第二水俣病
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第二水俣病(だいに みなまたびょう)は1964年に確認された四大公害病のひとつ。熊本県の水俣病と同様の症状が確認されたためにこの名がある。 新潟県阿賀野川下流域で患者が発生した事から「新潟水俣病」や「阿賀野川有機水銀中毒」とも呼ばれる。
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[編集] 原因
昭和電工(→鹿瀬電工→新潟昭和)鹿瀬工場(新潟県東蒲原郡鹿瀬町、現・同郡阿賀町)でアセトアルデヒドを生産中に生成され、未処理のまま廃液として阿賀野川に排出されたメチル水銀が、川で獲れた魚介類の摂取を通じて人体に蓄積された事による有機水銀中毒。
[編集] 経過
患者が起こした損害賠償請求訴訟において昭和電工側は“原因は新潟地震によって川に流出した農薬”と主張していた。1964年に発生した新潟地震により、水銀農薬を保管していた新潟港埠頭倉庫が浸水する被害を受け、そのとき農薬が流出したのではないかと疑われた。しかし当時、新潟県当局は被災した農薬の全量を把握しており、いずれも安全に処理されていたことを確認している。また、農薬として使用されていた水銀はほとんどがフェニル水銀であり、水銀中毒の原因物質となったメチル水銀ではない。
死亡患者の遺族の一人の法廷証言に「父は悶え、苦しみ……犬のように、猛獣のように狂い死にしました」とある。
第二水俣病は、熊本水俣病に対しての政府の責任回避ともいうべき対応によって引き起こされたといえる。政府は熊本水俣病が発生した時点で原因の究明を怠り、チッソ水俣工場と同様の生産を行っていた昭和電工鹿瀬工場の操業停止という措置をしなかったからである。熊本水俣病に対して的確な対応をしていたならば新潟水俣病は避けられたはずであるといわれる。また昭和電工は証拠隠滅のため都合の悪い資料をすべて破棄したと見られ、事件の全容解明はほぼ不可能とみられる。(発病の詳細なメカニズムは水俣病を参照の事)
[編集] 関連項目
- 汚染者負担原則
- 四大公害病
- 水俣病、水俣病関西訴訟、新潟水俣病
- チッソ株式会社、チッソ
- ユージン・スミス、 宇井純、江頭豊
- 底質、底質汚染
- 公害対策基本法、環境基本法、公害防止事業費事業者負担法
- 環境省
- 公害等調整委員会