鴻池祥肇
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生年月日 | 昭和15年(1940年)11月28日 |
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出生地 | 兵庫県尼崎市 |
出身校 | 早稲田大学教育学部卒業 |
学位・資格 | 剣道六段 |
前職・院外役職(現在) | 日本青年会議所会頭 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
内閣委員会委員 |
世襲の有無 | 無 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
兵庫選挙区 |
当選回数 | 衆議院2回、参議院2回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(麻生派) |
党役職(現在) | 総務会副会長 |
会館部屋番号 | 参・議員会館741号室 |
ウェブサイト | 参議院議員・鴻池よしただ |
鴻池 祥肇(こうのいけ よしただ、1940年11月28日 - )は日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員。兵庫県立神戸高等学校、早稲田大学教育学部卒業。兵庫県尼崎市出身。剣道六段。思想的には、真正保守である。
目次 |
[編集] 人物
大伯父は関西の大侠客として知られた鴻池忠次郎(?~1945)。祥肇は、忠次郎の弟鴻池藤太郎の孫。尼崎を中心とした関西一円において「二代目」鴻池忠次郎は単なる博徒としてくくれない存在である。
[編集] 政歴
日本青年会議所会頭を経て、1986年の衆議院選挙で初当選し、沖縄開発政務次官等を務める。1993年の総選挙で落選し、1995年参議院議員に転じる。2000年12月から2002年9月まで自民党参議院国対委員長を務める。2002年9月30日発足の第1次小泉第1次改造内閣に入閣し、防災担当大臣、構造改革特区担当大臣、青少年育成推進本部副本部長(担当大臣)を務めた。(翌2003年9月22日、内閣再改造により退任)
2006年5月16日に神戸で開催された統一教会の集団結婚式に祝電を送る。なお鴻池は以前にも「勝共(統一教会)推進議員の集い」に安倍晋太郎の紹介で参加したと自ら語っている。
[編集] 郵政民営化反対
- 当初は「郵政民営化法案は議論が不十分であり、どちらかと言えば、消極的反対である。」と主張していたが、自民党執行部が造反者に除名を含めた厳しい処分をちらつかせ締め付けを強めると、これに反発。第1次小泉第1次改造内閣成立当時からの盟友である青木幹雄・片山虎之助らの説得を受けるが意見を覆さず、態度を硬化させ、讀賣テレビ放送「たかじんのそこまで言って委員会」で、真っ先に郵政民営化法案反対を打ち出した。放送は中部地方から西日本の地域限定での放送(当時)だが、全国紙に発言が記事に載るなど物議を醸した。2005年8月8日の郵政民営化法案の参議院本会議では反対票を投じた。その際、メディアのインタビューにて、「(執行部の締め付けに屈して法案を可決させた)衆院は、フライパンの上でバタバタしているヒヨコのようだ。」「郵政法案は、船全体が沈もうとしているときに、船長室のペンキを塗りなおしているようなものだ。」と痛烈に法案を批判した。だが、小泉総理が衆議院を解散させ、メディアが一斉に自民党圧勝の予想を伝え始めると、選挙投票日3日前の9月9日に、それまでの意見を一転させ、2005年衆院選で与党が過半数を維持した場合、選挙後の特別国会に提出される郵政民営化法案に「民意」を尊重して賛成すると意思を表明した。この後、同様に、法案に反対票を投じた中曽根弘文も賛成の意思を表明し、続々と反対していた他の参議院議員たちも「民意」という言葉を口に出し態度を変えていった。本人は、選挙の結果が出る前に与党が勝てば民意を重く受け止め賛成すると意思を表明したのだから、選挙結果が出た後に賛成に転じた他の造反議員とは同一視して欲しくないと考えているようだが、賛成意思を表明させたのは大方自民党圧勝が予想されていた投票のわずか3日前であり、他の意見を変えた造反議員たちと一括りにされ、「信念で反対しておきながら、民意を口実に転向するのは保身のためではないか」と批判される。
[編集] 武部勤幹事長との関係
前項の経緯により、郵政民営化について変節し大きく面目を失った鴻池はその後しばらく「たかじんのそこまで言って委員会」でそのことを批判されたり、揶揄されたりした。そのような状況をもたらした武部勤幹事長に同じ自民党議員でありながら鴻池は逆恨みに近い感情を抱いており、同番組で武部を痛烈に批判するようになる。堀江メール問題が持ち上がった時は武部を「酸欠のフグみたいな顔」と言ったり、千葉7区の補選で敗れたときは「最初から(武部の頭が)パーや」などと悪態をついていたが、同番組が北海道でも放送されていることを聞くととたんにおとなしくなった。
[編集] 「打ち首」発言
- 2003年7月11日、鴻池青少年育成推進本部副本部長(担当大臣)は閣議後の記者会見で、長崎男児誘拐殺人事件について「嘆き悲しむ(被害者の)家族だけでなく、犯罪者の親も(テレビなどで)映すべきだ」「親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」などと発言し、問題発言ということで物議を醸した。
[編集] 著書
- 『いま、日本病を撃て 傍観者の時代への訣別』 (徳間書店、1980年)
[編集] 外部リンク
- Yahoo!ニュース - 鴻池大臣「打ち首」発言(Internet Archive)
- 鴻池祥肇ホームページ