菊花紋章
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菊花紋章(きくかもんしょう、きっかもんしょう)とは、菊の花をかたどった紋章の総称。十六弁の八重菊を図案化した紋章(家紋)であることから、十六弁八重表菊紋ともいう。日本の天皇と皇室を表す紋章であり、日本の国章に準じた扱いを受ける。菊の御紋とも呼ばれる。
法的には国旗に準じた扱いを受け、菊花紋章に類似した商標等は登録できない(商標法4条1項1号)。
[編集] 概要
菊は、奈良時代末期に、唐代の中国から日本に導入された。当初は薬草として渡来し、後に観賞用になったと考えられている。文学上は、万葉集に菊を詠んだ歌は見られず、古今和歌集、源氏物語などから登場する。平安時代には、陰暦9月を菊月と呼び、9月9日を「菊の節句」「重陽の節句」とし、菊花酒を飲む「菊花の宴」「菊花の杯」で邪気を払い、長命を祈った。菊文様も、吉祥文様として、好んで装束に用いられた。
鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、ことに十六弁八重表菊紋が天皇・皇室の「紋」として定着した。
江戸時代には幕府により三つ葉葵の紋所とは対称的に使用は自由にされ一般庶民にも浸透しこの紋章を用いた和菓子や仏具等の製品を作成する等各地に広まった。
菊花紋章が公式に皇室の紋とされたのは、1869年(明治2年)の太政官布告による。この時、天皇の紋章として十六弁八重表菊紋が、その他皇族の紋章として十四弁一重裏菊紋がそれぞれ定められた。また、1871年(明治4年)には、皇族以外の菊花紋の使用が禁止された(現在は、菊花紋章を商標として登録することはできないものの、使用することは禁じられていない。)。菊は「菊花紋章」から皇室の代名詞とされ、幕末の流行り歌に「菊は咲く咲く、葵は枯れる 西じゃ轡(くつわ)の音がする」と歌われている。
戦前は、戦艦大和など、大日本帝国海軍の軍艦の艦首に、また大日本帝国陸軍では三八式歩兵銃に付けられていた(特に銃は、雑に扱おうものなら処罰された)。
現在でも、在外公館の玄関には、菊花紋章のレリーフが付されている。また、日本国発行の旅券の表紙や国会議員のバッジには、菊花紋章に似た十六弁一重表菊紋が描かれている(なお、自民党の党章も、十四弁一重表菊の中央に“自民”の文字を入れた略菊花紋章。)。そのほか、菊花紋は日本の勲章のデザインにも取り入れられるなど、菊は桜と並び、国花に準じた扱いを受ける。
十二弁の菊紋もある。
[編集] 関連項目
- 国章
- 家紋
- 家紋の一覧
- 菊タブー
- en:Imperial Seal of Japan日本の国章の英語版