今中慎二
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今中 慎二(いまなか しんじ、1971年3月6日- )は、大阪府門真市出身。平成期(1990年代~2000年代前半)のプロ野球選手。ポジションは投手。左投げ左打ち。愛称は「イマチュー」。現役時代は中日ドラゴンズで活躍した。身長・体重/182cm・73kg。1990年代の中日ドラゴンズのエースとして、ファンの記憶に現在でも強い印象を残している稀代の名投手である。
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[編集] 来歴・人物
大阪桐蔭高等学校(入学時は大阪産業大学高等学校大東校舎、3年の時に改称)では甲子園出場経験は無いが、1988年にドラフト1位で中日に入団。
高卒ルーキーながら1年目から一軍で活躍し、2年目の1990年には早くも10勝をマーク。1991年には佐々岡真司(広島東洋カープ)との防御率のタイトル争いのため、シーズン最終戦のダブルヘッダーに連続して先発するものの、タイトルは逃す。1993年には開幕投手を務め、17勝7敗、防御率2.20で最多勝、最多奪三振、沢村賞(審査項目をすべて満たす。ちなみに、これ以降項目をすべて満たした投手はまだ出ていない)、ベストナイン、ゴールデングラブ賞のタイトルを独占(最多勝は同僚山本昌、横浜ベイスターズの野村弘樹と3人の左腕で分け合う)。
この年のシーズン247奪三振は江夏豊以来の快記録であるとの声もある。1993年7月6日には1試合16奪三振を記録。1994年の10.8決戦で先発したが、集中打を浴びて4回5失点で降板、敗戦投手となる。1996年7月に左肩を痛めたが、優勝争いの為に酷使し登板、以降は不振に陥った。1999年に手術を行い、2001年に復活のマウンドに立つが、ストレートは120キロ前半で以前の球威は戻らず、惜しまれながら30歳の若さで現役を引退。
2002年より、入団当時の監督である星野仙一のツテでNHKの野球解説者となり、しばしば名古屋の民放局でゲスト解説を行っている。解説では、実況アナがファインプレーと判断しても、それに同意はせず、なぜこのプレーが起こったのかを論理的に解説するなど、かなり独特な視点で楽しむことができる。中日スポーツ野球評論家も務める。また、マスターズリーグの名古屋80D'sersに参加している。
細身の体型から華麗なフォーム(しなるような腕の振り)で145km/h前後の切れの良いストレートと90km/h前後のスローカーブ[1]を全く同じフォームで投げ分ける緩急自在のピッチングで、ときには打者がストレートに完全に振り遅れ、スローカーブを腰を引きながら見逃すこともあった。常に打者に向かっていく攻めのピッチングはファンの印象に残った。
本来は右利きだが、小さい頃、近所のおばちゃんにもらったグラブがたまたま左利き用で、それを使って練習していたことから左投げになったというエピソードがある。
打者としては、野手でも至難の技である三塁打を記録している。
そのほか 自伝「悔いはあります」がある。
[編集] 年度別成績
- 投手記録
年度 | チーム | 試合数 | 完封 | 投球回 | 勝数 | 敗数 | セーブ | 奪三振 | 防御率 |
1989年 | 中 日 | 10 | 0 | 40.2 | 1 | 4 | 0 | 30 | 6.86 |
1990年 | 中 日 | 31 | 1 | 144.2 | 10 | 6 | 1 | 85 | 3.86 |
1991年 | 中 日 | 36 | 4 | 193 | 12 | 13 | 0 | 167 | 2.52 |
1992年 | 中 日 | 11 | 1 | 76.1 | 8 | 2 | 0 | 66 | 1.77 |
1993年 | 中 日 | 31 | 3 | 249 | 17 | 7 | 1 | 247 | 2.20 |
1994年 | 中 日 | 28 | 2 | 197 | 13 | 9 | 3 | 156 | 2.88 |
1995年 | 中 日 | 25 | 3 | 189 | 12 | 9 | 0 | 150 | 3.29 |
1996年 | 中 日 | 25 | 2 | 179.2 | 14 | 8 | 0 | 153 | 3.11 |
1997年 | 中 日 | 10 | 0 | 44.2 | 2 | 2 | 0 | 18 | 4.03 |
1998年 | 中 日 | 14 | 0 | 62.1 | 2 | 8 | 0 | 50 | 5.34 |
1999年 | 中 日 | 5 | 0 | 8 | 0 | 1 | 0 | 6 | 7.88 |
2001年 | 中 日 | 7 | 0 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3.27 |
通 算 | 233 | 16 | 1395.1 | 91 | 65 | 5 | 1129 | 3.15 |
[編集] タイトル
- 1993年 最多勝 最多奪三振 沢村賞 ベストナイン ゴールデングラブ賞
[編集] 背番号
- 14 (1989年 - 2001年 : 中日)