米田一典
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米田 一典(よねだ かずのり、1950年6月24日 - )は元全日本女子バレーボールチーム監督。
広島県出身。崇徳高校時代にセッターとして高校総体優勝。1973年、法政大学在学中に日立女子バレーボール部にコーチとして就任。1975年、監督に昇格し日立を常勝チームに育て上げた。1974年には全日本女子チームコーチに就任、山田重雄監督の片腕として活躍し、1976年のモントリオールオリンピック、1977年のW杯などの金メダル獲得に貢献した。
1984年にはロサンゼルスオリンピック全日本女子監督に就任して銅メダルを獲得。1990年に再び全日本女子監督に就任し、1992年のバルセロナオリンピックでは5位の成績を残した。その他Vリーグの監督としても活躍した。
2001年5月には、監督を務めていた「日立ベルフィーユ」が廃止された。日立製作所のリストラの一環としてだった。
2005年4月に香川県に女子バレーボールのクラブチーム四国Eighty 8 Queenが発足し同チームの監督に就任した。
[編集] 主な球歴
- 1973年 日立女子バレーボール部 コーチ就任
- 1974年 全日本女子チーム コーチ就任
- 1975年 日立女子バレーボール部 監督就任
- 1982年 ダイエー女子バレーボール部 監督就任
- 1990年 全日本女子チーム 監督就任
- 1994年 日立女子バレーボール部 監督就任
- 2003年 9月 NPO法人 J-HOTバレーボール連盟設立 理事長就任
- 2005年 四国Eighty 8 Queen 監督就任
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- ※カッコ内は監督在任期間。
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