郷野聡寛
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郷野聡寛 | |
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基本情報 | |
本名 | 郷野聡寛 |
あだ名 | DJ GOZMA 難攻不落のビッグマウス GRABAKAの火薬庫 |
階級 | ウェルター級(PRIDE) |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1974年10月7日 |
出身地 | ![]() 東京都東久留米市 |
現居住地 | ![]() |
スタイル | GRABAKA |
戦績 | |
総試合数 | 8(PRIDE)、18(パンクラス他) |
総勝利数 | 5、13 |
KO勝ち | 0、3 |
一本勝ち | 2、0 |
判定勝ち | |
総敗北数 | 3、2 |
KO負け | |
一本負け | |
判定負け | |
引き分け | 0、3 |
無効試合 |
郷野 聡寛(ごうの あきひろ 1974年10月7日 - )は、東京都生まれの総合格闘家。身長176cm、体重82kg。血液型B型。GRABAKA所属。東京都立小平高等学校卒業。ニックネームは難攻不落のビッグマウス。
目次 |
[編集] 人物
- 相手の攻撃をかわす高いディフェンス技術が最大の武器。巧みに相手との間合いをとり、試合時間をフル活用して相手をじわじわと追い詰めるライツアウト(Lights out)戦法で身体能力の高い外国人選手とも互角に渡り合う。身体能力の差を埋めるこの戦法を「弱者の戦略」と自称している。最近になって親交のあるDJ OZMAを模したDJ GOZMAを名乗って派手な入場パフォーマンスを行うようになり、エンターテインメントも意識し始めている。
- 顔は怖いが、実はユーモアのある選手であり、マイクアピールは格闘界屈指といわれている。本人が書いているブログも人気である。ちなみに、グーグルで「郷野」を検索すると、トップに来るほどで、その人気は本物である。
- 以前は「判定上等」がモットーの「郷野流」と自称していたが徐々に考え方が変わってきているようで、最近では「魅せる」ことに重点を置いている。
- パンクラスのリングで鈴木みのるとプロレスラーである獣神サンダーライガーが対戦した際、鈴木が勝利し観客も大盛り上がりの中、興行が大成功したと喜ぶパンクラス経営陣を「総合初心者をリングに上げて、勝って喜んだり、客入りが良かったと喜んでいるなんて、パンクラスはバカばっかりです」と発言して物議を醸した。この発言は、総合初心者であるライガーがメインイベントに出場したことに対して、そして観客もその試合が最も盛り上がった事に対しての自身の不甲斐なさも含めての発言である。
- 試合でのダメージのため、全身麻酔の手術を複数回受けている。
- キックボクシングにも挑戦している。2005年に全日本キックボクシング連盟のリングで2試合闘っており、2試合目でタイトルを獲得。現在全日本キックヘビー級王者である。
- 吉田道場の瀧本誠を相当嫌っている。これは、瀧本がデビュー戦で言った「総合格闘技をなめていました」という発言が発端である。郷野は瀧本のように他の競技から転向してきた人間ではなく、総合格闘技がまだ日の目を見ていなかった時代から地道に総合一本でキャリアを積んできた選手である。それゆえ嫌悪感を持ったと言えるが、度が過ぎるほど怒りまくっていた。
- 自身は幼少の頃小児癌にかかり、当時の生存率がほぼ0%という状況の中大手術を受け奇跡の生還を果たしている。そういった肉体的ハンデを乗り越えて、強さの象徴である総合格闘技で成功を収めている。そして現在、同じ病気にかかっている子供の会に参加したり、会の親子を試合に招待し、子供のヒーローになりたいと思っている。
- 上記のような一面を見せる一方、ブログではエロ全開のコメントを残すというギャップもファンに愛される一因であろう。
[編集] 戦歴
1993年にスポーツ会館のコマンドサンボに入門。トーナメント・オブ・Jや真武館などのアマチュア大会で活躍後、1996年から修斗に参戦。類稀なるセンスが光り、「総合格闘技の申し子」と称される。
1995年10月には第2回トーナメント・オブ・Jに出場し、当時和術慧舟會所属の村上一成(現・村上和成)にKO勝ち。
修斗時代にはマット・ヒューズとの対戦経験を持つ。
1998年11月27日、修斗後楽園ホールで伝説の野次「俺だけの郷野!」が発生。
その後菊田早苗率いる「GRABAKA」に移籍し、2001年よりパンクラスを主戦場にする。
現在はPRIDE武士道のリングで活躍中。 2005年5月22日の『PRIDE武士道 -其の七-』では、クラウスレイ・グレイシーを判定で退ける。
2005年9月25日の『PRIDE武士道 -其の九- ウェルター級グランプリ』では、一回戦で圧倒的な身体能力の差があるダニエル・アカーシオを得意の戦術で退けるも、準決勝でダン・ヘンダーソンにKO負けを喫し、敗退してしまう。
2006年6月4日の『PRIDE武士道 -其の十一- ウェルター級グランプリ 2006 開幕戦』では、ヘクター・ロンバードを翻弄し、判定勝利を飾る。
2006年8月26日の『PRIDE武士道 -其の十二- ウェルター級グランプリ 2006 2nd Round』では、ゲガール・ムサシと対戦し一本勝ち、準決勝に駒を進める。
2006年11月5日の『PRIDE武士道 -其の十三- ウェルター級グランプリ 2006 決勝戦』では、準決勝でデニス・カーンと対戦、激しい戦いを繰り広げるも惜しくも判定負けを喫する。
[編集] 主な名言
- 横浜だけにおシュウマイ(2006年11月5日・PRIDE武士道 -其の十三- ウェルター級グランプリ 2006 決勝戦より)