福田亮太
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福田 亮太(ふくだ りょうた、1987年11月4日 - )は、元タレント。血液型O型。愛称は福ちゃん
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[編集] 人物
- 1999年~2000年の2年間、NHK教育の(天才てれびくんワイド)に、てれび戦士としてレギュラー出演。
- この他にもいくつかのCMや映画にも出演しているが、この番組が彼の一番の代表作であると言える。
- 天才てれびくんワイド(以下「番組」と言う)では、言動や行動、趣味や性格など全てに昭和的な匂いを持ち、さらにてれび戦士では珍しい丸刈り頭の容姿と、親近感に溢れた人間性で年上を中心に幅広い世代の人気を得ていた。
- 大人びた一面や、他のてれび戦士に言い寄られるヘタレた一面など数多くの顔を持つ三枚目キャラとして活躍。何でもそつなくこなすパフォーマーであったが、中でも彼が羞恥心やプライドをも捨てて行っていたパフォーマンス、「女装」は視聴者の反響を呼び、その姿でMTKにも出演,てれび戦士を卒業するまで断続的に行われていた。
- 番組の人気コーナー「ミュージックてれびくん」(以下MTKという)では、渋い声と安定した歌唱力で活躍。1999年度には新人ながらMTK3曲連続出演(カーマは気まぐれ・運命’99・はるかな旅へ)という偉業を成し遂げている。また、橋田紘緒・須田泰大と歌った「はるかな旅へ」は「MTK The BEST II for LIFE」に選ばれ、ソロ曲「たんぽぽ」と、卒業後に橋田紘緒とコーラスでゲスト出演した「Material Girl」が「MTK The BEST I for LOVE」に選ばれている。
- 2000年度の夏のイベントでは主役も務め、同時期の番組ドラマ「ドリーム・サーフィン」、「魔界探偵」、卒業後にゲスト出演した「ラフィン☆スター」、「まんぷくくん」では彼らしい味のある演技を見せている。
- 他にはない強い個性を持つ彼は、卒業後も上記で述べたようなゲスト出演に加え、MTK クラシックや天てれ10周年記念スペシャルにも出演し、番組にその存在感を残し続けた。
- 高校に入学後、野球部に入部した彼は芸能活動を継続していくことが不可能となり、2003年4月芸能界を引退。
また、大学入学後は野球からも引退した模様。密かに業界復帰を企んでいるという噂もある。
[編集] エピソード
- 生後3ヶ月からずっと丸刈り頭である。
- 天才てれびくんワイドの1999年度の顔合わせの時、遅刻して状況の掴みきれていない彼はスタッフの発言に踊らされ、39度の熱がある中、沢田研二の「勝手にしやがれ」を披露した。ちなみにこの「勝手にしやがれ」は、彼の新人紹介や1999年度年末総集編、天てれ10周年記念スペシャルでも披露している。
- 彼は仕事と学校と野球が忙しかったために、ファンレターの返事をほとんど返すことがなかった。
- 年上に人気のあった彼は、「私の祖母もファンです」という内容のファンレターや、「子供と共にファンです」と書かれたファンレターが何通かあったといわれる。
- 3枚目キャラながらも1発ギャグをもたない彼だったが、番組に出演していた2年間で「ダブルネリチャゲ」という名前の顔ギャグを3回だけ披露している。
- 「ダブルネリチャゲ」はてれび戦士には大人気であったが、視聴者の反響は全くなかった。
- テレビでは一度も披露されることはなかったが、2000年度の番組ドラマの撮影時に、当時の謝罪会見から彼が生みだした「謝罪」といって、真顔で頭を深々と下げるギャグは、てれび戦士の反響を呼び、一時てれび戦士の謝罪スタイルになったらしい。
- 年下のてれび戦士の面倒を見る事と平行して、その保護者への気遣いも欠かさなかったと言われる。
- てれび戦士とはプライベートでの交流も多く、その現場を幾度か目撃されている。
- 橋田紘緒とのコンビ「コバンザメ」は、名コンビと謳われている。
- 2000年度の大晦日SPで伊藤俊輔に、「隅田川の花火大会当日、福ちゃん一家が強引に押しかけてきた」と暴露される。
- 2000年度のコーナー「ヒットをねらえ!」で山元竜一にボーカル争いで敗れた時、2人の不仲説が流れたが、本人たちは「相変わらず仲良し」と番組でコメント。
- 2000年度に共演したてれび戦士、熊木翔は番組の中のコメントで「憧れの福ちゃんと仲良くなれてよかった」とコメントしていることから、熊木翔の憧れのてれび戦士であったことが判明。
- 中学校時代生徒会長も務めている。
- 芸能界を引退したにも関わらず、高校の卒業式の卒業生代表の言葉を見事にやり切り、その功績が2006年3月4日の朝日新聞に掲載され、メディア界に再び顔を覗かせている。
[編集] 作品
[編集] テレビ
- NHK教育「天才てれびくんワイド」1999~2000年