篠田淳
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篠田 淳(しのだ じゅん、1970年(生月日不明)-O型)は、岐阜県出身の元プロ野球選手(投手)。岐阜県立大垣商業高等学校卒業。左投げ左打ち。
福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の福岡移転後、初のドラフト1位指名選手である。
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[編集] 来歴・人物
大垣商3年時の1988年に全国高等学校野球選手権大会出場。エースとして3回戦まで進出する。0-1で敗れはしたが3回戦・津久見高校戦での川崎憲次郎との投げ合いはこの大会でも1・2を争う名投手戦であった(篠田も自責点は0)。3試合ほとんど完投して自責点わずか1、しかもイニング数とほぼ同じだけの三振を奪っており、この年のドラフトでは川崎(ヤクルトスワローズ1位指名)、今中慎二(中日ドラゴンズ1位指名)、前田幸長(ロッテオリオンズ1位指名)らとともに注目を集めた投手となった。
その年のドラフト会議でダイエーに1位指名(日本ハムファイターズ)が指名した中島輝士の外れ1位)を受け入団。新生ダイエー初のドラフト1位選手ということもあり、高卒としては異例の背番号16を与えられるなど、期待は大きかった。
しかし、1年目の1989年に左肩を壊したのが災いして、1軍での登板はないまま1991年に引退。球団は篠田をつぶしてしまったことを申し訳なくなかったのか、親会社のダイエーや、当時はダイエー傘下だったコンビニエンスストア・ローソンでの再就職への道を与えた。
[編集] 通算成績
- 1軍出場なし
[編集] 背番号
- 16(1989年)
- 59(1990年~1991年)
[編集] エピソード
- 篠田と投げ合いを演じた川崎はヤクルトのエースとして活躍したが、篠田同様肩の故障が引退のきっかけとなった。
- 篠田は後に名古屋市内のローソン店長になり、中京テレビのローカルニュースに出演したことがあるらしい。
- ちなみに篠田の次にダイエーに1位指名された高校生投手は、現在エースを務める斉藤和巳(1995年指名)であるが、斉藤も肩の故障が長引き、打者転向寸前のところまで行った。