社会主義労働者党
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社会主義労働者党は、
- かつてのハンガリーの一党独裁政党。ハンガリー社会主義労働者党。
- かつてのルーマニア共産党の保守派の一部が、1989年12月のルーマニア民主化革命後に新たに結成したマルクス主義の政党。
- 日本の新左翼党派。以下に詳述する。
社会主義労働者党(しゃかいしゅぎろうどうしゃとう)は、日本の新左翼党派。革命的議会主義の立場から、1980年と1990年の衆議院議員選挙と、1986年と1989年の参議院議員選挙に候補を立てているが、議席獲得には至っていない。機関紙は「変革」。委員長は、林紘義。
[編集] 結成の過程
共産主義者同盟が、60年安保闘争に敗北した後、岐阜県を中心とした部分「共産主義の旗派」が、研究団体として全国社会科学研究会(全国社研)を結成する。機関紙『火花』。
1972年にマルクス主義労働者同盟に改組し、労働者の組織化に取り組む傍ら、1984年には社会主義労働者党を発足させ、日本社会党や日本共産党、他の新左翼に代わる前衛党の建設に着手する。選挙にも何度か出馬したが、地方議員を含め、1度も議席を取ることは出来なかった。選挙では日本共産党と共に日本労働党へも「毛沢東盲従集団には何としても負けられない」と対抗意識をもやしていた。
原子力発電所増設や米輸入完全自由化の推進を訴え、それに反対する党派を「国家資本主義者」と非難するなど、政策においても他の党派とは一線を画した。1993年からの米不足の際には、「貧困国から米を大量に買い込むことこそその貧困解決につながるというのに、それに反対するとは理解出来ない」と左翼党派側を非難し、輸入を推進する政府側を擁護した。
2002年11月3日、同党は「党の実態を欠き、党としての闘いを構築できない状態」であるとして、党を解散。新たにマルクス主義同志会を結成した。
インターネット進出は左翼党派の中では極めて早く、共産党より早くホームページを開設。まぐまぐでメールマガジンも出していた。