秋月種信
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秋月 種信(あきづき たねのぶ、寛永8年12月14日(1632年2月4日) - 元禄12年7月27日(1699年8月22日))は、日向高鍋藩の第3代藩主。父は第2代藩主・秋月種春(種信は長男)。母は佐久間勝之の娘。正室は松浦隆信の娘。側室に山名氏、吉川氏など。子に種政、種封、娘(安部信峯室)、娘(北条氏朝室)。官位は従五位下、佐渡守。
寛永8年(1631年)12月14日生まれ。万治2年(1659年)、父の死去により後を継ぐ。父の時代から起こっていた家督相続問題に決着をつけるため、反抗的な家臣の多くを粛清して綱紀を強めた。その上で新たな人材登用においては、身分や国にとらわれない有能な人材登用を行なっている。他にも高鍋城の整備を行ない、延宝元年(1673年)には財部を高鍋と改名した。
天和3年(1683年)、信州長沼藩主の佐久間勝親が改易されたとき、その縁戚に当たることから種信にも2ヶ月間の閉門処分が下された。元禄2年(1689年)2月晦日、次男の秋月種政に家督を譲って隠居し、元禄12年(1699年)7月27日に69歳で死去した。墓所:宮崎県児湯郡高鍋町の竜雲寺。
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