帝拳ボクシングジム
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帝拳ボクシングジム(ていけん ぼくしんぐじむ)は、東京都新宿区神楽坂にあるプロボクシングのジム。
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[編集] 概要
1925年先代本田明氏が設立したが1965年7月3日逝去し、先代会長の子息で立教高校3年であった、当時17歳の本田明彦が新会長就任。現在実質的にジム内を切り盛りするマネージャーは長野ハル及び浅尾雄太。最古参のトレーナーは桑田勇。元世界王者の小林弘も以前は帝拳でトレーナーをしていた。 2007年3月18日に、本田会長がプロモート業に専念するため浜田剛史が、新設の代表に就任したが、前述の事情のため実質的な体制は変わらないと見られている。
本田会長は国内において、「本田天皇」と呼ばれた先代の業績をはるかに上回るほどの実績を重ね、国外の業界人に「ミスターホンダ」「セニョールホンダ」(※ボクシングの盛んな国では、Mr.Hondaというと故:本田宗一郎氏ではなく、明彦氏のことを指す)と呼ばれる程の豪腕で業界の隅々まで熟知しており、先代会長亡き後若かった会長を支えてきた多くの人間への恩返しとして一途に稼業に邁進している。
世界的なプロモーターとしても知られており、ジムの規模・本田会長の影響力などから、帝拳は実質、日本プロボクシング界で最も力のあるジムと見ていいだろう。膠着していたグリーンツダから協栄への亀田興毅の橋渡しも本田会長の決断なしにはありえなかった。
日本テレビとタイアップしてダイナミックグローブ、WOWOWとタイアップしてエキサイトマッチ~世界プロボクシングといった興行やプロボクシング番組をプロデュース。しかし、テレビ東京とタイアップする場合も年に数回ある。
なおかつてのジムは、東京都の北区王子や新宿区の早稲田や四谷に在った。現在の練習場は、1998年6月1日にオープンしたものである。
[編集] 系列ジム
大阪府(大阪帝拳)、青森県(八戸帝拳)、福岡県(福岡帝拳)と、国内だけでも3つの系列ジムを所持しているが、アメリカ大陸の国々にも帝拳系列のジムや事務所(アメリカ帝拳、メキシコ帝拳、ベネズエラ帝拳、ラスベガスオフィス)が存在する。
[編集] 選手
[編集] 帝拳系列出身日本人世界王者
- 大場政夫(WBAフライ級=帝拳)
- 浜田剛史(WBCスーパーライト級=帝拳)
- 渡辺二郎(WBA・WBCスーパーフライ級=大阪帝拳)
- 六車卓也(WBAバンタム級=大阪帝拳)
- 辰吉丈一郎(WBCバンタム級=大阪帝拳)
[編集] 帝拳系列契約外国人選手世界王者
- エロイ・ロハス(WBAフェザー級=ベネズエラ)
- デビッド・グリマン(WBAフライ級=ベネズエラ)
- ヘナロ・エルナンデス(WBA・WBCスーパーフェザー級=アメリカ)
- ホセ・ルイス・ブエノ(WBCスーパーフライ級=メキシコ)
- セサール・バサン(WBCライト級=メキシコ)
- ロレンソ・パーラ(WBAフライ級=ベネズエラ)
- エドウィン・バレロ(WBAスーパーフェザー級=ベネズエラ)
[編集] 現役有名選手
- 西岡利晃(WBC世界スーパーバンタム級3位 元日本バンタム級王者)
- ホルヘ・リナレス(WBA世界フェザー級2位 WBA中南米スーパーバンタム級王者)
- 稲田千賢(WBC世界ライト級16位 元東洋太平洋ライト級王者)
- 池原信遂(元日本バンタム級王者)
- 粟生隆寛(日本フェザー級王者 アマチュアボクシング高校6冠)
- 粟生竜太(粟生隆寛の実弟)
- 五十嵐俊幸(アテネオリンピックライトフライ級日本代表)
- 佐藤幸治(アマチュア13冠)
[編集] 既に引退した有名選手
- 小坂照男(スーパーフェザー、ライト級で世界挑戦3度)
- 穂積秀一(フライ級で世界挑戦2度)
- 関博之(スーパーフライ級で日本王座挑戦4度)
- 尾崎富士雄(ウェルター級で世界挑戦2度)
- 八尋史朗(ライトフライ級で世界挑戦3度、フライ級でもIBF世界ランク入り)
- 葛西裕一(スーパーバンタム級で世界挑戦3度)
- 大和心(元東洋太平洋スーパーバンタム級王者)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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