鳥居氏
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鳥居氏(とりいし)は日本の氏族。
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[編集] 鳥居氏(徳川氏家臣)
戦国時代の鳥居元忠は、関が原の戦いの前哨戦、伏見城の戦いにおいて、わずか800の兵で石田三成率いる大軍と渡り合って戦死。元忠はのちに「三河武士の鑑」と称えられた。
幕末には庶流の旗本家から鳥居耀蔵が出て目付や南町奉行を務めたが、評判は非常に悪く、名の耀蔵から「よう」・役職の甲斐守から「かい」を取り「ようかい(妖怪)」と蔑まれた。
現在、下野国であった栃木県内に散らばる多くの鳥居姓は、この鳥居氏の末裔達である。 鳥居宗家は壬生に存在する。壬生藩鳥居氏の側近には斎藤氏・森田氏・井山氏・佐々木氏の四本柱がいた。その四氏の中でも、森田氏は鳥居家武芸教授指南役方、井山氏・佐々木氏は壬生城護衛方、斎藤氏は鳥居家台所役を預かる忠実な部下だったとの話がある。
[編集] 鳥居氏が治めた藩の変遷
- 1590年~1600年 - 下総矢作藩(4万石)
- 1600年~1622年 - 陸奥磐城平藩(10万石)
- 1622年~1636年 - 出羽山形藩(22万石→24万石)
- 1636年~1689年 - 信濃高遠藩(3万2000石)
- 1689年~1695年 - 能登下村藩(1万石)
- 1695年~1712年 - 近江水口藩(2万石)
- 1712年~1871年 - 下野壬生藩(3万石)
[編集] 系図
忠吉 ┃ 元忠1 ┣━━━━━━━┓ 忠政2 成次 ┣━━━┓ ┃ 忠恒3 忠春4 忠房 ┃ 忠則5 ┏━━━┫ 忠瞭7 忠英6 ┃ 忠意 ┃ 忠見8 ┃ 忠燾9 ┣━━━┓ 忠威10 忠挙11 ┏━━━┫ 忠文13 忠宝12
[編集] 鳥居氏(奥平氏家臣)
1575年4月、長篠城は武田勝頼の大軍に包囲されていた。城主奥平貞昌家臣鳥居勝商は、岡崎城の徳川家康に援軍を要請するための使者として城を出立。「援軍を出す」との確約を家康から得て長篠城へ帰還する途中に、武田軍に捕縛される。城の前で杭に縛り付けられ「織田・徳川から援軍は来ない」との偽情報を長篠勢に向かって流すよう強要させられたが、勝商は援軍が来ることを長篠城の奥平勢に叫んで伝え、武田軍に殺害された。大軍の猛攻に精根尽き果てかけていた長篠城兵たちも、勝商の知らせを聞いて奮起。長篠城を見事守りきった。
以後の子孫は奥平松平氏に仕え、13代鳥居商次が家老職に就くなど家中で重きを成した。なおこの鳥居氏は忠臣として褒め称えられていた初代勝商の通称「強右衛門」を代々受け継いでいる。
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