船津伝次平
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船津伝次平(ふなつ でんじべい、天保3年(1832年) - 明治31年(1898年)6月15日)は「明治の三老農」の一人。元東京大学講師。船津農法の発明者。幼名は船津市造。上野国原之郷(現群馬県勢多郡富士見村)出身。
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[編集] 略歴
- 1832年 誕生。
- 1857年 父が死去。船津伝次平襲名。
- 1858年1月 名主に就任。赤城山植林事業に参入。
- 1877年 駒場農学校(現在の東京大学農学部)に奉職。農業を講義。
- 1878年 農商務省入省、農事試験場技師に就任。
- 巡回講師として全国各地で農業指導。船津農法を広める。
- 1898年3月 農商務省を定年退官。高等官六等正七位。藍授褒章受賞。
- 1898年6月15日 急死。
- 1918年 従五位に列せられる。
- 1951年 地元の墓が群馬県指定史跡になる。
[編集] 趣味
[編集] 顕彰碑
[編集] 著書
- 「里芋栽培法」
- 「農家の薬」
- 「蚕糸の教」
- 「稲作小言」
- 「太陽暦耕作一覧」
[編集] エピソード
- 一見マイナーな人物に見えるかも知れないが、群馬県内での知名度はほぼ100%である(ただし、何をした人物なのかということは県内でも知る人は多くない)。なぜなら、群馬県人なら誰でも知っている上毛かるたの「ろ」の札が船津を詠っているのである。
- 室町時代後期、上野国(群馬県)で活躍した農政家、大谷休泊は先輩にあたる。
カテゴリ: 人物関連のスタブ項目 | 1832年生 | 1898年没