賀多神社
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賀多神社 | |
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所在地 | 三重県鳥羽市 |
位置 | 北緯34度29分0秒 東経136度50分23秒 |
主祭神 | 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命ほか |
社格等 | 郷社 |
創建 | 神亀元年(724年) |
本殿の様式 | 神明造 |
例祭 | 4月第一または第二の土曜・日曜 |
目次 |
[編集] 概要
所在地は三重県鳥羽市鳥羽2丁目。神紋は花菱。
九鬼嘉隆が戦勝祈願に訪れたといわれ、竜灯松(りゅうとうまつ)と呼ばれていた神木を刈り、軍船日本丸の船床に用いたという。嘉隆はのちに杉を1,000本植えたと伝えられており、九鬼の千本杉と呼ばれたという。2006年現在、そのうちの1本だけが境内に残存している。嘉隆以後の歴代鳥羽城主からも崇敬された。
21年毎の遷宮にあたり、伊勢神宮外宮の別宮である多賀宮と月夜見宮の古材を用いる。
[編集] 境内社
明治31年に鳥羽城跡に創建されたドック稲荷を昭和33年10月3日に賀多神社境内に移転し、豊栄稲荷神社(とよさかいなりじんじゃ)と改称した。
日清戦争・日露戦争・太平洋戦争で戦死した氏子を祀る祖霊殿(それいでん)が境内にある。
[編集] 歴史
神亀元年(724年)に創建されたと伝えられる。
正徳3年(1713年)の『志陽略志』における八皇子社が当社であるとされる。
明治4年(1871年)に賀多神社と名称を変更するとともに、郷社となる。明治40年(1907年)1月21日に境外の大杉社(無各社)を合祀した。同年10月4日に境内社の岩崎神社・八幡社・子安神社・山之神社2社と、境外社の岩崎ノ上日吉社(無各社)・秋葉社・山之神社・稲荷社4社(いずれも無各社)・琴平社(無各社)を合祀した。
[編集] 祭神
- 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちはやびあめのおしほちみのみこと)
- 天之菩卑能命(あめのほひのみこと)
- 天津日子根命(あまつひこねのみこと)
- 活津日子根命(いくつひこねのみこと)
- 熊野久須毘命(くまぬくすびのみこと)
- 多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)
- 市寸嶋比売命(いちきしまひめのみこと)
- 多岐都比売命(たぎつひめのみこと)
[編集] 祭事
例祭で舞われる能楽は、宝永4年 鳥羽藩主の板倉以来、代々藩主の代理により毎年観覧されることとなった。
[編集] 社殿
木造の拝殿を持つ、木造(ヒノキ)の神明造。享保18年より、外宮別宮の多賀宮・月夜見宮の式年遷宮の古材を譲り受け、神明造の社殿に造り替えられた。明治43年には多賀宮・月夜見宮に加え、内宮と伊雑宮の古材を譲り受けたという。
[編集] 文化財
- 能面・能衣装・能舞台:県有形文化財(昭和33年)
[編集] 交通
JR東海・近鉄が乗り入れる鳥羽駅JR側出入口より約700m、徒歩約10分。
[編集] 関連項目
[編集] 参考資料
- 『日本の神々 第6巻 伊勢・志摩・伊賀・紀伊≪新装復刊≫』(2000年7月5日発行、編者:谷川健一、発行:白水社)
- 『鳥羽市史 下巻』(平成3年3月25日発行、編纂:鳥羽市史編さん室、発行:鳥羽市役所)
[編集] 外部リンク
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