飯篠家直
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飯篠 家直(いいざさ いえなお、1387年(元中4年) - 1488年(長享2年))は、下総国香取郡飯篠村(現・多古町飯笹)の郷士、父親は飯塚金兵衛。日本武道の源流の一つである天真正伝香取神道流の創始者。飯篠長威斉家直。
康正元年(1455年)馬加康胤の裏切りに遭い、千田庄(現在の多古町)に逃れて再起を図った千葉氏18代当主千葉胤宣と父胤直が自刃して果て、千葉氏宗家は滅亡した。千葉氏宗家に仕えていた家直は、この様を目の当たりにし武芸をもって武士として生きることに虚しさを覚え、そして「武術とは互いに血を流し合う“戦さ”のためのものではない」という信念のもと、60歳の時、香取神宮の奥の宮に近い梅木山に篭り、1千日の厳しい修行の末、ついに「兵法とは平和の法なり」との悟りを得、「天真正伝香取神道流」を創始したと言われる。
その頃の戦場に於ける武術は、総合的な戦闘技術を包括したもので、体格に優れた者が長大な刀をひたすら振り回して軽装歩兵に対して斬りつけるという方法か、騎兵突撃の際に加速のついた状態で馬上から敵の手足顔面を強くこすり斬るというのが一般的だったのが実態である。
それとは別に、古くからの剣術の流派として「香取の剣・鹿島の剣」が、葦原中国を平定した神として日本神話に登場する経津主神と建御雷神を祀った、香取神宮と鹿島神宮の神職に伝承されていた。
家直は「香取の剣・鹿島の剣」を元にし、それまで決まった「型」の無かった武術の世界において、百般に亘る武道の原型を体系化した。そして「真実の武道は人の心にあり、人の道である。心の中が善であれば、武芸は人を助け世の中を平和にする。したがって自分自身を完成された人間に近づける努力をしなければならない。」と門人たちに諭し、心身鍛練の術として武士から庶民まで広く教えたとされる。