那波藩
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那波藩(なははん)は、上野国(現在の群馬県伊勢崎市)に存在した藩。
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[編集] 藩史
小田原征伐後、関東に入部した徳川家康は、松平家乗に上野国那波郡内1万石を与えた。これが那波藩の立藩である。家乗は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで三河吉田城を守備した功績などを賞されて、翌年正月に2万石に加増の上で美濃国岩村藩に加増移封となった。同年2月、武蔵国川越藩から酒井忠世が5000石加増の1万石の大名として、那波藩に入る。忠世は徳川秀忠の側近として仕え、近江国や上野国内において2万石に加増された。忠世がいつ、伊勢崎藩、もしくは厩橋藩に本拠を移したか、明確な年代は不明であるが、元和2年(1616年)8月とも、元和3年とも言われている。その後の寛永14年(1637年)正月4日、忠世の孫で徳川家綱時代の大老で有名な酒井忠清の弟に当たる酒井忠能は、父・酒井忠行が死去したときに那波に2万2500石を与えられた。そして忠能は寛文2年(1662年)6月4日、信濃国小諸藩に移ったため、ここに那波藩は廃藩となったのである。
[編集] 歴代藩主
[編集] 松平(大給)(まつだいら(おぎゅう))家
1万石。譜代。
- 松平家乗(いえのり)
[編集] 酒井(さかい)家
1万石→2万石。譜代。
- 酒井忠世(ただよ)
[編集] 酒井(さかい)家
2万2500石。譜代。
- 酒井忠能(ただよし)