細川尚春
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時代 | 戦国時代 | |||
生誕 | 不明 | |||
死没 | 永正16年5月11日(1519年6月8日) | |||
官位 | 淡路守 | |||
氏族 | 細川氏 | |||
父母 | 父:細川成春 |
細川尚春(ほそかわ ひさはる)は、戦国時代の武将。淡路守護細川家の事実上、最後の当主である。
細川成春の子として生まれる。文明15年(1485年)、父の死去により家督を継いで淡路守護となる。管領の細川政元に従い、永正2年(1505年)には政元の命令によって讃岐に侵攻して細川成之や三好之長らと戦うが敗れた。永正4年(1507年)に政元が暗殺されると、細川高国や細川澄元らに味方して、細川澄之を戦死に追い込んだ。
しかしその後、独立を企んで実権を握った高国と対立する。永正8年(1511年)に三好之長が高国に対して和泉で挙兵すると、それに呼応して淡路で挙兵し、播磨に侵攻したが、敗れて淡路に撤退する。その後、情勢不利となって高国に降伏したが、永正14年(1517年)に三好之長の淡路侵攻に敗れて和泉堺に逃亡する。そして永正16年(1519年)5月11日、阿波において之長によって殺害されたのである。
尚春の死去により、名実共に淡路守護細川家は断絶した。