粟生隆寛
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基本情報 | |
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本名 | 粟生隆寛 |
あだ名 | 史上初の高校6冠 |
階級 | フェザー級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1984年4月6日 |
出身地 | 千葉県市原市 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 14 |
勝ち | 14 |
KO勝ち | 8 |
敗け | 0 |
引き分け | |
無効試合 | 0 |
粟生隆寛(あおう たかひろ、1984年4月6日 - )は、千葉県市原市出身の日本人プロボクサー。
元ボクサーだった父広幸の指導の下、3歳からボクシングを始める。
習志野高校在学中に、史上初のアマチュア高校6冠を達成。高校卒業と同時に帝拳ボクシングジムに入門。入門から4年後の2007年3月3日にはプロの日本フェザー級王座を獲得。現在、最も将来を期待されている若手ホープである。
身長は167cm、ボクシングスタイルは左ボクサーファイター。
2007年3月現在のランキングは、日本フェザー級王者、OPBF東洋太平洋フェザー級5位、WBC世界フェザー級12位。
実弟の竜太も2005年11月に帝拳からプロボクサーデビューした。
目次 |
[編集] プロ戦歴
- 9戦目(2005年9月25日)、韓国スーパーバンタム級3位の文在春(韓国)と対戦。1R序盤に粟生がダウンを奪うも、中盤には逆にダウンを奪われる展開。しかし終盤にはダウンを奪い返して1RTKO勝ちを収める。
- 10戦目(2006年1月7日)、元WBA中南米スーパー・バンタム級王者リチャード・カリーリョ(ベネズエラ)と対戦し、通算3度のダウンを奪う大差で10R判定勝ち。この試合後、世界ランクイン(WBC世界フェザー級23位)
- 12戦目(2006年6月3日)、フランシスコ・ディアンソ(メキシコ)が繰り出す反則ギリギリの変則ボクシングに苦戦したものの、最大7ポイント差をつける大差で10R判定勝ちを収める。この試合で粟生はプロ・アマ通じて70連勝を達成。
- 13戦目(2006年11月13日)、前中米フェザー級王者のカブリエル・ペレスと対戦。1R早々からダウンを奪い、6Rにカウンターを決めると、ペレスは千鳥足で粟生に背を向けてロープにもたれかかる。ここでレフェリーが間に入り、粟生のTKO勝利を宣告(6RTKO勝ち)。この試合後、WBC世界フェザー級15位にランクイン。これにより世界タイトル挑戦権を獲得。JBCの規定(世界ランキング15位以内に入った選手は日本ランクから外れる)により、日本ランキングから外れる。
- 帝拳ジム本田明彦会長は、タイトル獲得後も最低10戦は経験を積ませてから世界挑戦をさせるとコメントしている。初防衛戦は7月に行う予定。
[編集] 戦績(プロ・アマ)
- アマ戦績76勝(27KO・RSC)3敗
- プロ戦績14戦14勝(8KO)無敗
[編集] 獲得タイトル(プロ・アマ含)
- 選抜大会バンタム級優勝(アマチュア=高校1年時)
- 高校総体バンタム級優勝(アマチュア=高校2年時)
- 国体バンタム級優勝(アマチュア=高校2年時)
- 選抜大会フェザー級優勝(アマチュア=高校2年時)
- 高校総体フェザー級優勝(アマチュア=高校3年時)
- 国体フェザー級優勝(アマチュア=高校3年時)
- 第54代日本フェザー級王者(プロ=防衛0=継続中)
[編集] 粟生隆寛と亀田興毅
- 両者はデビュー同時から「東の粟生、西の亀田」と呼ばれ、何かと比較されている。
- 粟生と亀田をライバルとして見る意見がある一方で、「人気の亀田、実力の粟生という両者の立場を皮肉った意見や、「相手を恫喝するような無礼な亀田を粟生のライバルとして見るのはおかしい」「ライバルも何も、両者は階級が違いすぎる」「作られたボクサーである亀田と正統派の粟生では格が違いすぎる」など、粟生と亀田を比較するのは間違っているという意見もある。また、そもそも階級が大きく違い、直接対決の可能性が極めて低いため、実力面での比較はほぼ不可能である。