリー喜多川が激怒、高橋に解雇通告を行なった。これによりグループは活動休止(解散)を余儀なくされ、舞台の後予定されていた夏のコンサートツアーは、全公演完売だったにもかかわらず、全て中止された。尚、この解散に関しては、事務所解雇後、高橋が「一也」から「和也」に改名した時に、女性週刊誌のインタビューに応じ、その記事にて明らかにされた。また、写真週刊誌によると、一部メンバーに薬物使用疑惑があり、「疑わしきは罰する」というジャニーズ事務所特有の法則により解雇通告・解散命令となったようである。岡本が解散後に、「本当に闘いを呼んでしまった。」と言っているように、活動中は闘いを呼ぶグループであった。
[編集] 出演
[編集] ラジオ
- いくぞ!男闘呼組 (文化放送)
- ニッキと健一のリズム・オブ・ザ・ナイト (文化放送、『ラジオDE ME HER』水曜)
- ニッキと岡本のパニックラジオ (文化放送、『ラジオDE ME HER』水曜)
- Teen'sギャング男闘呼組 (文化放送、'87年4月~9月。『東京っ子NIGHTお遊びジョーズ!!』 枠内のコーナー番組。)
- ワイルドKNIGHTS男闘呼組 (文化放送、'87年10月~'88年3月までは『15はドキドキ ピンクコング』枠内コーナーとして、'88年4月からは再び『お遊びジョーズ!!』枠内のコーナーとして放送。)
- 男 DE NIGHT! (ニッポン放送)
- 男 DE NIGHT!ぶっちぎり爆走LIVE (ニッポン放送、'90年3月21日放送。XのTOSHIとTAIJIがLIVEにゲスト参加した。)
- ミッドナイト・スペシャル Part1(ABCラジオ、一夜限りの放送。翌日放送のPart2はSMAPが担当。)
- 成田昭次のMidnight rock's (文化放送)
[編集] 主なテレビ出演番組
- 欽ちゃんのどこまでやるの!?(テレビ朝日、萩本欽一氏が休養していた1985年4月3日~7月3日までの間、高橋・岡本・成田で出演。パステル系の黄・桃・緑のカラーを使ったクロ子型の衣装を着て、番組中盤に番組テーマソング『ちょっと待ってどこまでやるの!』を歌っていたが、レコードデビューの約1年後、番組で競演していたコサキンのラジオ番組にゲスト出演した際、「あの番組に出たのは忘れたい」と異口同音に語り、スタジオを凍り付かせた。)
- アイドル花組おとこ組(日本テレビ、1986年。前身番組は「ハイ!こちら音楽部」であったが、こちらは男闘呼組主演ではなかった)
- ヤンヤン歌うスタジオ(テレビ東京)
- ここんちプラネット(テレビ東京、1986年4~9月。)
- 夜のヒットスタジオDELUXE(フジテレビ、1989年8月最終週にマンスリーゲスト枠としてスペシャルライヴを披露。)
TVドラマ
- ボクの姉キはパイロット!(1987年)
- オトコだろッ!(1988年)
[編集] 映画
- ロックよ、静かに流れよ(1988年)
[編集] 舞台
- スラブ・ボーイズ(1993年、演出:ロバート・アラン・アッカーマン)
[編集] ディスコグラフィー
[編集] オリジナルアルバム
- 男闘呼組 (1988年)
- 男闘呼組 二枚目(1989年)
- 参 (1990年)
- I'm Waiting 4 You (1991年)
- 5の1…非現実… (1992年)
- 5の2…再認識… (1992年)
- 5の3…無限実… (1992年)
- ロクデナシ(1993年)
[編集] ベストアルバム
- BEST OF BALLADS(1993年)
- NEW BEST (1994年)
- ヒット コレクション (1999年)
[編集] シングル
- DAY BREAK (1988年)
- 秋 (1988年)
- TIME ZONE (1989年 セイコーのCMとタイアップ)
- CROSS TO YOU (1989年)
- DON'T SLEEP (1990年)
- ANGEL (1991年)
- 眠りにつく前に (1992年)
- Thursday Morning (1992年)
- THE FRONT (1992年)
- TOKYOプラスティック少年 (1993年)
[編集] ビデオ・DVD
- ENDLESS TRIP (1989年)
- 男闘呼組 BIG TOUR '89 in DOME (東京ドーム BMG JAPAN)
- 男闘呼組 2,050,000秒の軌跡(1990年)
- 男闘呼組 LIVE IN YOKOHAMA 1991 vol.1(横浜アリーナ BMG JAPAN)
- 男闘呼組 LIVE IN YOKOHAMA 1991 vol.2(横浜アリーナ BMG JAPAN)
- 彼らと僕・私と自分はみんな仲よし(1992年)
[編集] 写真集
- ロック派宣言 LIVE ライヴ らいぶ (音楽専科社 1988年)
- East meets West (ポニカ出版 1989年)
- NON STOP GETAWAY (音楽専科社 1990年)
- ROUGH EDGES (音楽専科社 1991年)
[編集] CM
[編集] 東京(前身)
東京(とうきょう)とは、過去に存在したジャニーズJr.のユニット。バンド形式。男闘呼組の前身グループ。 途中から、東京男組(とうきょうおとこぐみ)と名乗る時もあった。結成時は主要メンバーの3人だけ。最終的に7人編成のバンドにする予定だったがメンバーの脱退が相次いだ為、結局4人編成の男闘呼組となる。
[編集] 主要メンバー
[編集] 補佐メンバー
- 遠藤直人 (キーボード)
- 守屋二郎 (ドラム。「高校受験の為」との名目で脱退)
- 前田耕陽 (「東京男組」と名乗る時のみに参加)
[編集] オリジナル曲
- 『誠、ホレたぜ』(作詞:荒木とよひさ、作曲:The Good-Bye)