秋月種政
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秋月 種政(あきづき たねまさ、明暦4年5月15日(1658年6月15日) - 正徳6年2月26日(1716年3月19日))は、日向高鍋藩の第4代藩主。父は第3代藩主・秋月種信(種政は次男)。母は松浦隆信の娘。正室は松浦棟の娘。側室は多数。子に種弘、娘(脇坂安清室)。官位は従五位下。長門守。山城守。
明暦4年(1658年)5月15日生まれ。幼名は万作。兵部。長兄の秋月種恒が早世したため、次男の種政が世子となり、元禄2年(1689年)2月晦日の父の隠居で後を継いだ。このとき、弟の秋月種封に3,000石を分与したため、3万石から2万7,000石となった。藩政においては郡代や代官制度などの統治体制の整備、さらに長宝寺堤の建設などの治水工事や農地拡大、有能な人材の登用などに努めた。宝永7年(1710年)8月2日、子の秋月種弘に家督を譲って隠居し、正徳6年(1716年)2月26日に高鍋上江にて死去した。享年59。法号:天祐院殿慶岳宗善大居士。墓所:宮崎県児湯郡高鍋町の大竜寺。
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