陳唐山
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陳 唐山(1935年9月16日 - )は、台湾の政治家。国家安全会議秘書長、前総統府秘書長、元外交部長、元台南県長。
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[編集] プロフィール
[編集] 政界進出まで
陳唐山は1935年に台南県塩水鎮に生まれた。1959年に台湾大学大気物理学科を卒業し、その後渡米。1966年にオクラホマ大学で修士号、1972年にパデュー大学で博士号を取得した。1973年から1992年までの19年間、アメリカ合衆国商務省に勤務し、人工衛星から得られたデータの分析やアジア資源センターの主任、アメリカ国際開発センターの理事を務めた。
その一方で、在米中に台湾独立運動に携わり始め、1966年には蔡同栄らと全米台湾独立連盟(1970年に各国の同様の組織と合併し台湾独立建国連盟が成立)を結成した。また1974年に世界台湾同郷会が発足すると、陳唐山は1979年から1984年まで会長を務めた。
こうした活動から当時の国民党政府によってブラックリストにリストアップされ帰国できずにいたが、1987年に一時帰国が許され、1990年の国是会議に参加する機会を得た。また「海外台湾人返郷運動」を開始し、台湾独立建国連盟のメンバーの帰国を支援した。1992年、陳唐山は民主進歩党に入党し、同年の立法委員選挙で当選を果たした。
[編集] 政歴
[編集] エピソード
外交部長時代の2004年9月27日、シンガポールのジョージ・ヨー外相が国連総会の場で「一つの中国」を支持する発言をしたことに対して、シンガポールについて「鼻くそのような大きさの国」と述べ、さらにミン南語のスラングを使い「中国に睾丸を捧げた(中国に媚びへつらった)」と発言したことが報道され、政治問題化した。陳唐山は翌日、この表現について外交部を通じ陳謝した。
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