鱒寿司
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鱒寿司(ますずし)は、富山県の郷土料理。鱒(サクラマス)を用いて発酵させずに酢で味付けした押し寿司(早ずし)の一種。表記は必ずしも一定せず、ます寿し、ますの寿し、鱒の寿司などとされることも多いが、すべて同様のものを指している。駅弁としての知名度も高い。
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[編集] 概要
木製の曲物(わっぱ)の底に放射上に笹を敷き、塩漬け後に味付けをした鱒の切り身をその上に並べ、そこに酢めしを押しながら詰め、笹を折り曲げて包み込み、その上から重石をしたもの。通常は、曲物の上下に青竹をあて、ゴムなどで締めた状態で流通する。たいていは曲物の中に笹で包まれた状態のものが1つのものと、2つ重なっているもの(二段重ね)の2種類がある。
食べる時には曲物のふたをはずし、放射状に切り分けて食べる。なお、商品には切り分けて食べる際に便利なように、専用のプラスチック製の小型ナイフが添付されることが多い。このナイフは、笹で包まれた上から鋸のように引きながら切って使用する。
製造者によってその押し加減や酢の強弱、鱒の切り身の選別などに趣向が凝らされており、現在では富山市内を中心に30ほどの業者が存在する。全国的には駅弁として販売されているものが有名であるが、これは、鱒寿司業者のひとつである「源」の商品である。
元来鱒寿司に使う鱒は神通川に遡上してきたものを使用していたが、現在では遡上する鱒が少なくなったことと、需要が増えたことから主に北海道産のものが使用されている。
原油額の高騰や鱒の漁獲量が減ったため2006年8月より10%~25%値上げをした。
[編集] 歴史
鱒寿司は神通川流域を中心とした食文化である。平安時代中期の『延喜式』には鮭寿司が貢献物として登場するが、これは米飯を発酵させたなれずしだとされる。『越中史料』第2巻には、享保年間に富山藩第3代藩主前田利興の家臣吉村新八が時の将軍徳川吉宗に鮎寿司を献上したときの製法が、現在の鱒寿司と同じ早ずしであったことが記載されている。なお、一般には、この時に吉宗の絶賛を受けたとするエピソードが現在の鱒寿司の起源として語られている。
一方、婦中町(現在の富山市)にある鵜坂神社に神通川で獲れた一番鱒を塩漬けにして春の祭礼に供えていたものが、江戸時代に現在の早ずしの形態をとる鱒寿司へと変化していったとも考えられている。
[編集] 流通
現在のように鱒寿司が広く流通するようになったきっかけは、1912年から駅弁として販売されるようになった「源」の「ますのすし」である。「ますのすし」は、この時につくられた造語(商品名)であるが、百貨店やスーパーマーケットなどにおける「駅弁大会」や「物産展」などでこの駅弁が有名になると、鱒寿司を「ますのすし」と称する店が出てきている。
現在では、各製造者の店舗のほか、富山駅や高岡駅、金沢駅、特急列車の車内販売、百貨店、スーパーマーケット、高速道路のサービスエリア、コンビニエンスストアなどでも販売されるようになり、東京駅など富山県以外でも購入することができるようになった。
広く流通するようになったことで、従来の一段重ね、二段重ねといったものだけでなく、小ぶりの大きさのものや棒状になったもの、スーパーマーケット向けにプラスチック製の容器に入って笹にくるまれていない簡易包装の商品など、形態もさまざまなものが出現している。
なお、派生品としてコンビニエンスストアなどでは鱒寿司のおにぎりがあるほか、鱒の代わりにかぶら寿司をヒントにブリを使った「ぶりのすし」やカニを使ったものもある。