新潟港
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新潟港(にいがたこう)は、新潟県新潟市から北蒲原郡聖籠町にわたる港湾。港湾管理者は新潟県。
江戸時代には北前船、明治維新直前には日米修好通商条約によって開港五港のひとつとなるなど、新潟は古くから日本海側の重要港として栄えてきた。
特定重要港湾に指定され、また日本海側では唯一の中核国際港湾にも指定されている新潟港は現在、2つの港区から構成されている。古くからの港で信濃川の河口両岸に位置する西港区(にしこうく、新潟西港)と、市域の東端、聖籠町との間に作られた掘込み式の東港区(ひがしこうく、新潟東港)に分かれる。西港は旅客・貨物双方を取り扱う。東港は工業港。
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[編集] 歴史
古代から平安時代にかけて、信濃川の河口部には蒲原津(かんばらのつ)という港が栄え、物資の集散、旅人の往来が多く見られた。
1616年には長岡城主・堀丹後守直寄によって、港町としての基礎が構築。1671年、西廻り航路の寄港地として指定を受け、国内交易の上で重要な地位を確立した。加えて1633年9月に発生した洪水によって信濃川と阿賀野川が合流し、河口部の土砂が押し流されたことによって港の水深が深まり、大型船が入港できる良港として栄華を極めた。17世紀末期には、出入港した船舶は年間約3,500隻にも及んだという。
1858年、日米修好通商条約で開港五港の一つとして北海岸開港場に指定されたものの、水深不足や北越戊辰戦争などの影響で開港が遅れ、1868年11月19日にようやく外国船に開港、貿易が開始された。翌1869年には新潟運上所(のちの新潟税関)が設けられた。
明治期は対外貿易は振るわなかったものの、北洋サケマス漁船など遠洋漁業の基地として栄えた。しかし河口港という条件が大きな障害となった。信濃川上流部からの流砂によって水深が浅くなることがたびたびあり、港の機能を維持するのに困難をきたしていたのである。そこで国は、信濃川の治水対策として1909年に着工した大河津分水事業と併せて、新潟港を近代港湾として整備するため、1907年に信濃川の河口改修事業に着手。1915年に着工された埠頭の修築工事と併せて1926年に完成した。これに伴い1924年には山ノ下の民営埠頭が、翌1925年には竜が島の県営埠頭が、それぞれ運用を始めた。1929年には満州との航路が開設され、対岸貿易の重要港の一つとして繁栄した。
しかし太平洋戦争の戦局激化に伴って、港には機雷が投下されるなどして甚大な影響を受けたため、戦争末期には使用不能となった。戦後もこれらの残骸が、港の復興を大幅に遅らせることとなった。その後、荒廃した港湾施設の再整備や、河口部の機雷や沈没船を撤去する作業が進められた結果、1952年には新潟港の航行安全宣言が出された。この間、1951年に国の重要港湾の指定を受けている。
かつて新潟市内では盛んに天然ガスが採掘されていたが、ガスを採掘する際、同時に地下水を汲み上げるため、生活基盤の整備が進み、人口が増加し始めた1950年代後半に入ると、市内では地盤沈下が深刻化した。この影響で海岸決壊が進み、新潟港の周辺地域でも砂浜の後退や海岸部の崩落、岸壁の浸水など、多くの被害を被った(その後市内では、天然ガス採掘に対して規制が敷かれた)。更には入港隻数、取扱貨物量の増加によって港湾施設が手狭となり、また河口港のため大型船舶の入港に支障があるなどの事情から、工業港としての機能を拡充することを目的に、市北部に新たに新潟東港(にいがたひがしこう)を整備することとなり、1963年に着工された。
しかし1964年6月16日に発生した新潟地震では、津波や岸壁の崩壊、石油タンク火災などにより、港湾施設が被害総額約216億円に達する壊滅的な打撃を被った。だが復旧後は施設の拡充や対岸貿易の進展によって発展を遂げ、1967年6月1日には日本海側初の特定重要港湾に指定された。そして1969年11月19日に東港が開港。同時に元々の新潟港が通称新潟西港(にいがたにしこう)と称されるようになった。その後、東港はソ連(現ロシア)、東アジア、東南アジアとの外航コンテナ航路の就航、液化天然ガス(LNG)バース、ガントリークレーンなど港湾施設の整備、そして交通網が整備され、周辺地域も工業団地として開発が進んでいくに連れ、徐々に工業港としての体裁を整えていった。1995年6月に、全国8港のうち日本海側では唯一となる中核国際港湾に指定され、翌1996年3月には新潟県地域輸入促進計画(新潟FAZ計画)が国の承認を受けるなど、国際貿易港としての機能整備が進められている。
[編集] 新潟西港(西港区)
元々新潟港として栄えたのが西港区。信濃川の河口両岸につくられた河口港である。中央区と東区に跨っている。
[編集] 国内旅客航路
新潟県本土と佐渡島を結ぶ佐渡汽船の3航路のうち、最も利用者数・取扱貨物量が多いのは、新潟~両津間の両津航路。西港の万代島埠頭にある佐渡汽船フェリーターミナルから発着しており、カーフェリーで2時間20分、ジェットフォイル(水中翼船)で1時間を所要する。また、県外への長距離フェリー航路は、新日本海フェリーが運航する北海道方面への2航路があり、山ノ下埠頭のフェリーターミナルから発着する。
[編集] 国際旅客航路
ロシア沿海州のウラジオストクやナホトカを結ぶ航路が、年に数回運航されていた。
また1959年から1984年にかけての北朝鮮への帰還事業が行なわれたことから、朝鮮戦争後の北朝鮮とも繋がりがあり、現在でも不定期ではあるが、北朝鮮・元山からの貨客船「万景峰号」が入港する港として知られている。
中央埠頭近くには国際旅客ターミナルがあり、佐渡汽船、新日本海フェリー以外の旅客船は基本的に中央埠頭からの発着となっている。
2007年6月、新潟港~トロイツァ(ザルビノ)港~束草港を結ぶフェリー航路就航予定。
- 新潟西港からの国際(旅客)航路
- 新潟~元山航路(万景峰92号。2006年は新潟発全18便予定)
[編集] 貨物・工業・漁業
- 国際貨物航路
国際貨物航路については、現在はその多くが東港区の発着となっているが、現在も荷扱いは行われている。
- 工業
かつて新潟県内では石油が産出されていた背景もあって、日本石油、昭和石油などが製油所を稼動していた。しかし施設の老朽化により、精製能力がコストに見合わなくなったことなどから、現在は新日本石油、昭和シェル石油とも油槽所として機能しているのみとなっている。
この他、JFEグループ、新潟造船、日東紡、北越製紙などが、西港区周辺に製造拠点を置いている。東北電力は、新潟火力発電所を設けている。日本石油の周辺事業から派生した企業も多く、肥料・化学製品を製造するコープケミカル、エンジンや造船など機械製造を行っていた新潟鐵工所などがそれに該当する。うち新潟鉄工は以前、鉄道車両・除雪機械などを製造する工場を置いていたが(大山工場)、合理化に伴って閉鎖。東港工場(現新潟トランシス)に機械類の拠点を集約した。この大山工場閉鎖と、新潟みなとトンネルの工事進捗に伴い、1999年3月を以って、信越本線の貨物支線「東臨港線」のうち焼島駅~東新潟港駅間が休止となり、東新潟港駅以北の臨港埠頭等に続いていた引込線も廃止・撤去された。
- 漁業
かつては遠洋漁業の基地として栄えたが、現在は近海漁業が主体。万代島埠頭南側に魚市場がある。
[編集] 埠頭
[編集] 新潟県が管理する埠頭
- 万代島埠頭(佐渡汽船フェリーターミナル)
- 水産物揚場
- 南埠頭
- 中央埠頭(貨客兼用。国際航路も含め、定期航路以外の旅客船が発着)
- 北埠頭
- 石油埠頭
- 山ノ下埠頭(新日本海フェリーターミナル)
- 通船川右岸岸壁
- 通船川左岸岸壁
- 信濃川左岸物揚場
- 下大川前地区
- 柳島地区
- 入船地区
[編集] 民間が管理する埠頭
- 臨港埠頭
リンコーコーポレーションが管理している。
[編集] 観光
- 右岸側
- 左岸側
[編集] 新潟東港(東港区)
新潟市北区と聖籠町に跨る地域に建設された掘込港。
開削前の周辺は元々、小さな漁港と砂丘、そして田畑が広がる地域だった。開港当初は交通網も未整備。公共交通も脆弱で、周辺は民家が点在する程度。海外から入港する船の乗組員は、新潟港での入港先を「East」と伝えられると、ひどく怪訝な態度になるほどだったという。
その後1980年代に入ると、港内の荷揚施設が整い、航路網が充実、更に周辺の交通網が整備されるにつれ、港内のファシリティは徐々に向上した。港周辺は工業団地として、製造業・非製造業を問わず、数多くの企業が製造拠点や出先を設けている。また南埠頭には、入港船の乗組員や周辺企業の従業員向けの厚生施設として、県が設けた「にいがたポートセンター」があり、英語、ロシア語、中国語を話せる職員が常駐している。
[編集] 貨物
[編集] 国際貨物航路
- 定期航路としては、韓国、中国、台湾、香港、シンガポールなど東アジア、東南アジアを結ぶコンテナ航路の他、日本沿岸とロシア・ボストーチヌイを結ぶトランスシベリア航路がある。特に釜山港との間には7航路が、週1便体制で運航されている。
[編集] 工業
港内には石油、LNGの備蓄基地が置かれているほか、敷地の多くは工業団地として開発され、化学、食品、機械、精密など、多岐にわたる業種が製造拠点や出先を設けている。東北電力は東新潟火力発電所を置いている。
尚、日本石油(当時)は新潟製油所の移転用地として、中央埠頭東岸壁側の土地を取得したが、その後製油所の移転計画が凍結されたため、暫定的利用法として新潟サンライズゴルフ場がオープン。しかし現在に至るまで移転は実現せず、そのままゴルフ場として使用されている。
他、サンライズゴルフ場と国道113号を挟んだ向かい側の土地は、サッポロビールが新潟工場の建設用地として取得したが、こちらも建設計画が具体化せず、同社新潟ビール園として営業。しかし結局建設計画は陽の目を見ることなく、2004年には敷地の一部がアルビレックス新潟のクラブハウス・練習場に転用された。
[編集] 埠頭
[編集] 新潟県が管理する埠頭
- 中央埠頭
- 東埠頭
- 西埠頭
- 南埠頭
- 木材物揚場
- 網代物揚場
[編集] 民間が管理する埠頭
- 全農グリーンリソース
- 全農サイロバース
- 新日鉄バース
- 東北電力専用岸壁
- 新潟LNGバース
- 海洋運輸東港岸壁
- 日石ガスバース
[編集] 観光
工業港という性格上、港自体には観光的機能は皆無。
新潟市側の太郎代地区を中心に、釣り船を出す網元や釣具店が数多く出店しているが、2004年からSOLAS条約の履行強化で港内の立入禁止区域が拡大されたため、港内の釣り場が減少している。
- 新潟サンライズゴルフ場
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 新潟港 - 新潟県港湾空港交通局
- 新潟港湾・空港整備事務所 - 国土交通省北陸地方整備局
- 新潟コンベンションセンター(朱鷺メッセ)
- 新潟市歴史博物館 みなとぴあ(施設内に旧・新潟税関庁舎あり)
- 新日本海フェリーウェブサイト