西ノ海嘉治郎 (初代)
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西ノ海 嘉治郎(にしのうみ かじろう、安政2年1月3日(旧暦)(1855年2月19日)- 明治41年(1908年)11月30日)は、明治中期に活躍した大相撲の力士。第16代横綱。大相撲史に3人存在する「西ノ海嘉治郎」の初代。
薩摩国高城郡(現・鹿児島県薩摩川内市)出身。本名小園嘉次郎。明治8年(1875年)、京都相撲に入り小結まで昇進する。明治14年(1881年)東京に出て高砂部屋に入門。明治15年(1882年)1月、西の海として幕内格付け出しで初土俵。同年6月場所より西ノ海嘉治郎を名乗る。明治18年(1885年)1月新大関。2場所勤めて陥落し、明治20年5月には小結まで落ちる。負け越してはいないため、この降格はまったく興行上の都合と考えられる。そこから復活し明治23年(1890年)1月場所大関復帰。場所後横綱免許を受ける。新横綱の5月場所は、成績では張出大関に相当するものだったが、横綱免許を受けたものが張出となることに不満を表明したために、横綱を明記して張出となることで妥協が成立した。その結果相撲史上初めて横綱が番付に明記され、この後横綱は名誉ではなく地位とみなされていくようになる。明治29年(1896年)1月場所後に引退。幕内通算成績は29場所127勝37敗25分4預97休。優勝相当成績2回。
引退後は年寄井筒を襲名。独立して井筒部屋を興し、横綱西ノ海(2代)、大関駒ヶ嶽國力、大関大江山、関脇逆鉾を育成した。
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カテゴリ: 明治時代の人物 | 鹿児島県出身の大相撲力士 | 1855年生 | 1908年没