石井亨
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石井 亨(いしい とおる、大正15年(1926年)- )は、宮城県の政治家、官僚。仙台市長(在任期間 昭和59年(1984年)12月23日~平成5年(1993年)7月3日)。
[編集] 来歴
北海道出身。東京大学法学部卒業後、旧自治省に入省。千葉県開発部管理課長などを経て、昭和38年(1963年)宮城県知事山本壮一郎に宮城県職員として招かれる。その後総務部次長、商工労働部長、総務部長を務め、昭和49年(1974年)に宮城県副知事に就任。ポスト山本一番手と見られていたが、昭和59年(1984年)に革新系の島野武仙台市長が急死したため、保守系の市長候補として担ぎ出される。本人は知事になりたかったため、当初非常に消極的だったと言われる。選挙の結果石井は当選し、仙台市長となる。
その後連続3期当選する。基本的な政策は大形公共事業による「ハコモノ行政」であった。前任者、島野武市長が計画していた仙台市営地下鉄南北線建設を継承し、完成させた。また、周辺の泉市、宮城町、秋保町を吸収合併し、平成元年(1989年)仙台市を政令指定都市にした。これにより、県並みの予算規模を仙台市は持つようになり、石井は「貧乏県の知事より、政令指定都市の市長の方が面白い」と周囲に漏らすようになり、知事ポストへの執着は無くなった。
しかし、大形公共工事を重視した政策、金銭に貧欲な性格が災いし、しだいに公共工事の談合に深く係わるようになる。
平成5年(1993年)、全国的にゼネコン汚職事件の摘発が進むと石井の名も捜査対象者リストに載っているとの噂が流れた。石井の妻は「お金があったらもっと贅沢しています」などと否定していた。そして6月29日、石井は鹿島建設、間組など大手ゼネコンから1億円を収賄した容疑で逮捕された。東京地検の捜査官が市役所近くの石井の自宅マンションに踏み込んだとき、玄関にダンボール箱が積まれているのを発見した。中身を確認すると札束がぎっしりと詰まれていたという。石井は7月3日、任期途中で市長職を辞職した。この報道を聞いたかつての上司、山本壮一郎は「石井君がそんな人だとは思わなかった」とマスコミに語っている。しかし、石井と公共工事談合との係わり合いは副知事時代からあったとの指摘もある。
平成9年(1997年)1月22日、東京地方裁判所で懲役3年、追徴金1億4千万円の実刑判決を受け、服役。
[編集] 関連項目
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