赤頭巾ちゃん御用心
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赤頭巾ちゃん御用心 | ||
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レイジー の シングル | ||
リリース | 1978年2月5日 | |
ジャンル | J-POP | |
レーベル | RCA | |
プロデュース | 岡村右 | |
レビュー | ||
最高順位32位、累計売上20万枚以上(オリコン) |
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レイジー 年表 | ||
カムフラージュ (1977年) |
赤頭巾ちゃん御用心 (1978年) |
燃えろロックン・ロール・ファイアー (1978年) |
『赤頭巾ちゃん御用心』(あかずきんちゃんごようじん)は、1978年2月5日に発売されたレイジーのシングル。
[編集] 解説
1977年にデビューしたものの、ヒット曲に恵まれなかったレイジーにとって初のヒット曲。当時の彼等が要求されていたベイ・シティ・ローラーズ風の路線を色濃く反映した曲である。20万枚以上の売り上げを記録し、初めてオリコンにランクインしたことで、彼等が注目されるきっかけとなった。1978年3月5日発売の1stアルバム『This is the LAZY』に収録、ベストアルバムにも必ず収録される代表曲である。
一方、元々ハードロックを目指していた当人達にとっては、この曲は必ずしも望ましいものではなかったようである。この曲のヒットによって本来の路線とは異なるアイドル的なイメージが定着してしまったこと、その後再びヒット曲が少なくなってしまったため一発屋のイメージが定着することになってしまった(実際にはこの後発売された『燃えろロックン・ロール・ファイアー』がこの曲よりも上位にランクインしているが)ことも、未だメンバーに複雑な感情を抱かせる要因となっている。
そのためか、再結成後のライブではこの曲は封印され、冗談でイントロのフレーズが断片的に演奏されることはあっても、きちんとした形で演奏されたことは一度も無い(影山ヒロノブはラジオ番組で「当時の印象が強すぎるので(完全なハードロックバンドと化した)再結成後は歌えない」と発言。水木一郎とのラジオ番組内で弾き語りで披露したが、レイジーとして歌ったわけではない。高崎晃は雑誌のインタビューで「この曲をやるくらいなら再結成しない」と語っている)。1999年の渋谷公会堂ライブで影山が「それは次の解散ライブの時にやろう」と発言したが、これも冗談めかした言い方だったため、実現するかどうかは定かではない。
[編集] 収録曲
- 赤頭巾ちゃん御用心
- 恋のピエロ
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