須賀敦子
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須賀 敦子(すが あつこ、1929年1月19日-1998年3月20日)は随筆家・イタリア文学者。
[編集] 略歴
芦屋に生まれ(病院は正確には大阪市にある)、西宮・東京で育つ。東京では俳人原石鼎の隣家に住んだ。
1951年、聖心女子大学第一回生として英文科を卒業(同大第一回生には中村貞子=緒方貞子、後輩に正田美智子=美智子皇后がいた)。卒論代りにウィラ・キャザーを翻訳。
1953年、慶應義塾大学大学院社会学研究科中退。政府保護留学生としてパリ大学で2年間学ぶ。
1956年、光塩女子学院英語講師。翻訳活動開始。
1958年、ローマ、レジムンディ大学聴講生。
1960年、ミラノ、コルシア書店勤務。個人誌「どんぐりのたわごと」創刊。以後、のちの夫ジュゼッペ・リッカと協力して、夏目漱石・森鷗外・樋口一葉・泉鏡花・谷崎潤一郎・川端康成・中島敦・安部公房・井上靖・庄野潤三などをイタリア語訳。
1971年、慶應義塾大学国際センター事務嘱託およびNHKイタリア語班嘱託。
1972年、慶應義塾大学外国語学校イタリア語講師。
1973年、上智大学比較文化学科および大学院現代日本文学科非常勤講師。以後、京都大学イタリア文学科・聖心女子大学英文科・東京大学イタリア文学科・文化学院でも現代イタリア文学などを講じる。
1982年、同外国語学部助教授(のち比較文化学部日本語日本文化学科教授)。以後カルヴィーノ、アントニオ・タブッキ、ウンベルト・サバなどを日本語訳。
1989年、ナタリア・ギンズブルグ『マンゾーニ家の人々』翻訳でピコ・デラ・ミランドラ賞。銓衡委員は加藤周一・都留重人・芦原義信。
1991年、『ミラノ 霧の風景』で女流文学賞(山田詠美『トラッシュ』と同時受賞)。銓衡委員は瀬戸内寂聴・田辺聖子・阿川弘之・大庭みな子・佐伯彰一。また講談社エッセイ賞も受賞(伊藤礼『狸ビール』と同時受賞)。銓衡委員は丸谷才一・井上ひさし・大岡信・山口瞳。
1994年、地中海学会賞。
1998年、心不全で死去。享年69。
[編集] 作品
- こうちゃん(河出書房新社)
- ミラノ 霧の風景(白水uブックス)
- コルシア書店の仲間たち(文春文庫・白水uブックス)
- ヴェネツィアの宿(同)
- トリエステの坂道(新潮文庫・白水uブックス)
- ユルスナールの靴(河出文庫・白水uブックス)
- 本に読まれて(中公文庫)
- 遠い朝の本たち(ちくま文庫)
- 時のかけらたち(青土社)
- イタリアの詩人たち(同)
- 地図のない道(新潮文庫)
- 須賀敦子全集(全8巻+別巻1、河出文庫)
- こころの旅(角川春樹事務所)
- 霧のむこうに住みたい(河出書房新社)
- 塩一トンの読書(同)
[編集] 関連書籍
- 大竹昭子『須賀敦子のヴェネツィア』『須賀敦子のミラノ』『須賀敦子のローマ』河出書房新社。
- 岡本太郎『須賀敦子のトリエステと記憶の町』『須賀敦子のアッシジと丘の町』同。
- 稲葉由紀子『須賀敦子のフランス』同。