花柳幻舟
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花柳 幻舟(はなやぎ げんしゅう、1941年5月15日 - )は、舞踊家、作家、社会運動家、フェミニスト。本名は、川井 洋子。
2歳で舞台に立ち、旅役者の子であることを理由に転校先の学校でいじめに遭う。18歳で結婚して家父長制の矛盾に直面し、夫から自立するために花柳流(踊り)に入門。花柳流名取となったが家元制度に疑問を感じ、その根源に天皇制があるとの認識を持つに至って、家元制度打倒の運動を開始。花柳流家元(三世)花柳寿輔を襲撃して包丁(*1)で刺し、傷害罪で服役。天皇即位礼の祝賀パレードで爆竹を投げて道交法違反(路上危険行為)で罰金の支払いを拒絶し服役。2004年、放送大学を卒業し、その報告をまとめた『小学校中退、大学卒業』を上梓する。
- (*1) 包丁ではなくナイフであったという記述が散見されるが、それは誤りである。なぜならば、幻舟は購入の際不審に思われることを避けようとして、まな板を同時に購入しているからである。
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[編集] 経歴
京阪神を中心に西日本各地を巡回する劇団の子として大阪市に生まれる。父は、関西歌舞伎の役者・浪曲師であった嵐家三郎。
兄姉はいたが他家に預けられており、幻舟(洋子)は2、3歳のときから旅回りに連れられて舞台に立った。劇団を解散しては結成するという繰り返しのなかで育ち、兵庫県の宝塚市立小浜小学校に通い始めるが、教師や同級生からの差別やいじめに遭い、保護者参観日は、教師から「(学校に)来なくていい」と登校を禁じられ、学校に嫌気をさしていたところ、新劇団を結成した父に引き取られて旅役者生活に戻る。
10歳のころ、母は兄姉を連れて劇団を去り、以後は父との旅回り生活が始まる。15歳の終わり頃、父が旅回りをやめ警備員の仕事に就いたのを期に、就職のために奔走する。しかし、学歴がないことを理由に断られた。在日朝鮮人や「部落民」と同様に差別されていることを自覚。16歳で自殺未遂、駅員に助けられる。
その後、高校卒だと申告して学歴を詐称して建設省近畿地方建設局の第二阪神国道工事事務所に就職、昼は建設省、夜はパチンコ屋、電話交換、飲み屋、キャバレーの歌手、ホステスなど、土曜・日曜はモデル、子守り、犬の散歩などのアルバイトをこなす。18歳の時、建設省の事務所でアルバイトをしていた男にプロポーズされて結婚するが、その後離婚。
幻舟が出演している映画『秘(まるひ)色情めす市場』は、大阪西成の新世界・三角公園・ドヤ街・飛田遊廓界隈に生きる売春婦を描き、大阪下町の情景・空気と、時代の虚脱感・無気力感を描いた映画監督・田中登の初期の代表作。 原題は『受胎告知』だったが日活の意向で無理矢理改題させられた、と田中登は後に説明している。主演は芹明香(丸西トメ役)だが、幻舟はその母親・丸西よね役で登場。幻舟の怪演は、当時話題になった。 映画のクライマックスに通天閣ショットが出てくるが、通天閣から撮影許可が下りるかどうか問題になった。たまたま幻舟が通天閣社長の友人だったため、難なく撮影できた。田中登はのちに、「天の配剤だった」と述懐している。 東京国立近代美術館フィルムセンターに収蔵されている。
1980年2月21日、幻舟は、東京・千代田区隼町の国立劇場の楽屋廊下で花柳流宗家家元三世花柳寿輔の首に「思い知りなさい」と言いながら包丁で斬りつけ、全治2週間の傷を負わせた(*2)。有罪となり栃木刑務所で服役。 のちに、この体験をもとに『舞踊狂殺人事件 家元連続殺人 本格長篇推理〈私〉小説』を著し、また獄中体験はテレビドラマ化された。
(*2)この事件で被害者は長い期間、肉体的・精神的後遺症に苦しんだが、被害者への謝罪は今もってなされていない。
1990年11月12日、天皇即位礼の祝賀パレードが行われた厳戒下の東京・港区南青山の青山一丁目交差点付近(赤坂御所前)で、ボディーチェックを通過した幻舟はカツラをつけ、厚化粧で変装し、ウォークマンで音楽を聞くふりをしパレードの中継ニュースを聞きながら待ちかまえ、天皇のオープンカーめがけて点火した爆竹約60本の束を投げつけた。 幻舟はその場で現行犯逮捕された。その際、幻舟を奪い取ろうとして暴れた右翼数名が公務執行妨害と傷害罪で逮捕された。 道路交通法違反(路上危険行為)と東京都道路交通規制違反の罪に問われ、東京簡易裁判所で罰金4万円の有罪判決が確定。
罰金の支払いを拒否して自ら小菅の東京拘置所で20日間の労役に服し、服役中に英語の習得を目指した。服役中、英語のテキストが閲読不許可になったこと、また休憩時間中のストレッチ体操を咎められ、中止させられその後休憩時間を与えられなかったことについて、出所後、国を被告として損害賠償訴訟を提起。 一連の事件について、事件の動機から訴訟に至るまでの経緯は、著書『冬の花火』に詳しい。
映画『幻舟』は、キム・ロンジノット監督が、1989年、共同監督ジャノ・ウィリアムズとともに幻舟を撮影したドキュメンタリー映画。 原題タイトルは、『Eat the Kimono(着物を食え)』。日本女性を縛る因習を描いた作品である。 拘束衣でもある着物に家父長制の象徴的な意味を込め、「着物を着て自由を表現したい」「着物に食われてはいけない、着物を食え(着物に食われて身動きのとれない女性になってはいけない)」と作中で語る幻舟の言葉からつけられた。 ロンジノットは黒澤明のファンだったが、映画に登場する日本女性に親しみを持てず、違和感を感じていたところ、花柳幻舟の記事を読んで興味を持ったことが撮影のきっかけとなった。英国のテレビ局・チャンネル4が放映、アセン国際映画祭ではグランプリを獲得した。
1995年、幻舟は放送大学学園に入学、途中、司法試験を目指して勉強した3年間のブランクをはさみ、2004年3月に卒業した。禁固以上の刑を受けた者は弁護士の欠格事由(弁護士法六条の一)となることを知り、どうせやるなら最難関をと目指した司法試験は断念することになった。 卒業論文は、「メディアの犯罪、その光と影-ある創作舞踊家が逆照射した現代の報道イズム」で、著書『小学校中退、大学卒業』に掲載されている。卒業式の国歌斉唱では起立しなかった。 著書『小学校中退、大学卒業』は、文字通り幻舟の大学生活を報告する書となっている。
[編集] 年譜
- 1966年 花柳流の名取りとなる。
- 1968年 大阪・中座で「花柳幻舟リサイタル」を開き家元制度を告発。
- 1977年 矢崎泰久、中山千夏、ばばこういちを中心にして結成された革新自由連合に企画委員として参加。
- 1980年2月21日 花柳流家元・花柳寿輔を襲撃して包丁で刺す
- 1981年5月 栃木刑務所からの出所報告講演会(四谷公会堂)
- 1990年11月12日 天皇即位礼祝賀パレードの天皇に向かって爆竹を投擲。
- 1991年6月20日 東京簡易裁判所判決で罰金4万円。
- 同年9月 罰金を拒否し、東京地方検察庁に自ら出頭して東京拘置所で20日間の労役囚に服役。
- 同年12月 東京拘置所服役中の処遇を不服として本人訴訟で国を被告に損害賠償訴訟を提起。
- 1993年2月 天皇即位礼での爆竹の投擲をつづった『冬の花火』を出版。
- 1995年 放送大学入学。
- 2004年3月 日比谷・松本楼で「放送大学卒業と『小学校中退、大学卒業』出版を祝う会」を開催。
- 2004年5月 自転車操業インターナショナル連合会(略称: 自操連)を創立し、自らが永世総裁となる。
[編集] 著書
- 1972年 『花柳流に反逆する 愛と憎しみの谷間で』(『ワニの本』193)ベストセラーズ
- 1976年 『子宮からの出発 生・愛・死』真海出版社
- 1979年3月 『無学盲目体当り』話の特集、(長谷川きよしと共著)
- 1981年1月 『修羅 家元制度打倒』三一書房
- 1982年2月 『夕焼は哀しみ色』三一書房
- 1984年3月 『舞踊狂殺人事件 家元連続殺人 本格長篇推理〈私〉小説』作品社、ISBN 4878938048
- 1984年5月 『女のたびだち』作品社、ISBN 4878930969
- 1986年5月 『オッサン何するねん! 文化人エンマ帖』データ・ハウス、ISBN 492444233X
- 1993年2月 『冬の花火』パンドラ、ISBN 4768477267
- 2004年3月 『小学校中退、大学卒業 新・学問のすすめ』明石書店、ISBN 4750318760
- 2004年10月 『逃げたらあかん! 何もしなければ、何も変わらない』ロングセラーズ、ISBN 4845407523
- 2005年12月 『十四歳の死刑囚』現代書館、ISBN 4768469140
- 2005年12月 『ウソつきは、人間の始まり あなたに贈る勇気と希望と強く生きるための言葉』健学社、ISBN 4779700035
[編集] 出演映画
- 1968年5月 『怪談残酷物語』松竹大船
- 1968年10月 『秘帳 女浮世草紙』青山プロ
- 1969年2月 『異常性愛記録 ハレンチ』東映京都
- 1969年10月 『妖艶毒婦伝 お勝兇状旅』東映東京
- 1970年10月 『おんな牢秘図』大映京都
- 1972年5月 『続・色暦大奥秘話 淫の舞』日活
- 1972年9月 『江戸小町 淫の宴』日活
- 1972年11月 『新・色暦大奥秘話 やわ肌献上』日活
- 1972年12月 『戦国ロック 疾風の女たち』日活
- 1973年2月 『秘(まるひ)大奥外伝 尼寺淫の門』日活
- 1974年9月 『秘(まるひ)色情めす市場』日活
- 1974年10月 『秘本 袖と袖』日活
- 1975年2月 『実録阿部定』日活
- 1976年4月 『淫乱な関係』日活
- 1976年 『河内のオッサンの唄 よう来たのワレ』
- 1976年9月 『花芯の刺青 熟れた壺』日活
- 1977年4月 『壇の浦夜枕合戦記』日活
- 1978年1月 『私は犯されたい』
- 1980年9月 『純』工藝舎
- 1983年8月 『エロスの少年』東映ビデオ
- 1987年12月 『待ち濡れた女』にっかつ=アイデックス21映像プロデュース
- 1989年9月 『幻舟』("Eat the Kimono")、キム・ロンジノット (Kim Longinotto) クレア・ハント (Claire Hunt)
- 1990年 『扇の切口』("Des Fächers Schneide")ブリギッテ・クラウス(Brigitte Krause)、Film Sales & Entertainment GmbH
[編集] 主なテレビドラマ
- 1984年5月 『花柳幻舟獄中記』テレビ朝日
- 1985年4月 『花柳幻舟獄中記II 女子刑務所花の同窓会』テレビ朝日
[編集] 歌
- 1975年 『幻舟のかき節』(B面: 『旅芝居の歌』)
[編集] 外部リンク
ホームページ*http://www.k5.dion.ne.jp/~genshu-h/
- 書評Wiki: 花柳幻舟
- Internet Movie Database (IMDb): Genshu Hanayagi(英語)
- THE KNIFE BEHIND THE FAN(英語)