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菅原 泰夫(すがわら やすお、1946年4月1日 - )は日本中央競馬会の元騎手。同会調教師。東京都出身。いわゆる中央場所では余り日の当たることはなく地味な存在であったが、 1975年春の4歳(現3歳)クラシックにてカブラヤオー、テスコガビーに騎乗して4鞍すべてを独占、「空前絶後」と評される。このときカブラヤオーの強引な逃げで「無謀」と非難されたが、他馬を怖がる弱点については同馬が引退するまで口にしなかった。 その後1982年、1983年での菊花賞連覇等、思い切りの良い騎乗で「勝負師」と呼ばれた。通称「泰さん」。1992年に増沢末夫騎手と共に現役を引退した。現在は美浦所属の調教師である。
[編集] 来歴
[編集] 騎手通算成績(中央競馬)
通算成績 |
1着 |
2着 |
3着 |
4着以下 |
騎乗回数 |
勝率 |
連対率 |
平地 |
769 |
657 |
672 |
4331 |
6429 |
.120 |
.222 |
障害 |
0 |
1 |
0 |
1 |
2 |
.000 |
.500 |
計 |
769 |
658 |
672 |
4332 |
6431 |
.120 |
.222 |
[編集] その他の騎乗馬
[編集] エピソード
- 菊花賞をミナガワマンナで勝ったときに、菅原は当時関西テレビで競馬実況をしていた杉本清アナウンサーと談笑し、「なぜ杉本さんが『淀の坂はゆっくりと下らなければいけない』と強調していたのか、初めてわかった気がする」と語っている。翌年のホリスキー騎乗での菊花賞連覇や1988年の天皇賞・春でのランニングフリー騎乗でタマモクロスの2着にもってきたのも、この時の経験が生きたとも言える。
- 菅原が主戦騎手であったテスコガビーとカブラヤオーの直接対決が過去に1度あったが、この時は両馬の調教師に騎乗馬を一任。その結果、『一度断ると乗れなくなる可能性がある』所属厩舎で無いテスコガビーに騎乗した(所属厩舎のカブラヤオーには弟弟子・菅野澄男騎手が騎乗)。